その愛は偽りか
――――それは世界に蒔かれた【悪】だった。
病棟の外は綺麗な庭園となっており、入院患者やその家族たちの憩いの場になっていた。
真尋は雫と寄の三人で、なるべく端のベンチを占拠する。庭園は本格的な春に向けて、様々な花々の蕾が散りばめられていた。
「私たちも当然ながら、総てを知るわけじゃないわ」
という寄の前置きから、この国に起こった真実は告げられた。
第一次世界大戦の末期、新しい兵器として人体改造が行われた。戦闘で優秀な家系に鬼の血を掛け合わせ、人外の身体能力を誇る【鬼神】の研究だ。
その【鬼神】はいくらか成功し、大戦時は大きな活躍を挙げていた。
しかし第二次大戦時頃には血が薄まってきており、活躍は芳しくなく終わった。
ただし、その【鬼神】の遺伝子は脈々と受け継がれる。血が薄まった家が多いなかで、ほんのひと握りの家系が血族結婚や人工授精を繰り返し、血を保ち続けている。
ゆえに雫や寄のような鬼の血が濃い子供がいまも次々と生まれ、成長しているのだ。
高遠家もその一族の一員であり、能力値の高さから期待され続けていた。
そうして期待されて生まれた真尋は、しかし無種子。
このままでは高遠の血が途切れてしまう、と恐れた真尋の両親は、周囲に内緒で代用品として四半種子の子を養子にした。
その養子こそが慎司であり、彼はその真実すべてを知った上で、真尋に兄と名乗っていた。
両親はまだ、信じて疑わなかったのだ。
真尋は無種子ではなく、鬼の血の覚醒が遅いだけだと。
ゆえに無種子である真尋であっても丁重に扱われ、慎司は彼の代用品であると同時に守護役も引き受けていた。
「だから……だから兄貴は、俺のことを守り続けていた……?」
半ば信じられない、信じたくなくて口にしてみたものの。
そうとしか思えなくなってしまった。
だからあんなに苦労して高校まで行かせてくれて、大学まで行かせようとしていたのか、と。
無償の愛ではなく、義務感で。
「だったらなんで……勝手に守って死ぬんだよ!」
血の繋がりもない、赤の他人。
ましてや『代用品』とまで扱われているのなら。
「義務なら守らなくてもいいだろ!?」
怒りの矛先は木製のベンチへ向かい、拳が木を叩く音が周囲に拡がった。比較的近くにいた人びとはなんだなんだと騒ぎ始めたが、寄がどうにか取り成したお陰で散っていく。
真実を語った寄はただ、見守ることしかできなかった。そんな寄の優しさすら、いまの真尋には痛い。
毎年の誕生日は恥ずかしいくらい大袈裟に祝ってくれていた。
お年玉を欠かさずくれるし、みなきと一緒に一生懸命ご飯を作ってくれた。
勉強も教えてくれて、笑いあったり、叱られたり。まるで本当の兄貴のように、ずっと見守ってくれていると思っていたのに。
慎司を罵倒することでしか、混乱する自分のこころを守る術が思いつかない。なのに。
「…………っ!」
こんなときに限って、なにも言葉が出てこない。優しい笑顔の慎司しか、頭に浮かばない。
真尋にとっては『大好きな兄貴』だった。
だけど真実は残酷に、偽りの愛情を告げていたのだ。
「あなたと慎司の関係がどんなものか、いつも見ていたわけじゃないけど」
真尋が顔を伏せていると。
これまで沈黙を守り続けてきた雫が真尋に歩み寄り、単調で静かに言った。
「あの人はあなたに、たくさん愛情を注いでたと思うよ」
「っなんでそんなこと、わかんだよ!?」
――――無責任な行動も言葉も、もうたくさんだ。
これ以上、叶わない希望を見出させないてくれ。
「わたし、普段はほんとうの言葉しか使わないし、聴かないから」
と、雫はいつもと変わらない顔でそう言った。
「それってどういう――――」
意味を訊ねようとしたその瞬間。
「慎司くん!」
みなきが嬉しそうに真尋のもとへ駆け寄り、雫に質問するタイミングを失った。
「みなきねえ……みなき、どうしたんだよ」
思わず真尋として接しそうになったところを、無理矢理に慎司を作って訊ねる。するとみなきは「んふふ」と嬉しそうに笑って、飲み物の小さなパックを二個差し出した。
「一緒に飲もうと思って」
「このメーカーの、好きでしょ?」と言って真尋に渡した飲み物は牛乳。慎司の好きな飲み物だ。
しかし反対に真尋は牛乳が苦手で、みなきも知っているはずだった。
「あ、ありがと……な」
みなきを傷つけてはいけない、慎司になりきらないと。
しかしどうしても飲めない。
「あ、あとでもらうわ。いまちょっと……」
「調子悪いの? もう帰って休んだらどう?」
みなきが心配そうに切り出してくれたものだから、真尋も今日はもう帰って明日また見舞いに来る、ということで事なきを得た。
「あなたはこれから、どうするの?」
「どうって……なにが?」
どうも雫の質問の一回目は、要領を得ないときばかりだ。
少しずつ、絡んだ糸を解くように訊ねていかないと、会話にならない。
それを本人も少しは自覚しているようで、質問内容がわずかずつではあるが、具体的になっていった。
「あのヒト、あなたを見ていないのよね?」
真尋は手にしていた牛乳のパックを取り落とした。
雫は無自覚で鋭い意見を言うものだから、油断ならないのかもしれない。
「『自分』を見てもらえないって、すごくつらいと思う」
まるで経験談のような語り口調。
言い返せたらよかったのかもしれない。「そんなことない」って、否定できたらよかったのかもしれない。
落とした牛乳パックの潰れた角を撫でながら、真尋は苦々しい微笑みで答えた。
「でも――――兄貴が最後に遺してくれた、家族だから」
「……あなたは嘘つきね」
人生のすべてをすり潰され、存在そのものを代用品として扱われた。それでも最後まで守ってくれた兄。
――――だから俺は、みなきの前では『高遠慎司』でいなくてはいけない。
兄から唯一の愛する人を奪ってはいけない。
たとえ彼女を愛しているとしても、それは慎司の感情なのだ。
そう言い聞かせることでしか、真尋は【自分】を保てずにいた。




