第五章:儀式の中の真実
Ⅰ. 揺れる聖女
深夜。セレネアの離宮の部屋。
「鎮静の接触」は、今や二人の間で最も親密で、最も緊張感のある時間となっていた。アルティスは、約束の通り時刻通りに訪れ、無駄な言葉は一切交わさない。
彼は、セレネアの向かいの椅子に座り、彼女の手首をそっと掴む。
接触した瞬間、いつものように、双律の誓約が激しく共鳴した。セレネアの体は、アルティスの清涼な月の魔力に安らぎを覚えるが、同時に、彼の魔力が自身の内部深くへと流れ込むにつれて、魂が触れ合っているような強烈な熱を感じる。
(熱い。この感覚は、儀式ではない。まるで……彼も私を求めているかのような……。 彼の指は、氷のように冷たいのに、そこから流れてくる魔力は、私を芯から震わせるほど温かい)
彼女はアルティスの藍色の瞳をじっと見つめた。そこには、いつものように感情のかけらもない。しかし、彼女の金色の瞳の奥には、ユリウス王子から向けられた剥き出しの憧憬と、この冷たい婚約者から受ける秘密の温もりとの間で揺れる、強い混乱があった。
鎮静のための数秒間の沈黙が、永遠のように感じられたとき、セレネアは、意を決して問いかけた。
Ⅱ. 禁断の質問
「ノクス公」
彼女の声は、か細いながらも、静寂の中で鋭く響いた。
「この『鎮静の接触』は、確かに私の魔力を落ち着かせます。ですが、あなたが私に触れているこの数秒間も、あなたは『職務』としてしか、私を見ていないのですか?」
その質問は、アルティスの冷徹な仮面の真下を、正確に射抜いた。
(見ていない。見ている。君は私の全てだ。路地裏で君を見たあの日から、君は私にとって、守るべき太陽になった)
彼の指先から、一瞬、魔力の流れが途絶えた。セレネアの手首が、その変化に微かに震える。
アルティスは、心の奥底で燃え上がる激しい感情(嫉妬、渇望、愛)を、冷たい月魔法の力で無理やりねじ伏せた。ユリウス王子が「お飾り」の立場を公然と利用し、彼を「道具」と貶めている状況で、ここで少しでも感情を見せれば、セレネアは王家の次の標的になる。
彼は、あえて、より冷徹な態度を選んだ。
「セレネア様」
アルティスの声は、氷のようだった。
「わたくしは、王家の秩序と、貴女の魔力の均衡を保つという職務を全うしています。それ以上の、不要な感情は、この儀式には存在しません。もし貴女が、この接触に職務以外の感情を求めておられるのであれば、それは貴族として、聖女としての矜持を欠くことになります」
そして、彼は彼女の手首を掴む力を強めた。
「わたくしの冷たい魔力が、貴女の不要な熱を鎮めることを、改めて思い出してください」
Ⅲ. 悲劇的な結末
アルティスは、鎮静の効果が完璧に達したことを確認すると、有無を言わさぬ速さで手を離した。
( 彼は、私を「不要な感情」を持つ矜持のない女だと、公然と否定した。あの路地裏の優しさは、やはり私の錯覚だったのね。彼にとって私は、調整すべき道具でしかない)
セレネアの瞳から、金色の光の粒が、一筋、床に落ちた。それは、彼女の心が深く傷ついた、魔力の涙だった。
アルティスは、その光を見て、自身の胸が深く抉られるような痛みを覚えた。だが、彼は視線も合わさず、無言で部屋を去った。
( ……これでいい。君に私を嫌悪させることが、君を守る唯一の方法だ。 君の孤独な光を守るには、私は不吉で冷たい影でい続けなければならない)
彼は部屋を出ると、誰もいない廊下で、自身の手首を強く握りしめた。彼の冷たい藍色の瞳は、燃えるような嫉妬と悲痛な愛で歪んでいた。




