28 クリスティーナ王女とベスカラ語
今日も図書館に通っている。
地図を見ると、私のいるスフォルツァ王国はインドのように東南西が海に囲まれた三角形の国だ。北は北東にベスカラ王国、北西はガルダリア王国だ。
そのベスカラ王国とこの国には太い街道が整備され、人と物の行き来が多いということだ。北西のガルダリア国との間にはあまり交流はないらしい。
王子を守ろう、助けようと思って以来、私は少し心が強くなった。
怖がってばかりでは何か起きても役に立たない。怖いことに向かい合って解決してやろうと思えるようになった。
それなら手札は多い方がいい。地続きの国の知識を蓄えて損はない。
私を守ろうとしてくれている殿下のためにも、再び人生を与えてくれたモニカちゃんのためにも、全力で生き延びてやる、と思う。
今日も例によってカモフラージュ作戦実行。植物学、動物学、医学、宗教学、そしてベスカラ王国の解説本を取り出してメモを取る。
図書館長のラファエロさんに「王宮内ですから貸し出しもできます」と教えてもらったので、ホクホクしながら全部を借りる。
借りる本のタイトルを記入しているラファエロ館長に「ベスカラ王国にご興味が?」
と聞かれた。なので「はい。私は他国のことを何も知らないものですから」と笑顔で答えた。嘘はついてない。
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「モニカお姉さまぁ!またお勉強ですかぁ?妖精人形の新作ドレスを見せに来たのにぃ!」
クリスティーナちゃんが二頭身人形を五体抱えて私の部屋にやって来た。唇を尖らせちゃって。可愛いなぁ。癖のある金髪に紫寄りの青い瞳。雪のような白い肌。もう、あなたの方が人形よりよほど可愛いじゃん!
「新作ですか。ぜひ見たいです」
「そう仰ると思って、ほら!」
クリスティーナ様付きのヨランダさんが籠を笑顔で差し出す。中には「どんだけ!」と叫びたくなるほどの数の極小のドレスが入っている。
「こんなに……。クリスティーナ様、これはまた」
「違いますわ!私がわがまま言ったんじゃありません!」
「縫い子の者たちが夢中になってしまったのですよ」
ヨランダさんが苦笑しながら説明してくれた。
「最初の抱き人形の時も楽しげに作っているとは思っておりましたが、今回の妖精人形は特に可愛い可愛いと騒ぎましてね。頼んだ数の三倍は作って届けて来たのです」
「それはすごい気に入られようですね」
「そこでお願いがございます」
「はい。何でしょう」
「うちの縫い子たちが妖精人形を自分たち用に作ってもよろしいでしょうか」
既に呼び名は妖精人形で確定しているらしい。
「どうぞどうぞ。いくらでも」
「ありがとうございます。対価はきちんと支払わせますので」
「えっ。縫い子さんたちが自分で作るのに私にお金を支払うのですか?遠慮しますよ」
「そうは参りません。デザインを考えた人にデザイン料を支払うのは当たり前です」
そうなの?そういうものなら頂こう。そのお金でできることがある。
「あら。モニカお姉様、ベスカラ国の本ですね。ベスカラ語のお勉強をなさるのかしら」
「どんな国なのか知りたくて。言葉はその後でしょうか」
「ふうん。ベスカラの言葉でしたらわたくし、少しは話せますよ。お教えしましょうか?」
「えっ。すごいですね。八歳なのにさすがは王女様」
よいしょではない。本心だ。
「まあ、クリスティーナ様、それでは私もお仲間に入れてくださらないと」
ヨランダさんの言葉を聞いて途端にクリスティーナちゃんが赤くなった。なぜに?
「その、ヨランダは母親がベスカラの人間なのです。だからベスカラのお勉強の時は事前にヨランダに間違いを直してもらっているものだから」
「宿題を私に丸投げなさることもございましたね?」
「それは、うっかり宿題をやるのを忘れてしまった時だけよ」
微笑ましい。王女様と侍女、八才と三十代なのに心から仲良しって感じがしっかり伝わってくる。
せっかくなので会話のレッスンから先に始めることにした。先生はクリスティーナちゃん。
「では最初は『あなたの国の何々は素晴らしいですね。感動しました』これです、お姉さま。まずは相手の国のいいところを褒めるのです」
「なるほど」
「何々には景色、食べ物、飲み物、工芸品、何を入れてもいいのです」
わかりやすい。実際に声に出して発音してもらう。さすがに八歳のクリスティーナちゃんよりヨランダさんの方が正しい発音らしい。たまにヨランダさんが王女の発音を訂正している。
一時間ほどみっちり会話レッスンをしてもらった。いいわあ。なんて贅沢な個人レッスンだろうか。発音を文字にして残し、何度も練習をした。
よし、頑張る!
こうして図書館の本での情報収集とベスカラ語のレッスンはほぼ毎日続いた。
クリスティーナちゃんはベスカラ語に限らず一流教師陣から習う他の教科の内容もどんどん横流ししてくれる。ヨランダさんは「復習になるので良いことです」と満足そうだ。
殿下の神殿対策はその後何の連絡も無かったが、一朝一夕にはどうにもならないことだから、私からは尋ねなかった。
毎日暇だからひたすら本を読み、メモを取ってまとめ、会話のレッスンと復習をし、少しずつ刺繍も楽しみ、私の日々は過ぎていった。
時折りモニカちゃんの実家にも手紙を書いた。モニカちゃんの両親からは大変な出世に驚いたり私のことを心配したりしていること、私の幸せのためにも心優しく殿下に尽くし仲良くするように、との返事が来る。
普通の親ってこんな感じなのね、と何度も手紙を読み返してはジーンとした。こんなに優しい人たちに何か恩返しがしたい。何かできることはないか、考えるのも心が癒される。
夜は殿下と二人でおしゃべりすることが多い。殿下は日本の歴史にとても興味があるようで、一度話したことは全て頭に入っているのか、実に鋭い感想を述べられる。
「つまりあなたの国の指導者は宗教を取り込んだり、排斥したり、自身が宗教の中心になったりしてきたのだね」
「言われてみるとたしかにそうですね。私の国の学校では宗教に関してはあまり触れられないのです。宗教絡みで戦争に突っ走った過去があるからかもしれません」
「なるほどね。それでゆきは学校にはどのくらい通ったの?」
正直に言ったら驚かれるのは覚悟の上だ。
「義務教育に九年間、ほぼ皆が行く高等学校に三年間、専門性を高める学校に四年間です。義務教育に通う前には三年間の幼子が通うところにも行きました」
「なんと。じゃあゆきは十九年間も学校に通ったの?貴族ではないと言ってなかった?」
「貴族の制度は廃止されましたし、我が家は先祖代々の庶民ですよ。私の国は特に教育熱心なのです。他の国に追いつき追い越すためには教育が必要だと昔の指導者が考えたのです。実際に国民の教育を充実させることで、私の国はこれといった資源もないのに産業が発達して先進国の仲間入りができたのです。勤勉な国民性もありましたしね」
「うーん。そうか。実に興味深いよ」
そんな会話だ。硬い話をしているのだけれど、人払いされた部屋で毎晩長いこと話をしているものだから「お二人はとても仲良し」的な生温かい目で見られている。
さて、もうすぐ年が切り替わる。年明けにはお祝いの贈り物の習慣がある。私は自分の手持ちのお金に受け取ったデザイン料を足してクララちゃんに買い物をしてきてもらった。
グリセリン、オリーブオイル、蜜蝋、乾燥させたカモミールの花、鍋をサイズ違いで二つ、小さな蓋つきの缶を買えるだけ。
材料を暖炉の火のそばに置いた鍋で湯煎して混ぜ合わせ、カモミールを煮出した液で香りをつけたハンドクリームを作った。上級の侍女さんたちもそこそこ手が乾燥してる人が多いし下働きの人たちは男女を問わずアカギレが酷いのだ。
コツコツ作りコツコツ缶に詰める。小さな缶とはいえ二百個以上出来上がった時にはうっとりするほどの達成感を味わえた。
ハンドメイドは最高の癒しの術だ。





