86.某お嬢様の日常すぎる日常 SS⑥
「ねえ、姫。姫に聞きたいことがあるんだけれど」
「何?」
「ひ、姫は、まだ彼のことが好きなのかしら?」
「彼? 高洲のこと?」
「そ、そうよ。他にいないもの……」
「高洲はわたしのお兄さん的存在。好き」
「そうなのね。じゃ、じゃあ……本当に兄に――」
「それはたぶんあり得ない。さよりでは無理。高洲は彼女のモノだから」
な、何を言っているの? 彼女って誰のことを言っているの。姫はわたしを好きじゃない。それは話していても分かることだけれど、姉妹じゃない他の誰かとは仲良く話をしているというのかしら。何だかとても寂しい。姉妹なのにとても寂しいわ。湊……湊と一緒にいたい。彼ならわたしを寂しくなんてしないもの。
週に一度、それも月曜だけ。同じ学園、同じ教室にいても全く話しかけることのできない湊に、お金を払ってでも幸せになれる時間が出来た。彼の魅力はそれまでは、逞しい背中だけだった。それがいつからか、元々備えていた惹き込まれの声に、虜になった自分がいた。
あの日、あの体育祭。競技の一種だと分かっていたし、彼も誤解するなと言っていた。けれど、あんなことを間近で言われたら、もう好きにして欲しいとさえ思えた。だって、あなたのその声を聞くだけで腰が砕けてしまうもの。普段はまだ耐えられているけれど、彼自身が意識してその台詞を放つときはいつもの数倍増しでわたしの心を打ち砕いてくる。
それまでは見えない壁で誰かれ構わずにはねのけてきた。顔が良いからといって、簡単に近づいて来る男なんて沢山いた。一体何様のつもりなのかしら。イケメンだから何でも許されるとでも思っていたのかしらね。だけれど、彼は違った。あれだけ近づけないくらいのひどい言葉を放ち続けていたのに、それすら通用しないくらい、あなたの声はずっとわたしにぶつかって来ていた。
「誰が残念だこの野郎! 湊のくせに!」
「お前、綺麗なのに言葉が残念すぎるぞ。その言い方を何とかすれば、言い寄る男なんて山ほどいそうだけどな」
「ざけんなこら! いらねえよ、そんなもん」
ううん、違うの。湊だけでいいの。他の、何の魅力のない顔だけの男なんて近づいて来て欲しくないの。だって、湊……あなたのその声、逞しい背中はわたしをこんなにも夢中にさせてしまったのだから。
「――さより」
「はわわわわわわ」
「ん? ど、どうした?」
「はうぅ……そ、そんな、その声はひどすぎるわ。どうしてそんな攻撃してくるの?」
「攻撃ってお前、普通に話してるだけなんだが……」
「お前! お前って言わないでと何度も言っているじゃない! さよりって呼んでよ」
「さより……」
「はふぅ……」
あぁ、もう! 湊のくせに。わたしをこんなにしてしまったあなたの声、あなた。責任取って欲しい。本当は、お父様に聞かされていたのは結婚の約束なんかじゃない。隣に住む男の子に貰ってもらえれば安心出来そうだ。なんて言われただけ。でももう、そういうことじゃなく、わたしは湊の傍にいたい。傍に――。




