第九章:崩壊した仮面と愛の誓約
Ⅰ. 破られた「お達し」
王宮から、王命が下された。
アルティス・ノクスは、「公女の心身の安寧を乱した」という名目で、セレネア・ルーメンとの「お飾りの婚約者」の職務を、正式に解任された。
その夜。セレネアは、離宮の自室で、白金の髪を乱し、涙に暮れていた。彼を失うという悲痛な事実は、彼女を「聖女」の殻から完全に引きずり出した。
扉が開き、アルティスが入室した。彼は、王命を受けたためか、先日までの激情が嘘のように、冷徹で静かな装いに戻っていた。彼の藍色の瞳は、決別の意を固めたかのように、何も映していなかった。
「セレネア様」アルティスの声は、感情を排した「職務」そのものだった。 「私は、これをもって貴女の『お飾りの婚約者』の職務を終えます。今後、貴女の護衛と均衡は……」
Ⅱ. 魂の懇願
セレネアは、彼の「冷たさ」に耐えられなかった。もう、彼の偽りの優しさを疑う必要も、聖女の矜持を保つ必要もない。彼女は椅子から飛び出し、アルティスの黒い軍服に、崩れるようにすがりついた。
「行かないで!アルティス公!」セレネアの涙が、彼の胸元を濡らした。「もう、職務だなんて言わないで!わたくしは……貴方との、この絆を失うことに耐えられません!」
彼女の太陽の魔力が、アルティスの月魔法に泣き叫ぶように流れ込む。その切実な魔力は、彼が必死に保っていた鋼鉄の仮面に、亀裂を入れた。
アルティスは、腕の中にいる震える太陽を前に、もはや冷静でいることができなかった。
「……絆、ですか」
彼の藍色の瞳が、激しい熱を帯び始めた。
Ⅲ. 崩壊と愛の責任
アルティスの腕が、硬い鋼のようにセレネアの背中に回された。彼の声は、抑えきれない情熱で震えていた。
「貴女のその強い光に、この私、月を操る者が、焦れずにいられましょうか!」
彼は、もう「公」でも「職務」でもなかった。一人の男として、彼女の魂の叫びに応えていた。
「貴女のせいで、せっかくの私の冷徹な仮面も、ユリウス殿下の御前ですっかり壊れてしまいました」
アルティスは、セレネアの顔を優しく持ち上げ、その熱に濡れた金色を見つめた。彼の表情は、愛と激情に歪んでいた。
「セレネア様。この責任を、貴女に取っていただいても、よろしいでしょうか?」
甘い言葉と裏腹に、彼はセレネアを激しく掻き抱いた。
Ⅳ. 魂の融合
二人の体が触れ合った瞬間、双律の誓約の共鳴が大爆発した。
それは、魔力的な融合であり、精神的な交流だった。
セレネアの熱い太陽の魔力が、アルティスの冷たい月魔法に、激しく絡みつく。アルティスは、彼の全てで彼女を受け止めると、その震える唇を、セレネアの切実な唇に深く重ねた。
その口付けは、理性の鎖を断ち切るように深く、互いの魂を入れ替えるように情熱的だった。アルティスの手は、白金の髪の中に深く潜り込み、彼は、セレネアのうなじへと口付けを落とす。
セレネアは、彼の唇から流れ込む清涼な魔力によって、彼の孤独と、裏での献身的な護衛の記憶を、全て知覚した。
(ああ、アルティス。貴方は、ずっと、こんなにも孤独で、私を……!)
アルティスは、彼女の口付けを通して、「お飾り」の殻の下に隠されていた、純粋な恋慕の感情を、全て受け取った。
彼らの魔力は、光と影の粒となって部屋中を舞い、愛の誓約を交わしていた。
アルティスは、激情に駆られ、彼女の細い腰に手を添え、体を密着させる。
「セレネア……君は、私の命だ」
彼は、肉体的な限界の淵に立っていた。しかし、鋼鉄の理性の最後の残滓が、彼を押しとどめた。この愛は、真の自由を得てから、彼女の意思のもとで成就させるべきものだと知っていたからだ。
アルティスは、荒い息を吐き出しながら、愛する唇から、かろうじて離れた。
「……これが、貴女に取っていただく責任の、始まりです」
セレネアの耳に熱の篭った囁きが届く。彼の藍色の瞳は、まだ激情の炎に満ちていた。




