第八章:同じ月が見る三者三様の想い
Ⅰ. 影の騎士の愛と苦悶
その夜。ノクス公爵家の自室に戻ったアルティスは、銀色の髪を乱したまま、窓辺に立ち尽くしていた。彼の藍色の瞳は、空に浮かぶ月を鋭く見上げていた。
(仮面は、粉砕された。私は『職務』という鎖を捨て、『愛』という本能に従った。あそこで彼女を抱きしめなければ、あの熱はセレネア様を傷つけた。だが、私は彼女を救うと同時に、最も深く傷つけてしまった)
彼は、自らの手首を強く握りしめた。まだ手のひらに残る、セレネアの白金の髪の感触と、激しい鼓動の残熱が、彼を揺さぶる。
「……アルティス」
あの時、彼女が理性を失って呼んだ自分の名。それは、「お飾りの婚約者」としてではなく、「魂の伴侶」として彼を受け入れた証だった。
( 彼女は、私を拒絶しなかった。私の影と、私の熱情を……。だが、ユリウス王子は王家に報告するだろう。私は、セレネア様の安全を脅かす存在として、この「お飾りの座」を追われる。 いい。その方がいい。私は影に戻り、誰にも知られずに、彼女の護衛と王家の調査を続ければいい。その方が、彼女の光を守れる……)
しかし、彼の心は、もう二度と、彼女の温もりに触れられないという事実に、激しく痛んでいた。
Ⅱ. 聖女の覚醒と戸惑い
セレネアは、離宮のベッドに横たわっていたが、眠れずにいた。彼女もまた、窓から月を見上げていた。その金色に揺れる瞳は、まだ混乱していた。
(冷たい鎖。彼は、私にそう言った。感情を否定し、私を道具として扱った。なのに……あの抱擁は何? あの時、ユリウス様の熱で魔力が暴走したとき、私を救ったのは、彼の命懸けの熱情だった。彼の体温は、私の心臓の鼓動と同じ速さで脈打っていた)
彼女は、「お飾り」の殻が破られたことを感じていた。自分に向けられていたのは、職務ではなく、深く抑圧された愛だったのではないか。
ユリウス王子の正直な憧憬は、彼女の「聖女の殻」を刺激しただけだった。だが、アルティスの「命懸けの激情」は、彼女の魂を揺さぶった。
(私は、アルティス公に愛を求めたのではないか?……彼は、私を守るために、あえて冷たく振る舞っていたのではないか?もし、彼がこの場を追われたら、私は……)
彼女は、自身の恋慕の感情に戸惑いながらも、彼が去るという未来を恐れていた。
Ⅲ. 王子の嫉妬と誤算
ユリウス王子もまた、王宮の自室から、月を見上げていた。エメラルドの瞳は、怒りと敗北感で満ちていた。
(馬鹿な真似をした。私は、ノクス公を屈辱を与えるつもりで監視を申し出た。なのに、あの男は私の目の前で、セレネア公女を抱きしめた!そして、あの女は、あの冷たい男の名を呼んだ……)
ユリウスは、アルティスの行動が「職務」という建前で通ったことに納得がいかない。彼にとって、アルティスの冷たさは傲慢であり、自分の熱こそが真実の愛だ。
(あの男の存在は、セレネア公女の精神的な安定を著しく脅かす!私は、王国の秩序と公女の安寧のために行動するのだ。これは私情ではない……いや、私情だとしても、私の方が、あの冷たいノクス公よりも彼女を愛している!)
彼は、自身の愛と嫉妬を、「王族の責務」という大義名分で塗り固めた。
「アルティス・ノクスは、セレネア公女から引き離されなければならない。王族として、私はこの事態を王に進言する」




