20 告白と提案
「もう大丈夫ですから帰ります」と言う私に王子は「僕の責任だ。せめて今晩だけでも王宮で様子見をして欲しい」と頭を下げた。
「僕があんな話をしたから。何から何まで申し訳ない。レディにあんな話をするべきじゃなかった」
「いいんですよ。秘密の力のことを説明するおつもりだったのでしょう?」
「申し訳ない」
すっかりしょんぼりしたこの人がとても幼く見える。俺様モードはどこへ行った、と可笑しくなる。
結局、その夜は王宮に泊まることになり、ベルトーナ伯爵家にはその旨を連絡する使いが出された。馬車で待っているであろうクララちゃんたちにも連絡してもらった。
豪華な天蓋付きのベッドは大人が四人くらい楽に寝られる広さで落ち着かない。私は真ん中に寝かされ、背中にたくさんのクッションが当てられて上半身を半分起こし、ベッド脇の椅子に座っている殿下と話をしている。
侍女さんたちや衛兵さん達は部屋から出された。二人になり、ドアは半開きでドアの両側には衛兵がいるはずだけど、私とジルベルト様は二人で長いこと話をした。
話し声は多少聞こえるだろうけれど、声のボリュームは二人とも落としているので、内容までは聞こえないだろう。盗聴器はない世界だし。
「僕はあなたのことは最初から気づいていた。モニカだけにモヤがかかったように見えて、何か霊がついているんじゃないかと思ったんだ。その後のことは悪かった。許して欲しい」
「最初から?最初から私はばれていたんですか……。そっか。なあんだ。それで私に興味を持ったのですか」
衝撃の新事実っていうのは、案外ショックよりも脱力感を覚えるものなのね。あんなに怖がって必死に隠してたのにね。脱力笑いが込み上げるわ。
ふははは。
「いや、それだけじゃない。君はとても生き生きしていて元気そうで、可愛いと思ったんだ」
美形に微笑みながら可愛いと告げられるのは、嬉しいというより謎。どう考えても相手の方が美のランクが何段も上だと、とても謎。
モニカちゃんごめん。あなたも充分可愛いけど、普通の女の子としては、という但し書きがつくわ。
「僕の周りにいる令嬢達は、僕の前ではほとんど物を食べないんだ。だからあなたのように元気よく次々食べる女性は新鮮だった。肌がピカピカ光っていて目がキラキラしていて。二の腕がぷにぷにしてるのも可愛い」
あー、まあねー。私はよく食べるからね。食べるの大好きな食いしん坊だから。二の腕ぷにぷにはどうかと思うけど。
「それで、あなたに興味が湧いた。あと、あなたの作る美味しいものも食べてみたかったから伯爵家にお邪魔した。あの夜、あなたは酔って先に寝たでしょう?」
あの夜は確かに酔い潰れて失敗したと思う。
「はい。失礼なことをしましたね」
「僕はモニカ嬢の真実を知りたくて、あなたの寝顔を見た」
「はあああっ?」
「女の子がそんな品のない声を出すのはどうなのだろう」
王子が苦笑しながら注意する。
「だって、じゃなくて、ですけれど殿下、十六才の乙女の寝室に入り込んで寝顔を見るって、あんまりではありませんか」
「すまない。伯爵もかなり反対してた。だから使用人たちに誤解されないよう、伯爵とメイド長と執事も一緒に寝室に入ったんだ」
私はため息を吐いて目をつぶった。なるほどね。あの翌日、彼らが私と目を合わせてくれなかったのはそういう事情だったのか。
「そしたらモニカ嬢の寝姿と少しだけずれて中に入っているあなたが眠っていた。眠る霊など初めて見た」
意味がよくわからず私は怪訝な顔になっていたと思う。
「眠っているモニカ嬢と少しだけずれて、黒髪を肩のあたりで切り揃えたあなたが、モニカ嬢と同じ姿勢で眠っているのが見えたんだ」
王子の言葉を聞いて胸のあたりに熱い何かがブワッと溢れた。
それは間違いなく私、花井ゆきだ。
日本人の私のことを、この人は見たのか、今も見えるのだろうか。もうどこにも存在しないはずの、慣れ親しんだ愛しい私の体。
「あんなに短い髪の女性は初めて見たから驚いたけど、それより、その、艶々した短い髪が少しかかった白い頬も、この国では見ない小さな鼻も、ぽってりとした小さな唇も、とても愛らしくて君と仲良くなりたいと思った」
「え?」
「とても愛らしくて、黒髪のあなたが目を開けたところを見てみたい、この人と話がしたい、と思った。そしてそんなことを思った自分に自分で慌てたよ。だからすぐに部屋を出た」
王子。それは確かに色々と問題では。
「それ以来、あなたのことが忘れられず、かと言ってあなたが何のためにこの世にいるのかわからないうちは親しくなることはためらわれた。だからつい、会うたびに色々質問してあなたを怯えさせた。本当に悪いことをしたと思っている」
ええ、ええ。私は質問されるたびに怯えていましたよ。まあ、もういいけども。
「あなたが姿を消して、置き手紙を読んだ時にやっとわかったんだ。僕はやっぱりあなたが好きで、あなたは幸せを求めてこの世に存在しているのではないかと。以前のあなたは誰かに愛されたかったんじゃないのかな」
あー。そう、ですね。私は三十年間ずっと愛情に飢えてたよ。コクリと頷く私に殿下が優しい目を向ける。
「ですが殿下。お気持ちはありがたいのですが、私は殿下よりずっと年上なんです。黒髪の私は三十才です。殿下の相手としては心が歳を取り過ぎています。私は三十代四十代の軍人さんたちに胸がときめく、三十才の大人の女なんです」
「あの見た目で三十……まさか」
「本当です。私の国の人間は人種的に若く見られるんです。なので殿下、心も身体も殿下に釣り合う方とお付き合いなさるべきです」
殿下はほんの数秒考えて返答した。
「嫌だ。僕はあなたがいい。僕は今まで求められ続けて応え続けてきたけれど、初めて僕が何かを手に入れたいと望んだのが君なんだ」
「……」
「モニカ。物は考えようだよ。僕と一緒にいれば、この先三十代四十代になっていく僕を近くで見られるよ。その先も好きなだけ年齢を重ねていく僕を見られる」
「殿下、前向きにも程があります」
思わず苦笑した。
「あなたはまだ僕が怖い?まだ怯えているだろうか」
「いいえ。殿下が私に色々ご質問なさる事情がわかりましたし、既に私の正体もばれていますし、殺されることもなさそうですから、もう怖くないです」
「そうか、良かった。それなら僕はあなたにこの国の王子として婚約の申し込みをしたい。……それとも僕のことはもう嫌いだろうか」
いやいや、こんな時に雨に打たれた子犬みたいな目をするのはやめなされ。
「嫌い、というわけではないですが。でも歳の差があり過ぎて」
「それなら近くで僕を見定めて欲しい。あなたから見れば僕は子供に見えるだろう。女性に関しては気が利かないし。権力に興味がなさそうなあなたには、王子なんて面倒だろうけど、君に気に入ってもらえるよう、努力する。君に判定される機会を与えて欲しい」
「えーと、えーと。そうだ、それではまず、お友達から始めましょう。そしてしばらく互いに様子を見る。ここはひとつ、そこからにしませんか」
「ありがとう。良かった。モニカは見た目も実年齢も十六才だから、他の人間に『僕が断られた理由は彼女が本当は三十才だから』とは言えないからね」
「あっ!」
殿下がいたずらっ子のような顔で笑い出した。





