第十二章:影の騎士と夜の逃避行
Ⅰ. 影の潜入
深夜。アルティスの全身は、濃密な影の魔力に包まれていた。彼は、ノクス公爵家の監視を影の粒子となって掻い潜り、王宮のユリウス王子が強化した監視網を、月魔法の力で静かに無力化していく。
( ユリウス王子は、私が王命を無視して動くとは、夢にも思っていないだろう。彼は、自らの正直な憧憬に酔い、愛する光が今も彼の所有物だと油断している)
アルティスは、かつて「お飾りの婚約者」として通った、セレネアの離宮の窓に、音もなくたどり着いた。
窓は施錠されていたが、アルティスは影の魔力で錠前の機構を内部から操作し、静かに開いた。
Ⅱ. 魂の再会と切迫した抱擁
薄暗い部屋の中で、セレネアは黒いフード付きのマントを纏い、金色の瞳に、強い決意と不安を混ぜた光を宿していた。
「……アルティス公」
セレネアが声を潜めて呼んだ瞬間、アルティスは影の粒子から実体を取り戻した。
「セレネア。公は不要です」アルティスは、彼女に一歩近づき、藍色の瞳で、彼女の覚悟を確かめるように見つめた。「夜警として、貴女を迎えに参りました。命懸けの旅路となりますが、覚悟は?」
「はい」セレネアは、迷うことなく頷いた。「貴方と共に、誰の『お飾り』でもない場所へ行きます」
アルティスは、もはや言葉を交わす必要はなかった。彼は、彼女を強く抱きしめた。それは、激情よりも、再会と安堵を優先した、誓約の愛の抱擁だった。
「私の太陽。君の光は、私が必ず守る」
Ⅲ. 追手の到来と一触即発
しかし、二人の再会の時間は短かった。
アルティスが影の魔力で王宮の監視を無力化した僅かな隙を、ユリウス王子が仕掛けた別の魔力監視が察知した。
遠くから、複数の足音と、ユリウス王子の怒声が響き渡った。
「ノクス公!王命に背くとは!そこにいるのはわかっているぞ!」
ユリウスは、裏切られた激しい嫉妬と王族としての怒りで、エメラルドの瞳を燃やしていた。彼の熱を帯びた魔力が、離宮全体を包囲し始めた。
「セレネア様!私は貴女を愛の鎖から解放しようとした!なぜ、あの冷たい道具を選ぶのだ!」
「急ぎます」アルティスは、セレネアを離すと、彼女のマントのフードを深く被せた。
彼は、窓の外を見据えた。武装した兵士たちが、離宮を取り囲んでいる。
Ⅳ. 影と光の逃避行
「セレネア。私に掴まってください。月魔法で、この場を切り抜けます」
アルティスは、セレネアの手を強く握った。その銀色の指輪と金色の指輪が触れ合い、双律の誓約の共鳴が、強力な防御の結界として二人の周囲に展開された。
彼らの融合した魔力が、窓の外の兵士たちに影と光の幻影を見せ、動きを鈍らせる。
「逃がすか!」ユリウス王子が、怒りに任せ、赤みがかった魔力の奔流を部屋に放つ。
アルティスは、セレネアを抱き寄せ、月魔法の最も濃密な力を使った。
影の粒子が部屋を満たし、アルティスとセレネアの二つの影は、あたかも一つの影となったかのように、壁を滑り、床に沈み込み、窓の隙間から、王宮の外の深い闇へと、一瞬で消え去った。




