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籠の中の金糸雀は、己の罪を知らぬまま。

 大きな幸せなんていらない。

 たとえば雨があがって、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込み、雲が切れてきた空を見上げたときのような。そんな幸せさえあればいい。

 小さな欠片を少しずつ拾って、お菓子の空き箱に詰めて眺める。

 たったそれだけで、俺のこころは満たされた。

 両親がいなくたって、親戚がみんな冷たくったって、裕福じゃなくたって構わない。

 兄と、あのひとさえ側にいてくれるなら、それだけでよかったんだ。


 兄の荷物と匂いだけが残された部屋で、あのひとはいつも過ごしている。

 兄のベッドのなかで、兄の私服を抱いて眠る姿は、茨に囚われた眠り姫のよう。

 色素が薄めの長い睫毛が、南向きの窓から差し込む春の陽光を受けて、蜂蜜色に透き通っている。

 睫毛と同じ栗色の髪に触れれば、柔らかくて心地よい。

 二度と目覚めぬまま消えてしまいそうなほどに、儚く淡い色彩。

 絵画のなかに入り込んだ錯覚を受け、ベッドに腰掛けた俺はしばらく、彼女の髪を指で梳く。

「おかえりなさい、慎司くん」

 彼女が目を覚ましたことに気づかなかった俺は、金糸雀の声に面食らった。

 俺の姿を映す灰色の瞳は、しかし鏡に非ず。

 兄の名で俺を呼び、兄の幻影を見続けるあなたを、俺はどんな表情で眺めていたのだろうか。


「ただいま……みなき」


 彼女の名を呼ぶ俺の声は上擦って、兄の真似をしようという無駄な足掻きが乗せられている。

 そんな努力しなくたって、狂った彼女に正しい世界は見えていない。

 嫋やかに微笑む彼女の世界は、『あの日』を境に時を止めてしまった。

 たったひとりの兄が死んで、俺に遺されたのはあなただけ。

 だけどあなたは俺と同い年の少女となり、俺のことを兄だと思って愛してくれる。

 綺麗な部屋や食事を用意し、無事を祈って帰りを待っていてくれる。

 屈託のない笑顔を向けてくれる。

「大好き」って抱きしめて唇を寄せてくれる。

 彼女の温もりに抱かれ、最上の幸せを噛み締めるんだ。


 兄を殺したのは、俺なのに。

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