53.怖れの彼女たち、再び。
「湊、起きなさい! 遅刻してしまうわよ?」
「ん~~?」
今朝、久々に親からの声で起こされた。確か横には鮫浜が寝ているはずで、非常にまずいのではとも思ったが、母さんは何も言って来ない。すぐ横を見ると誰もいない。アレは夢? そんなわけないが、彼女は知らぬ間に自分の部屋に戻ったということだろう。俺の右手は朝から疲れていて、一晩中握力を消耗していたらしい。やはりそうなのか? 未だにお互いがきちんとした状態でオムネさんに触れたことが無いんだが……。
「ほら、早く着替えて下に降りて……あら? み、湊、あなた……いくら恋仲でもそれはまだ早いと思いわ」
「何が?」
身を起こしてベッドから出ようとすると、何やら母が恥ずかしそうに驚いている。見られているのは首筋の辺りだ。自分からは上手く見ることが出来ない。ただ、微かながら違和感は感じている。
「そ、それはもしかしなくても昨日つけられたものよね? あなたたちはまだ高校生なのよ? それを会うたびに付けていてはあなたも学校で言われてしまうんじゃないかしらね。さよりさんの負担も相当なものでしょうし、それはまだやめときなさいね」
「だから何が? 首筋に何があるって?」
「そ、そのね、痣と言っていいのかしら。いえ、キスマークかしらね。それがとても色濃く残っているのよ。そこまで見えるってことはよほど主張したかったってことね」
「主張?」
「そう、それはね……しばらく経てば元通りの肌色に戻るけれど、数日は残るし残したかったんじゃないかしらね。その痣は、何度も何度も同じ所を吸い続けたということなの。しつこくてきつくて、内出血させてまで……」
「え……そ、その意味は?」
「独占欲ね。心も体も満たされる……湊が彼女のモノであるという証を残したということになるかしらね」
「ひぃっ……! マ、マジでか」
「何を驚いているのこの子は。あなたが彼女にそうさせたのでしょう? とにかく、それはもっと大人になってからしなさいね? 将来が決まっているあなたたちなのだから」
決まってねえだろ。気持ちとか心なんて一生続くかなんて分からないことだし。し、しかし、鮫浜の残した痣は、一生私のモノって意味になるよな。ひいいいい、マジで? どんどん深くなっている気がするぞ。
軽く適当な朝飯を口にして、家を出るとそこにはさよりが立っていた。昨日あれだけふてくされていたにもかかわらず、そうすることが当然であるかのように俺を迎えていたのだ。
「おはよう、湊。よく眠れたかしら?」
「お、おぉ。たぶん?」
「相変わらずね、あなた。朝の挨拶くらい返したらどうなの? ほらほら、また曲がっているじゃない!」
「う?」
さよりは俺の首元に近づき、緩めていたワイシャツのネクタイをキツく締めた。ここで焦ったのは、首筋の痣に気づくかどうかだった。しかし、さよりは緩んだ姿の俺を見るのが嫌らしく、そこまでは見ることが無かった。助かったのか? いや、首筋もそうだがキツイ締め上げで、俺はまた学園まで動かせない首のまま登校することになった。
「ねえ、あなた。あなたのバイトはいつから再開するのかしら?」
「あ、あぁ、今日からだけど?」
「そう、それならわたくしが最初のお客になってあげてもよろしくてよ?」
「そ、それは……微妙かもだぞ? 俺もまだ以前と同じ接客スタイルかは聞かされていないんだ」
「ファミレスなのでしょう? 接客スタイルなんてどこも変わり映えしないと思うのだけれど?」
「ど、どうだろうな。もしかしたら、ファミレスじゃなくなってるかもしれないし、さよりが一人で来ていいかどうかも分からないんだよな」
「何をおかしなことを言っているというの? あなた、とうとう脳まで退化したのかしら」
くっ、コイツ……言葉遣いはデフォルトに戻ったらしいが、節々に棘を感じるようになったぞ。それにさっきから名前呼びじゃなくて、あなたって使ってるみたいだが何でだ?
「お前、何で俺の――」
「さより!」
「さより、何で俺のことをあなたって言ってるんだ?」
「あら、当然なのでは無くて? 彼氏ではないのだから名前で呼ぶのは控えなければならないわ。だけれど、いずれは夫になるのだから、あなたと呼ぶ方がしっくりくるというだけよ」
「決まってないのにか?」
「き、決まってるもん……と、とにかく、それが嫌なら彼氏に格下げして今まで通りに湊と呼ぶけれど、それでいいかしら?」
「彼氏が格下げで夫だと格上げなのか? よく分からんけど、それでいい。今まで通りに湊と呼んでくれないと、学校の中とかでは色々言われそうだ」
「ふふん、湊ったら案外と小者なのね」
「小心者な。小者じゃねえし」
物分かりは多少良くなったようだが、言葉選びは相変わらず弱いようだ。さよりの部屋は俺が予想していたアニメだらけでもなければ、漫画だらけでも無かったが、知識は恐らく動画で得ていると確信した。社畜の親父さんがカメラだとかネット側の人間であれば合点がいく。
「いいわ、それならあゆと二人であなたのいるお店に行ってあげるわ。それならいいのでしょう?」
「ええっ? そ、その鮫浜もか? 組み合わせが嫌な予感しかしないぞ……おま……さよりは、鮫浜とライバルで、敵なんじゃなかったか?」
「そうよ。そうだけれど、それはあくまでも湊の彼女を狙っている状態のことを指しているの。それ以外では普通だわ。それにあなたに初めて会った時も、友達関係ではなかったのよ? 今は友達でライバルで敵でもあるけれど、ファミレスに客として行くだけでいちいち争うなんてことは無いわ」
「そ、そうなのか? それならいい……いや、不安すぎる」
「あゆならこちらから声をかけなくても教室に入った途端に声をかけてくるわね。もっとも、わたくしから声はかけられないのだけれど」
「俺がか……?」
「当然ね。あゆはあなただけには声をかけることを許しているみたいだし、それか浅海さんにお願いしてみてはいかがかしら?」
「浅海は俺の大事な顧客だ。今じゃなくていい!」
「そ、そうなのね。どうでもいいわ」
浅海のことをどうでもいいだと? コイツ、後でお仕置きだ。
教室に着くまでにさよりは俺から距離を取って、別々に歩いていた。その辺はわきまえているようで助かった。それにしても痣は起きた直後よりも色濃くなっていて、ジンジンと感じるようになっていた。加えて、さよりからキツく締めあげられたネクタイで、首の痛みがやばいことになっていた。教室に入ると、さよりの予想通りに、鮫浜から俺に近づいてきた。そして、周りの視線に関係なく俺の首元に近づいた。
「……いいよ? さよちゃんの通り、キミの晴れ姿を見に行ってあげる」
「それって、ファミ――」
という前に、俺の口を華奢な鮫浜の手でふさがれてしまった。その手はそのまま、さよりがキツく締めたネクタイを緩めた。こういうところは両極端なのだが、これは素直に嬉しい。固定は辛すぎる。
「高洲君。三日くらいは残るから、その部分は優しくしてあげる……」
「へっ?」
「うん、これでいいよ。これなら首もキツくないよね。それじゃあ、お店にはさよちゃんと行くよ。いいよね? いいんだよね?」
「あ、うん……」
「じゃあ、席に戻ったら声は一切かけないでいいから。キミはきちんと授業を受けてね? 受けないとダメ」
「ハイ……」
や、やはり穏やかそうに思えて、さよりよりも数倍以上に怖いぞ。ネクタイを緩めてくれるのは有り難いが、やはり痣の部分は鮫浜なんだな。そこは隠さないとか、ものすごく主張しちゃってるね。それにしても彼女たちでバイト先に来るとか、それは嬉しいことなのか? それとも何かの前触れなのか……。




