41 新しい従業員
クラウディア王妃の誕生祭の夜。
王宮のあちこちに花が飾られ、誕生祭の華やかな雰囲気が醸し出されている。貴族たちが続々と豪華な馬車で参上して、あちこちで噂話の花が咲いていた。
「王妃様は一日おきに洗髪なさっているそうよ」
「聞きましたわ。そのおかげでお顔のお肌の張りまで違ってきたとブリジッタ公爵夫人が悔しそうに」
「でも洗髪は髪が傷むと聞いていたけれど」
「それが逆に艶々と絹のように柔らかになっているとか」
「なんでも王太子様の婚約者のモニカ様のご発案とか」
話を聞いていた一人が「あっ!」と声をあげる。
「そういえばベルトーナ夫人が膝痛から回復して若返ったことがあったわね?」
「そうよ、そうでしたわ!」
「ええ、あの時もモニカ様のお名前が出たわよ」
これは一度お茶会にお誘いして美容と健康の話を聞き出さねば、とそこにいた全員の目がギラリと光った。
しばらくして会場に現れたクラウディア王妃の髪は金色に輝き、優雅に結い上げられている。確かに顔のラインが引き締まっていた。
「本当だわ、お顔が引き締まってお若くなってるわ」
ひとりの夫人がそう呟いて、居合わせた全員が頭の中で忙しくお茶会の日程を考えていた。
当のモニカはジルベルトの隣で控えめに微笑んで挨拶回りをしていた。自分がお茶会のターゲットになっていることなど全く知らない。
♦︎
今、孤児院の子供たちは妖精人形や革製のボールの贈り物に夢中だ。着ているスモックはデザインに少しだけ手が加えられた。
前見頃の中央には幅三センチほどの色違いの布で縦にラインが入った。濃い灰色のスモックに紺色、黒にはこげ茶、薄い灰色には深い色味の赤か深緑。男女を問わない色の組み合わせだ。
個人の利用に使ってくださいと手提げバッグも渡した。日本の学校でよく使われる布製の手提げだが、この世界ではあまり見たことがない。孤児院では私物は少ないだろうが、たとえ松ぼっくりや拾った石などであっても個人の宝物をしまう手提げ袋くらいは持っていてほしくて、モニカはひとつひとつに刺繍で名前を入れて渡した。
皆で庭に出て、モニカが教えたドッジボールで遊ぶ。この遊びはシンプルなルールで誰でもすぐに覚えて遊ぶことができた。今日ばかりは年長者の子供たちも日雇いの仕事に出ずに集合している。
そして簡易なドレスにエプロン姿のモニカが一緒に遊ぶと言う。護衛やクララが止めたが「慣れてるから大丈夫」と遊びの仲間に入り、ボールを受け止めて相手チームを次々と仕留めて笑っている。
「慣れてるわけが」と皆は思ったが、婚約者様は本当に慣れていた。その機敏な動きにお付きの者だけでなく全員が驚いてあんぐりと口を開けている。
こんな貴族の女性を初めて見た子供たちは最初こそポカンとしていたが、「さあ、どこからでもかかってきなさい!」と笑うモニカをすぐに気に入った。
やがて遊びから抜けたモニカは院長の部屋で真剣な顔で話し合っている。
ここを卒院した者の就職先があまり芳しくないことを聞いてモニカが胸を痛めていた。院長によれば孤児院育ちと足元を見られて安い賃金で過酷な労働に耐えるしかない場合が多いという。
「何か自立の方法を考えなくては。手に職をつけさせるとか、学問に力を入れるとか」
熱心に話し合ってくれる殿下の婚約者様に、院長は少々驚いている。王妃様も慈善事業には熱心な方だったが、このように卒院した後のことまで考えて下さることはなかったし、それが普通だ。援助してもらえるだけでありがたいのだ。
「卒院した後もここの子供たちみんなに幸せに暮らしてほしいです」
そう言ってからハッとした顔になる。
「初めて訪問した人間が偉そうなことを申しました」
と恐縮している。
「いいえ。ありがとうございます。子供たちが十五才になった日には住む場所を失うこと、私たちもずっとつらく思っていたのでございます。どうかこれからも宜しくご協力下さいますよう、切にお願いいたします」
ランディ孤児院院長のロベルタ・ランディは孤児院の未来に新しい光が差し込んだように感じた。
後日、その院長の元にモニカから相談の手紙が届いた。「細かい仕事が苦痛ではなくて働く意欲のある子供たちに化粧品作りの仕事を用意できる。賃金もきちんと与えられる」と。
選ばれた五人の子供たちが王宮の一室で緊張している。『モニカ様の作業部屋』で、これから基礎化粧品の作り方を学ぶのだ。
三角巾とエプロンを付けたモニカが子供たちを前に説明している。
「新しい仕事に結びつく技術です。あなたたちがしっかり技術を身につけ、やる気があれば、お客様に喜ばれる仕事で、大人と同じ賃金を手に入れられます」
そこからは徹底して清潔の概念を教え込んだ。まずはそこからだ。
子供たちは真剣だ。いずれ孤児院を卒院すれば日雇いの肉体労働、怪しげな酒場、市場のゴミ拾い、そんな仕事しかないと諦めていたのに、好条件の仕事が提示されたのだ。
作業自体は難しくはない。問題は慣れた頃に雑になりがちなことだ。そこは先輩の侍女さんたちが厳しく目を光らせていた。
「私たちも使う化粧品だから、丁寧に頼むわよ」と。
子供たちがちゃんと戦力になり、雪の結晶の印がついた化粧品は安定して供給されるようになった。
モニカは彼らに「ここに縛るつもりはない、他にやりたいことが見つかったら相談して欲しい」と話したが、子供たちは全員がこんな好条件の仕事を手放したくないと思っていた。
♦︎
このところ、毎日のようにジルベルト王子がモニカの部屋に立ち寄っている。仕事帰りなのだが、そのうち数日に一度はマッサージを受けている。
最近は肩や首だけでなく、長椅子にうつ伏せになって肩甲骨周り、背骨の両側、腰、腿やふくらはぎの裏側もほぐしてもらっている。しばらく前から「背もたれが邪魔」とモニカが言い出して、背もたれなしの長椅子が運び込まれている。
(こんなにゆきに甘えてはいけない)と思うが、仕事が終わるとフラフラとゆきの部屋へと向かってしまう。
ゆきは「前世の仕事量に比べたら家事も決まった仕事もしていないのだから、マッサージくらい全然たいしたことはない、むしろ楽」と笑う。前世ではいったいどれだけ働いていたのかと思う。
「文化が進んでいるのにこちらよりも労働量が多いとは不思議だ」と言うと「あちらでは侍女がいませんから」と苦笑された。
警護のアントニオは毎晩警護して乳兄弟を婚約者の部屋まで送り届けている。
「そのまま泊まればいいじゃないか」
と言ってもジルベルトは律儀に毎回自室に戻る。
なんでも話してくれるゆきが、子供の頃のことと結婚生活のことは今でも語りたがらない。肩揉みの時の会話の流れで「楽しい子供時代ではなく、大人になってからもつらい生活だったから人に話すことがないのです」と言った時の顔が忘れられない。
壁の鏡に映った彼女を見るともなしに見ていたのだが、その時だけ肩のマッサージをしていたモニカの顔から表情が抜け落ちたようになった。それを見て以来、(焦ってこの人の笑顔が消えるようなことはしない)と心に誓っているのだ。
結婚式の知らせは国内全ての貴族と各国の指導者に送られつつある。急ぐ必要はないのだ。今は二人で互いに会話をしたり笑ったりできればいい。
自分たち二人には、この先ずっと時間があるのだ。





