編入試験ー5
数時間後。
神喰学園生徒会室。
広大な学園の中央棟、塔の最上階に設けられたその部屋に雫はいた。
歴代の生徒会長の写真がずらりと並び、ただの学校でいう生徒会室は、あまりに派手やか。
床一面が大理石、そして目の前には会長という名札スタンドが置かれた重厚な一枚木の机。
「それで、雫君。今年度の編入試験を再度行いたいというのはどういうことかな?」
にこっと笑うのは、黒髪を靡かせて一見すると大和なでしこのようなおしとやかな淑女。
この学園の生徒会長だった。
「はい。試験時間ギリギリで、合格水準に達していた料理人が体調不良のため、再試験をさせていただきたく」
「天下原蓮太郎。君のお兄さんだね? 光華切りをやってのけたとか?」
光華切り――魔素反応酵素は、物理的に切断されたなら金色に輝き、旨味が溢れ出すという特性がある。
それをできるだけ多く切れるところを見極め、切る。その量が多ければまるで黄金色の華が咲くように見えることから名づけられた。
「相変わらずお耳が早いようで」
「だとするなら、再試験してでも入学してもらいたい逸材だ。さすが君のお兄さんと言ったところかな?」
「では、再試験を認めてくださると?」
「しかし、それはそれだ。一度終わった編集試験、再度というのは前例がない」
「今回の編入試験の難易度は高すぎました。高等部二年生の平均レベルでは私に美味しいと言わせることはできないと思われます」
「ふふ、君から試験監督を志願してきたと思うけど?」
「私の思慮が浅かったせいです。その点については申し訳ございません。ですが兄は、素晴らしい料理人です。この学園の、いえ世界中の誰よりも。……兄を落とすことは人類の損失かと」
その言葉に反応したのは、会長だけではない。
ソファでスマホを片手に寝転がる生徒や、勤勉に本を読む生徒。
神喰学園を代表する料理人や魔術師たちが、その言葉に反応した。
「君がそこまで言うんだ。身内びいきじゃないというなら信じよう。未来ある料理人を育てることこそが、学園の意義だからね。それに編入試験は、私もいささか難易度が高すぎたとも思っている。君は完璧だが、完璧すぎるのが弱点だからな」
「おっしゃってる意味が分かりませんが」
「雫君、余白こそが人生だよ。では、再試験を生徒会長の名において承認しよう。しかし、例外的な試験だ。いくつか条件をつけさせてもらうよ」
そしてその条件を聞いて、雫はやはりこの人は食えないと思った。
雫が出た後。
一本の電話が鳴る。
「あぁ、なるほど……やはりですか。はい、いえ……一旦保留してください。それは私のレシピではありませんので」
電話を切る生徒会長は、一枚の紙を取り出して笑う。
それは編入試験の筆記試験用紙だった。
名前は天下原蓮太郎。
「満点……まぁこれぐらいなら二級料理人程度で取れる。しかし、コカトリスの調理方法。模範解答とは異なるレシピ。まさかWGBに申請したら、新レシピとして認定されるとはね。従来のものよりはるかにうまいと」
そういって、神喰学園生徒会長――平等院 千尋は楽しそうに笑う。
「魔術ガストロノミー。人類の進化の道しるべともいえる研究を一足飛びで進める未知の知識と技術。一体君たちは何者なんだい? 天下原雫君、天下原蓮太郎君」
自らも魔術特区最高峰の料理人――特級の料理人として。
◇
僕が目を覚ますと、医務室だった。
真っ白なベッド。どうやら神喰学園の保健室だろう。どこの大病院かと思ったが。
記憶はある。我ながらなんてざまだ。調理難易度三級のワイバーン肉を切っただけでぶっ倒れるなんてな。
「あ、蓮太郎君起きた! 体調はどう?」
「あぁ、大丈夫。ちょっと気分が悪かっただけだ」
「…………そっか」
僕の隣で野中が、無言で座る。
その表情は暗かった。
「ダメだった?」
「ごめん。蓮太郎君は、光華切り? っていうすごい技術で最高のお肉を用意してくれたのに……私の調理が下手くそで」
「そっか……はは、雫は厳しいな」
まぁ、切っただけで旨くなるなら誰も苦労はしない。
肉のレベルは上がったが、料理はそこからだ。
それでも僕は伝えたかった。
「料理って奥深いよな」
「え?」
「包丁入れる角度、力加減だけで味が全然変わってくるんだ。でもあれは誰にでもできる。もちろん野中にも……だから」
「大丈夫だよ!! 私……絶対にあきらめないから。もっとうまくなりたいって思った! 蓮太郎君の技を見て感動した!!」
「…………そっか」
しっかりと僕の眼を見て野中は興奮したように言う。
よかった。無駄じゃなくて。
この眼を見ると、きっと彼女は料理人を諦めないのだろう。なら……よかった。
そのときだった。
扉が開く。
「お兄様! 体調はいかがですか?」
「あぁ、雫。ありがとう、大丈夫だ」
「よかった……野中さん、お兄様を見てくださりありがとうございます。それとお兄様とペアを組んでいただきありがとうございます」
「い、いえ……私は何もしてなくて」
「…………いいえ。あなただからお兄様はまた包丁を握ったんです。だからありがとうございます」
雫はそういって野中に頭を深々と下げた。
野中にとって雫は崇拝するような料理人なので、その行為に慌てて、さらに下になろうと頭をめっちゃ下げている。
相変わらず小市民って感じだな。
「それと、先ほどですが今年度の編入試験の再実施が決定されました。再試験は、一月後となります」
「再実施? そんなことあるの!?」
「はい。まぁ……色々条件があるのですが、野中さんとお兄様。もう一度受けられますか」
「えーっと……それは」
野中が僕を見る。
だから僕は答えた。
「受けるよ」
「いいの? 蓮太郎君……そりゃ、私はもう一度チャンスがあるなら受けたいけど」
「さすがに迷惑しかかけてない。といっても僕は料理ができないから他の人とペアの方がいいと思うが」
「そんなことないよ! 蓮太郎君がいい!」
すると雫がパンっと手を叩く。
「では、決定ですね! 手続きは私のほうでやっておきます!」
「それで条件っていうのは?」
「色々あるんですが、そうですね。一番大事なのは、食材は自力調達ですね」
「え?」
「え?」
翌日早朝。
魔術特区のとある場所――通称、楽園広場に僕はきた。
「…………変わらないな、ここは」
摩天楼ひしめく魔術特区、しかしここだけは違う。
野球グラウンド何個分かもわからないが平らにならされたコンクリートの広場。
空港か? と思うほどだが、事実空港といっても過言ではない。
「でっかぁ」
広場の中心、そこには横幅200メートル、縦200メートルの巨大な鉄の門が経っている。
門といっても枠だけで扉など何もないが。
東京タワー並みにデカい建物、ただしこれ自体はただの人口の門で、特に意味はない。
問題はその門の内側だ。
ぐねぐねとまぁ一言でいえば歪んでいる空間。そしてその向こうには、異世界――楽園が広がっている。
今から20年前だ。
僕が生まれるよりも前の話、この異世界への入り口は突如東京湾に出現した。
そして異世界の生き物――魔物もだ。
当時は色々あったらしいが、魔物を食べたらMEC――魔素反応酵素が人間の体内に入り、そして魔素を使って、魔術を発動することができる。とわかった瞬間だ。
人とは強欲である。特に日本人、うまいものには眼がない人種だ。一瞬で、ここは魔術特区となり、魔術の最先端となった。
なんせMECは活性化すればするほど、新種の旨味成分として天にも昇る美食になるのだから。
それともう一つ。魔素反応酵素は、成長期……つまり子供の方が吸収しやすい。
それがここに魔術特区と言う名の学園都市がつくられた理由だ。つまるところ子供達を魔術の実験台にしたということだが。
魔術学園には、二つの役割がある。
魔術師を生み出すこと。これは魔術学科だな。
そして魔術師を生み出す料理を生み出す料理人を生み出すこと。
それが魔術ガストロノミー学科だ。
「はぁはぁ! 蓮太郎君! ごめんね、待たせて!」
「あぁ、全然待ってないよ。俺も今来たとこ」
「あはは、なんか今のデートっぽいね。えへへ」
汗をかきながらえへへと笑う野中。
よくよく見れば田舎娘だが美少女である。
てっきり恋人かと思っちゃった、手とか繋ぐ?
「なんだかすごい装備だな」
「だって、楽園だよ! 魔物がでるんだよ!」
野中は、今からアマゾンの奥地に向かうような重装備でやってきた。
いや、まぁ正しいんだろうけど。
「ちょ、ちょっと怖いけど……料理人目指すなら絶対通る道だもんね! というか蓮太郎君は、魔術師ライセンス持ってるだ」
「あぁ、四級だけどな」
魔術師ライセンス。
魔術特区が出来てから、世界魔術師教会なる怪しげな組織が認定して発行する身分証のようなもの。
これがなければ楽園には入れないし、一応魔術師の強さを測る指標である。
見た目はただの身分証。
しかし、魔術師のランク。そして料理人のランク。どちらも記載されている。
ちなみに僕の料理人ランクは何もない。
「四級って簡単にいうけどすごいよ? 私は、だめ。筆記試験でなんとか仮ライセンスはとれたから楽園にはいけるけど」
「何か魔術一つはつけないとだしな。じゃあ、もう申請は済ませたか?」
「うん!」
頷き、僕たちは門へと近づく。
門の前には地上からの入場口がある。たまに飛行機が飛んで入っていくときもあるこの門。
入場口には、ファンタジーに似つかわしくないまるで駅の改札があった。
僕たちは、魔術師ライセンスをタッチする。ICチップである。なんか妙に現代感。
「き、緊張するね」
「……そうだな」
そして僕は2年ぶりだろうか。
異世界……楽園へと足を踏み入れた。
皮肉な名前だな、と思いながら僕にとっては冥府への入り口へ。




