第4話 編集試験ー4
天下原雫は、包丁を握れなくなった兄を見る。
なぜ兄が包丁を握れなくなったのか。その直接の原因は実は雫はわからない。
兄だけが魔王に呼び出されて、何かを調理した。
ワルプルギスの夜――七つの龍が目覚めた夜。
そして、私たちが助けられたその夜。
兄に重大な何かがあったことだけは確かだ。
地獄だったが確かに、かけがえのないあの研鑽の日々も多少は影響しているのだろう。
しかし、そんなものは兄にとっては些細なことだ。料理を嫌いになんてなるはずがない。
だが……確かにその夜、何かがあった。それが何かはわからないが、兄はどんなに追い詰められても料理をしているときは笑う。
どれほど辛くても……確かに楽しそうに料理をしていた。
魔王の晩餐会は、一週間に一度開かれる。
魔王はもちろん、目が合うだけで戦慄するような魔力を持つ魔界の支配者たちがずらりと並ぶ。
彼らは貴族で、異世界の奥深く――魔界を統べる最上級の生命体。
その貴族達が。
「な、なんだ……この料理は! 見たこともない!」
「まさかこの私が……一食で、魔力限界を突破した……だと?」
「魔王様! 素晴らしい料理です! ブラボー!! ブラボー!!」
「数百年ぶりだ。この感動は!! 料理人は誰だ!!」
絶賛し、夢中になる料理。
それを作った兄が、貴族達の前に出て挨拶をする。
魔王たちの賞賛、絶賛、喝采の声。
それは最上の誉れだが、彼らは、食事が終わると何も考えずにこういうのだ。
『次の料理も期待している』
その言葉がどれほど重いか、そんなことは考えない。
兄は毎度これ以上はない。そう思えるほどの極上の一皿を出す。が、欲は尽きることはなく、常にその上を求められる。
一週間ごとに最上を更新しなければならない。それはあまりにも短い。
だが兄はそのことごとくを成し遂げた。
私は隣にいたから知っている。
どれだけの研鑽と、努力を重ねて、その精神をすり減らしながらも突き進んだか。
だが、そうしなければ私たちはゴミの様に殺されていただろう。
そんな料理人を何人も見てきたから。
だから兄は、人類の誰も……貴族も、魔王でさえも見たことのない美食の果てに進んでいった。
私は知っている。
兄は本当に、料理が大好きだ。料理が大好きで大好きで、人生の全てだった。
だから何があったにしろ……もう一度料理ができるようになってほしい。
そのためならなんだってする覚悟がある。死ねと言われれば死ぬことだって厭わない。
私にとってお兄様が世界のすべてだから。
それに、もう一つ。
「……世界は知るべきです。その積み上げた研鑽の高みを」
人類の至宝ともいうべき天賦の才を、文字通り死ぬ気で磨き登った美食の頂。
その遥か高みにいるはずのお兄様が、あんなモブ共に侮られたままは許せない。
◇
1時間ほどが経った。
何人かが龍肉を調理し、雫に挑戦しに行ったが。
「食べるに値しませんね。不合格」
門前払いである。
味見すらしない。
だが、当然だろう。
「あわわ……みんな、すごく美味しそうなのに……」
「あれじゃだめだな」
「そ、そうなの? 私が提案した龍肉のシチューと同じ料理を出した人がいたけど、門前払いされちゃったし」
僕は野中が提案した龍肉のシチューを却下した。
その理由は周りを観察して、雫を見ていればわかると今はレシピの再検討と周りを観察中だ。
そして同じように様子を見ている学生がちらほらといる。
彼らは正しい。それが意図した者かはわからないが。
「理由を教えてください! なんで食べずにわかるんですか!」
「簡単です。そうですね、開始から一時間ほど……そろそろですか」
直後だった。
調理台の上に乗っていた龍肉が、熱を持ちだす。
湯気を出しながら、間違いなく常温ではない。
「なぁ!?」
「こういうことです。逆に聞きます。あなたは何を調理したんですか?」
「え? りゅ、龍肉です……が」
「龍という名前の魔物がいるとでも?」
「――!?」
そのとおり。
龍肉はあくまで龍種の魔物の肉の総称であり、品種名ではない。
鶏肉、牛肉、豚肉。と同じように、品種とは例えば黒毛和牛やブランド牛なんかが該当する。
とはいえ、牛肉ならそれほど大差はないだろう。しかし龍肉は違う。
僕はその龍肉に軽く触れる。燃えるように熱い。80度ほどだろうか。この赤身、硬さ、そして熱。
まぁ見ただけでわかってはいたんだが、確信する。
「調理難易度は下から二番目……三級。ワイバーン種のクリムゾン・ウィングの胸肉だな」
「さすがです、お兄様!! その通りです!」
「す、すごいよ。蓮太郎君! 触れただけでわかるなんで!」
「知ってるかどうかだけだ。この肉は冷凍保存されていた。そしてクリムゾン・ウィングは火属性のMana Enzymatic Catalysts。つまり魔素反応酵素を持つ。なら常温で1時間以上放置し、魔素反応酵素が自然に起きるまで待たないとだめだ。起きる前に熱を加えたり、過度の刺激を与えると、酵素が壊れる。これが火属性以外なら問題ないだが、火属性は氷と相性が悪いからな」
魔力食材は、魔素反応酵素を持つ。
文字通り、魔素に反応する酵素である。
Mana Enzymatic Catalysts、通称MEC。
MECは、旨味であり、そして魔術を発動するためのエネルギー……魔素を魔術に変換する役割がある。
つまり魔素というエネルギーを、自らの力に変換する酵素というわけだ。
魔力食材を調理し、MECを活性化。そして活性化したMECを取り込むことで自分のものとすることができる。つまり、魔術師になれるというわけだ。
そしてこのMECには、属性がある。
火、水、風、土、そして闇と光の六属性だ。
闇と光は例外として、それぞれに特徴がある。だから料理人は、その魔力食材が持つMECの属性を考慮して調理しなければならない。
僕はクリムゾン・ウィングの肉に手をかざす。
頭の中でいくつも調理方法が浮かんでくる。
「龍種の中でも群れを為すクリムゾン・ウィングは個体の強さは比較的弱いので強さは、調理難易度三級と同じ、捕獲難易度三級だ。有名なレシピはいくつもあるが、火属性に共通しているのは、短時間で一気に高温を加えること。元々火の耐性が高い種族だ。オーブンでじっくりとではMECは反応しない。なら自ずと調理方法は決まってくる。調理難易度D級だから、特別な調理方法は必要はないが、高い調理技術は必要だ。例えばシアリングとフランベを併用するのがいいかな。シアリングはこの個体なら300度キープ。高すぎてもMECを壊すし、低すぎても反応しない。問題となるのはフランベの時、なんの酒を使うかだが、これは……」
「お兄様」
「ん?」
僕がつらつらとクリムゾン・ウィングの調理方法を話していると、気づけば周りを受験者が取り囲んでいた。
メモを取っている人までいる始末だ。
しまった。今は試験中だった。
「…………えーっと。あとは考えよう」
「「えぇ!? 続きは!!」」
すると雫がパチンと手を叩き、解散を伝える。
しぶしぶといった様子で受験者は自分達の調理台に戻っていった。
「す、すごいよ。蓮太郎君! ほんとにすごい!!」
「知ってるだけだ。調理できなきゃ意味がない」
「それでも……ううん、なら私が調理を頑張らなきゃ!」
それから野中は、調理を始めた。
そして僕はそれを眺めていた。
料理をしようとするだけで、眩暈がする僕は野中の調理を手伝ってあげることもできない。
なんなら見てるだけで気分が悪くなってきた。
だが遠目でうっすらと見た野中の料理は――拙かった。
言い方を選ばなければ下手くそだった。
違う。包丁を入れる角度が。
違う。火入れのタイミングが。
違う。フランベの時間も、シアリングの熱量も。
ほとんどが違う。
MECはほとんど活性化していない。
もしこのまま、魔王に出せば出した瞬間、怒り狂って撲殺されるような料理だと思う。
でも。
「ふぅ……よし!! あとは盛り付けだ!」
まっすぐな料理だとも思った。
全力で取り組み、そして何より食べる人に美味しいと思って欲しい。喜んでほしい。そんな気持ちがこもった料理だった。
「雫さんが美味しく……食べれるように。今日はたくさん食べるだろうから、食べやすいように小さくカットして……赤身の部分を多めに」
野中は、あの忙殺されそうな日々で、いつしか忘れてしまった料理人の大事な心を持っていた。
「……受かってほしいな。彼女みたいな料理人に」
彼女はこの試験を落ちたら料理人を目指すのをやめてしまうのだろうか。
確かに今は技術はないが、そんなものは練習すればどうとでもなる。
そんなことより、ずっと大事なものを持っている気がする。
だが、これは試験だ。
そして雫は、忖度なんてしないだろう。
美味しいものは、嫌いな奴が作っても美味しいというし、まずいものは、僕が作ってもまずいと言う。
僕たちは料理に対しては、嘘はつけない。
ついてはいけない。
だから……。
「――不合格」
「え?」
その結果も当然だった。
野中が作ったクリムゾン・ウィングのロースト、それを一口だけ食べた雫は突き放すようにそう言った。
レシピは正しい。でもレシピ通りに作れば美味しくなるなら、料理人は必要ない。
「な、なんで……レシピ通りに!」
「レシピは間違っていません。単純にあなたの腕の問題です。包丁の切り口一つで口触りが変わります。切り口が変われば、火入れの長さも変わります。シアリングも300度をキープしなければならないのに、肉を入れた時、火力を上げなかったせいで温度が低下しました。他にも指摘箇所が30以上……つまるところあなたは、クリムゾン・ウィングが持つ魔素反応酵素をダメにした。料理人として不合格です」
「…………そんなぁ。私……食材をダメに」
野中は、膝をついた。
雫の言っていることはすべて正しい。
はっきり言う。野中は食材をダメにした。
でももっと優しく言ってあげても……と思ったが、雫は厳しいが本当は優しいのを僕は知っている。だから。
「もうやめますか?」
「え?」
雫は項垂れて膝をつく野中の前に立つ。
「勝負の世界は一度きり。誰がまずい料理を出した店にもう一度来てくれますか? ましてあなたが目指すのは、今や軍事力とすら言われる魔力食材の料理人。必要なのは、一度でも失敗したら死ぬと思うほどの覚悟です。それを持つ者とそうでない者の差は、一生埋まらない」
そして手を差し伸べる。
「ですが、初めからできる人はいません。だからこの学び場があるのです。私だってそう。初めは稚拙極まりなかった。でもお兄様を助けたくて、隣に立ちたくて、必死に頑張って今がある。あなたはどうしますか? あなたは何のために料理をしますか?」
「なんのため…………」
そういって野中はその手をとって、力強く立ち上がった。
「お母さんを超える料理人になるって、母の墓標に誓いました!」
「そうですか。なら膝をついている時間はありませんね。制限時間は迫ってますよ」
「はい!」
一度は折れそうになった野中はもう一度立ち上がって料理を作り直した。
何度も何度も作り直して、雫にダメだしをされて、またつくる。
他の受験者も挑戦するが、誰一人雫に美味しいと言わせられず、遂に半日が経った。
「もう……だめだぁ」
「神卓の魔術師、ましてや特級料理人に美味しいなんて言わせられるわけがねぇ!」
「もう料理人、諦めようかな……」
「龍肉美味しい! 龍肉美味しい!」
ほぼすべての受験者が諦めていた。
中にはここぞとばかりに龍肉を貪っている奴もいる。
あ、連れていかれた。そりゃそうだ。結構高いんだぞ、龍肉。
そして野中は。
「300度……300度!! 絶対にキープ!」
まだ諦めていない。
いや、彼女はおそらく諦めないだろう。
そして何十回目の審査、そして突きつけられる不合格。
「初めに出された料理から確かに前に進みました。が、想いだけで料理が劇的に上手くなるわけがありません。不合格」
「…………もう一度お願いします!!」
そしてもう一度、野中は龍肉と向かい合う。
疲弊していた。当たり前だ。人の全力の集中は1時間半が限界と言われている。
もう半日以上、料理を続けているのだから。
でも彼女はまた包丁を握った。
「なぁ、なんで……そこまでするんだ」
「え?」
「命がかかってるわけじゃない。料理なんてカップ麺でも十分だ。もう頑張ってるのは野中だけだぞ」
「え? うーん、なんて言ったらいいかわからないけど、私、お母さんの料理が大好きだったんだ。食べた時感動した。だから同じような感動を誰かに与えたい。そう思った。それと……うまく言えないけど、ここでやめたら私、多分料理人になれない気がする。あ、それとね!」
そして野中は汗だくの顔で、にこっと笑う。
「ここまで付き合ってくれた雫さんに、美味しいって言ってもらいたいもん!」
「…………そっか」
それを聞いて、僕は野中の隣に立った。
つまり、調理台の隣にだ。
その瞬間、纏わりつくように僕が殺した人たちの亡霊が僕の腕をつかみだす。
これは僕の呪いだ。僕の贖罪だ。
自分が生き延びるために、みんなを殺した僕は、料理人の資格はない。
だから、もう自分のために料理はしないと決めた。
料理は嫌いだ。料理は嫌いだ。僕は何度でもそう言うだろう。
そう言わないと、この抑え込んだ心が揺れてしまいそうになる。
でも、これは僕のけじめだから。
でも、今回だけ許して欲しい。
これは僕のための料理ではなく、誰かに美味しいと言ってもらいたいだけの純粋な料理人のためだから。
「よく見てて、野中。何か掴めるといいけど」
「蓮太郎君?」
「お兄様……」
僕は包丁を握る。全身が重く、汗が止まらない。
眩暈も吐き気も、とても立っていられない。でも一刀だけなら。
――集中――
「れ、蓮太郎君? なに……これ。震えが……」
「お、おい……なんだ? 動けねぇって」
「寒い……いや、怖い? 鳥肌が」
「心臓がすごく……ドクドクしてる。蓮太郎君が包丁を握っただけなのに、緊張して呼吸が苦しい」
包丁を握る。
肉を見る。この眼ではっきりと肉を見る。
ここを切れと魔力が波打って、僕は静かに包丁に力をいれる。
「お兄様の集中が……魔力を通して、空間を支配しているんです。この身震いするほどの鋭さ。あの日からなんらお変わりなく……雫は安心しました」
肉に包丁が触れる感覚。
久しぶりだな……あぁそうだった。
料理ってこうだった。
切った瞬間、その魔力食材のポテンシャルが花開く。
黄金色の華が咲いて、部屋を金色に輝かせる。
完ぺきな切り口の証拠、MECの金色の輝きが部屋を包んだ。
あとがき。
お久しぶりです。KAZUです。
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