第七章:監視下の暴走と粉砕された仮面
Ⅰ. 極限の緊張
その夜。セレネアの離宮の一室は、かつてないほどの緊張感に満ちていた。
セレネアとアルティスに加え、深紅の装いのユリウス王子が、傍らの椅子に威厳をもって座っている。彼は、エメラルドの瞳を光らせ、「監視者」としての役割を誇示していた。
「ノクス公。さあ、『職務』を。公女に余計な苦痛を与えぬよう、私情を挟まないことを願う」
ユリウスの言葉は、アルティスの冷徹な仮面を強く叩いた。
アルティスは、感情を完全に押し殺した表情で、セレネアに向かい合った。彼は、第三者の監視があるため、いつものように冷静に魔力を流し込むことすら難しい。
「セレネア様。失礼します」
アルティスは、ゆっくりとセレネアの手首に触れた。
Ⅱ. 暴走する誓約
指輪が触れ合った瞬間、双律の誓約の共鳴は、ユリウスの存在によって極限まで増幅された。
ユリウスの熱を帯びた魔力(正直な恋慕と野心)は、セレネアの不安定な太陽の力を刺激し、鎮静とは真逆の発熱を引き起こす。
「――っ!」
セレネアの体は、急激に熱を帯び、彼女の金色の瞳が苦痛に歪む。
(熱い!アルティス公の魔力が、私を鎮静するどころか、灼き尽くそうとしているみたい……!違う、これはアルティス公だけじゃない。ユリウス様の熱すぎる視線が、私の魔力を暴走させている!)
アルティスは、自身の月魔法が、ユリウスの魔力とセレネアの太陽の力の板挟みになり、鎮静の役割を果たせないことに気づいた。
「ノクス公!何をしている!公女が苦しんでいるぞ!」ユリウスが立ち上がった。
ユリウスの「監視」と「正直な愛」という名の干渉は、アルティスの「職務」を完全に阻害した。
Ⅲ. 仮面の崩壊と行為未遂
アルティスの脳内で、「職務」という名の鎖が千切れた。彼に残された選択肢は、理性を捨て、愛をもって彼女を救うことだけだった。
彼は、セレネアの手首を掴んでいた手を、彼女の背中へと回した。そして、監視者のユリウスがいるにも関わらず、彼女を激しく、強く抱きしめた。
アルティスの銀色の髪が、セレネアの白金の髪に触れ合う。
( 職務ではない!これは、私の意志だ!この影で、君の全てを覆う!)
アルティスの月魔法は、影の結界としてセレネアを完全に包み込み、外部のユリウスの熱と、セレネア自身の暴走する光を、強制的に融合させ、安定させようとした。
魔力の化学反応!
影の結界の中で、二人の魔力が、魂のレベルで深く混ざり合った。セレネアは、苦痛から一転、彼の体温と月魔法の清涼さに、溺れるような安堵を感じた。
「ノクス公!何という無礼だ!公女から離れろ!」ユリウスが激昂した。
その声は、アルティスには届かない。彼は、「お飾り」の婚約者の仮面を完全に捨て、「愛する者を守る男」の顔をしていた。
セレネアは、理性を失った熱情に翻弄され、無意識に彼の首筋に腕を回す。彼女は、彼の冷たい装いの下にある熱い鼓動を求め、彼の名を呟いた。
「……アルティス……」
Ⅳ. 悪手の代償
ユリウスは、目の前で繰り広げられた「愛の暴走」と、セレネアの無防備な要求に、言葉を失った。
彼の正直な憧憬が、アルティスを愛を否定する仮面から解放し、本能的な熱情を暴走させてしまったのだ。
アルティスは、セレネアの魔力が安定したことを確認すると、一瞬、彼女の額に額を合わせるという極めて親密な動作を行い、すぐに体を離した。
彼の藍色の瞳は、激しい熱を帯びていたが、すぐに元の冷徹さを取り戻した。
「失礼いたしました、ユリウス殿下。セレネア様の魔力が急激な刺激により暴走しました。私情を排した強制的な抱擁が、鎮静を成功させる唯一の方法でした」
アルティスの言葉は、建前としては成立していたが、その乱れた呼吸と炎のような瞳は、誰の目にも「私情」が混ざっていたことを示していた。
ユリウスは、自分の「お節介な監視」が、アルティスの熱情を暴き、セレネアの心に決定的な亀裂を入れたことに気づき、顔面を蒼白にさせた。
セレネアは、急激な魔力の安定と、彼から受けた激しい熱情によって、心身ともに放心状態となっていた。彼女の心は、「冷たい鎖」と信じていた相手の中に、「命懸けで自分を求める愛」があることを知ってしまった。




