三流悪役令嬢の流儀 11
手を掴まれて、僅かに引き上げられる。
「……がはっ……ごほっ……」
私は口の中に入っていた水を、全て吐き出す。
「大丈夫!?」
「……クライ、ス……さま?」
「そう、しっかりして! すぐに助けるから」
私の手を引っ張ってくれるが、ゴーレムの泥に足が囚われていて持ち上げるのは難しいだろう。
「……っ、ぁっ……この、ままでは……クライス様も落ちて……手を、離して……くださっ……」
「……っ……」
クライス様が眉を顰める。珍しいな、こんな顔。
「……あなた……を、巻き込むわけに、は……手を……離し……」
「……っ」
恐らく、誰かを呼びに行くか迷っているのだろう……どちらにしろ、この手を離されたら私はすぐにでも沈んでしまう。
私のことを助けようとしてくれた人がいた。それだけで、十分だ。
「……ありが……とう……ござ……っ……」
微笑みかけると、クライス様の表情が歪む。
「…………アルメリア」
彼の手が離れて行き、私はほっと息を吐く。これでいい。
そう思っていたのに、彼は何故か沼の中に入ってくると、正面から腰に手を回して私を抱きかかえる。
「……げほっ……なにを考えてっ……!?」
私を抱えたまま、ずずっと沈むクライス様。
「あー……やっぱり無理そう」
「……っ、当たり前でしょう!?」
「まあでも、君のいない世界はつまらなさそうだし、君が死ぬなら俺も死ぬよ」
「……は? ばっ、バカなんですの!?」
「あははっ、そうかもね」
「なにを笑って――!」
「……アルメリア嬢」
真っ直ぐに私を見つめてくるクライス様が、美しく微笑む。
「……助けられなくて、ごめんね?」
なによ、それ……なんで、この人が謝るの? わけが分からない。視界が歪みそうになって歯を食いしばる。
私は深呼吸をすると、肚に力を込めて口を開く。
「――バッカじゃありませんの!? このアルメリア・スピネルの名にかけて、貴方だけは絶対に死なせはいたしませんわ!!」
そう言うと、水の上で気絶している妖精を掴む。
「起きなさい、このバカ妖精! もともと貴方のせいでしょう!?」
大声で叫んで揺らすと、妖精が目を開く。私を見て逃げようとするが、握り込んだ手に力を入れて睨みつける。
「今すぐ助けを呼んで来なさい!! 逃げたりしたら祟ってやりますから! 一生眠れない毎日をお約束しましてよ!! 分かったのなら、即行動っ!!」
妖精は何度も頷いてから、ふらふらと飛んで行く。
「――クライス様。あの妖精が戻ってくるまで、耐えられますか?」
だが戻って来なかった場合のことも考えておかねばならない。誰か通りかかってくれればいいが、辺鄙な場所なので希望は薄いし……。
考えていると、ふと視線を感じたのでクライス様の方を見ると、何故か恍惚とした表情をしていて驚く。
「はは……っ、君ってば、ほんと、最高♡」
「こんなときに、何を……」
言葉の途中で地響きが鳴り、視線を上げる。
『おねえちゃ〜ん!』
――この声は!
「ヌメ太!!」
ずぉん、ずぉん、と凄まじい音がこちらに向かって来る。高い木々を掻き分けて出てきたのは、全長二十メートルはありそうな何本もの触手を持った半透明の生き物であった。
「誰―!?」
私が叫ぶと触手が伸びてきて、クライス様と共に沼から引き摺り出してくれる。そのままゆっくりと地面に降ろされると、はっと息を吐く。
『おねえちゃん〜おにいちゃん〜! ダイジョウブ? ケガしてない?』
「ぬ、ヌメ太……なのですか?」
『そうだよ〜!』
「いつの間に、そんなに大きくなったのです……?」
『ボクねぇ〜おねえちゃんたちがナマエをくれたからおおきくなれたみたいなんだぁ〜! いまはこのもりで〝ヌシ〟をやってるんだよ〜!』
「へぇ、主かぁ。凄いね」
「……え?」
驚いて声をあげると、クライス様が楽しそうにヌメ太を見ていた。
「おにいちゃんボクのコトバがわかるの?」
「うん、そうみたい。不思議だね」
クライス様は制服のジャケットを脱ぎながら笑う。ぎゅっと絞ると、それを私の肩に掛けてくれる。
「濡れてて、ごめんね。それから、ありがとう」
「え?」
「助けてくれて。君の言葉、嬉しかったよ」
「言葉……」
クライス様に言われて『このアルメリア・スピネルの名にかけて、貴方だけは絶対に死なせはいたしませんわ!!』……なんてことを、口にしたことを思い出す。
「あ、あれは……私のせいで、死なせるわけにはいかないというだけで……その……」
恥ずかしくなって視線を逸らすと、例の妖精が木の陰からこちらを覗き見ていた。
「貴方っ!」
目が合って逃げようとする妖精を急いで捕まえると、手の中で暴れる彼女に声をかける。
「貴方がヌメ太を呼んで来てくれたのですよね? ありがとうございます。助かりましたわ」
私の言葉が意外だったのか瞬きを繰り返すと、にたりと笑いふんぞり返る妖精。
「……なにを調子に乗っていますの? 元はといえば貴方が原因でしょう? 貴方のせいで私もクライス様も死にかけたのですから、お詫びに鱗粉を寄越しなさいっ!!」
びしょびしょの制服のポケットから小瓶を取り出すと、暴れる妖精から出た鱗粉を瓶の中に入れる。
「これで課題クリアですわ! おーほほほっ!」
高らかに笑うと妖精は怯えて何処かへと行き、ヌメ太も『またあそぼうねぇ〜』と言って帰っていった。
「……いろいろありましたが、何とか課題は達成できましたわね」
クライス様に声を掛けると、私たちは互いの姿を見て笑い合う。
「ひどい格好ですわね」
「アルメリア嬢こそ」
「……アルメリアで構いませんわ」
「俺もクライスでいいよ」
その言葉に私は小さく笑うと、僅かに目を伏せる。
「貴方を呼び捨てにするのは、私には少々ハードルが高いですわね」
「ダメ?」
「ダメです」
「そう。残念」
微笑んでいるクライス様が手を差し出して来たので、その手を取ると引っ張られて柔く抱きしめられる。
「……は!? な、なにを……」
「……もう一度言うね。ありがとう、アルメリア。君の言葉、すごく嬉しかった」
「……ぁ……」
思いがけない言葉に、唇をきゅっと結ぶ。
「と、当然ですわ。私のせいで、死なせるわけにはいきませんもの」
「……あはは、そっか」
私は雑魚キャラだ。ダメダメな三流だ。でも、私を助けようとしてくれた人を死なせるようなことだけは絶対にさせない。これは私の……三流悪役令嬢なりのプライドだ。
ふっと息を吐くとクライス様の背中を、とんとんと優しく叩く。
「……私も……助けに来てくれて、とても嬉しかったです」
「……うん」
ゆっくりと離れて行く、クライス様。至近距離で目を合わせると、また互いに笑い合う。
「――それじゃあ、先生たちのところに戻ろうか」
「そうですわね」
手を引かれながら、二人で森の中を駆け抜けて行くのだった。




