罪か罰か
「――――俺に、殺させてくれ」
首なしになり、ヒトとしての生命を終えた慎司を殺す役を自ら買って出た瞬間。
我ながら信じられない言葉を口にしたな、と真尋自身も内心で驚いていた。
しかしこの場でそれ以上に驚きを露にしたのは、黒髪の乙女――――雫、と呼ばれていた少女。
普段から感情を表にしないだけに、一番付き合いの長い金髪の少女――――寄さえも彼女の心の変動には驚いていた。
「このまま生きてたって、実験動物扱い……とかそんなんだろ?」
相棒の変貌ぶりから、唐突に問われた寄も反応が鈍り、曖昧な返事で事を収めた。
「え、えぇ……そうね。よくてそんなとこかしら」
真尋と寄のあいだで今後の流れが交わされるなかでただ独り、雫だけは違う時間の流れに揺蕩う。
こんな……こんな意志薄弱としたただの少年が、家族をその手にかける決断を取る?
だからこそ――――興味深い。
「どうして?」
モール内の騒ぎによる地響きの鳴り止まぬ最中であっても、雫の問いかけは凛と響いた。
なぜ、化け物になってしまった家族から逃げないのか――――この少年の真意を、彼女は猛烈に知りたかった。
問答をしているような時間はない。だが。
「俺の兄貴だからだ」
「――――……」
つまらない、人間らしい答えだ。
しかし彼女が求めている答えでもなく、ましてや彼の本心ではないといいうことは、明け透けだった。
彼の真意は知るところにない。しかし。
黒髪の乙女は刀を引き、同時に刀身の色も瞳の色も元の氷色に戻った。
黒髪の乙女は真尋に詰め寄る。
「先祖が背負った罪は、罰せられなきゃいけない?」
例えば先祖がかつて窃盗を犯したなら。
あるいは先祖がかつての戦犯だったなら。
あるいは先祖に奴隷がいたとしたなら。
それは現代に生きる我々が、償わなければならないのだろうか。
先祖とまったく同じ仕打ちを受けなければいけないのだろうか。
「わたしはそんなの、間違ってると思う」
黒髪の乙女の――――雫の拳に力が篭もる。
年頃の少女らしい華奢な肩が揺れ、不動だった氷の瞳にすら揺らぎが生じた。
寄ですら、相棒の気持ちに同調して瞳を伏せる。
乙女が履いている黒いヒールの当たる硬質な音が駐車場のコンクリートじゅうに響き、そして。
「家族の罪を背負うことが美徳……なんて、そんなの……っ」
真尋の胸倉を掴んだその手は、震えている。
怒りなのか悲しみなのか、それとも別の感情なのかは、真尋には判別がつかなかった。しかしどうしてか、彼女が泣き出しそうだということだけは直感する。
頭を撫でようとする真尋の手を、雫は思い切り振り払った。
「わたしたちはずっと、人に害をなす四半種子たちを処分することで人間たちに生かされてきた」
化け物という立場は、どちらにしたって中途半端。人間でもない、でも羅刹ともいえない。
どちらからしても厄介者で、邪魔者。
どちらかの仲間入りをしたくても、【違う】部分を認められることはない。
いくら他人の羽根で着飾っても、鴉は鴉。
でも――――。
「あなたにわかる? 人喰い鬼と蔑まれ、同族殺しと詰られる気持ちなんて」
――――『鴉』なだけ、マシなのかもしれない。
真っ直ぐ見つめあう、瞳と瞳。
あれほど珊瑚のような色味を帯びていた雫の瞳は、いまではむしろ闇夜に輝く黒曜石。
刀と同じ氷のような冷たさと鋭さ、しかし星空を閉じ込めたような優しい煌めきが同居する、不思議な瞳だった。
その輝きが、真っ暗闇に引き篭り続けていたはずの真尋をほんの一筋だけ、照らし始めたような――――そんな一瞬のこと。
雫はようやっと、真尋の首を解放した。真尋も久しぶりにまともな呼吸ができたような気がする。雫に握りしめられて寄れたシャツも、なんだかホッとしたように元の形を目指す。
「あなたが決めたことなら、もうなにも言わないわ」
納めた刃、踵を返すことで翻る瞳と同じ黒曜石の長い髪。艶めきに感じる硬質さは、彼女の意志の強さだろうか。
「でも」と、いつもより強めのヒール音とともに、乙女は告げる。
「あなたはいつか、その選択を後悔することになる――――予言してあげるわ」
その予言とともに真尋へ託したのは、長年の相棒としてきたあの氷質の刀。もちろん鞘に納められたままだが、受け取ってみれば信じられない重量を感じた。これを自分よりも華奢な少女が腰に帯びていたのかと思うと、信じられない。
「ちょっ……雫っ!」
彼女らにとって刀はよほど重要なものなのだろう。他人に愛刀を明け渡した雫を、寄がきつく咎め始めた。
しかし雫は何処吹く風、真尋を真っ直ぐと見つめている。
「この死を招く石がきっと、あなたの罪過を見極めてくれる」
まさしく真尋のこの先を試すような、そんな断罪の刀の名。
「死を招く石……」
まるで呪詛のような刀の名を口にしながら、真尋は刀の重みを感じ続ける。
この刀が本当に同じ名の鉱石で造られているものなのか、あるいは由来した材質を使用しているのかはわからない。
タンザナイトの石言葉は『思慮深さ』。何年か前に、みなきから聞いた話だ。
深く考えなかった名付け親が『青い自殺』と付けてしまい、後に改名されたのだと、そのときのみなきは笑い話にしていた。
いまではもう、笑い話にはできない歴史の一部。
この石の数奇な人生とは違って、思慮深い判断ができたのか――――真尋にはわからない。でも。
「兄貴……」
首のない慎司は真尋を前にして、暴れるでもなく静かに佇んでいた。
まるで、断罪の刃を甘んじて受けるかのように。
顔がないはずなのに、慎司の優しくも哀しみに満ちた微笑みが自然と浮かんでくる。
雫によると、慎司を含めた彼ら四半種子と呼ばれる人びとは、人間の血が多く含まれた鬼、といったところ。きっかけさえ与えられればその血は目覚め、誰彼構わず襲いかかるそうだ。
そして一度でも目覚めてしまったら――――人間に戻る、という術はない。
そんな四半種子は首が無くなっても動ける代わりに、心臓を攻撃されればあっという間に命を散らすという。
真尋の胸のなかで眠っているはずのみなきに目を向ければ、やはりなにも知らず瞼を伏せている。長い睫毛は涙で濡れており、眼前で慎司の首が飛んだ現実を拒絶するかのように光っていた。
慎司の生命をここで断つということは、みなきの未来すら変えることになる、ということだ。
――――その責任を、俺は本当の意味で負うことができるのか……?
わからない。でも。
雫の愛刀・死を招く石の柄を握り、真尋はその刃を振り抜いた。
相変わらず氷質の刃は、よく見れば中心部が深い青に染まっている。それが彼、あるいは彼女の本質の色のように感じられて、妙な愛着が湧いてきた。
死神の鎌ならぬ、死を招く石。
雫に言われた通り、刀身に自らの血を吸わせることでその力を発揮する。
「ごめん、兄貴」
心臓部へ突き刺す直前、自然と口にした言葉は。
なにに対するものなのか……真尋自身にもわからなかった。
ただひとつ、言えること。
雫の言う通り、慎司を殺してしまったことを後悔する日は――――そう遠い未来ではなかった。




