343.何となく焦る日
鮫浜あゆの問題は、浅海の本気によって一応は落ち着きを取り戻した。
俺はというと、正式に池谷さよりが彼女となり、初めてちゃんとした交際を始めることになった。
そして今まで自分が好意を出して来たカノジョたちには、一人ひとり謝りに行くべきだと言われて、今まさに沈黙が続いている。
「――そんなわけで、コイツが俺の彼女なんだ。だから、なんと言うかゴメン」
「……」
東上学園に戻ったとはいえ、栢森で接してきた彼女たちをないがしろにすべきではないと言われてしまったので、土日を利用して会いに来たわけである。
本来なら自分だけの問題なので、一人で来るのが筋なわけだが、俺の彼女さんは完璧を求めるようだ。
「だ、だから、俺はもうみちるの家に行けなくて、世話にもなれないんだよ」
「さよりと?」
「そ、そういうことです」
「……高洲をお店で働かせて、ゆくゆくは――って思った。でも、さよりとならいい。さよりなら大丈夫」
「そ、そんな簡単な感情だったの?」
「……? 高洲はそうじゃなかった?」
「いや、その辺りは俺も微妙に分からなくなってて……」
天然か計算なのかは今となっては分からないが、裸の添い寝をされて、勝手に盛り上がったのは俺だけだったようだ。
「湊は先に帰ってていいわ」
「何で?」
「わたくしにだって、女子だけで話がしたい時くらいあるのよ?」
「修羅場とかにならないんだよな?」
「愚問ね。そんなことになるなら、とっくになっているわ! でしょう?」
さよりの言葉に、みちるは無言で頷いている。
さよりの数少なすぎる女子の友達ということもあるのか、どうやら俺は邪魔らしい。
「分かった。先に帰る。じゃあな、みちる」
「ん、じゃあ」
俺の思い違いだったのか、みちるは表情を変えずに俺を見送った。
このまま自分一人だけで帰るのも切ないので、気配を消して彼女らの話を盗み聞きする。
「さよりは鮫浜が怖くなかった?」
「無いわ。あなたは恐れを抱いてしまったからこそ、彼を諦めてしまったの?」
「私はあそこまで出来ないから、もういいって思った」
「あゆのことは、湊よりも知っているわ。だからこそ、わたくしは待つことにしたの。土壇場であゆを選んだ彼は本当にどうしようも無いのだけれど、それも受け入れなければいけないと判断したの」
「……さより、高洲とは?」
「まだそこまでではないわ」
そこまでではないとか、一体何の話をしているのか。
聞き耳をたてて聞いているが、所々が聞きづらい。
前のめりになって、みちるの部屋のドアに寄りかかっていたわけだが……。
開けてもいないドアが開き、勢い余って部屋の中に転がり込んでいた。
硬い……いや、若干の膨らみを感じるが、綿の入ったクッションにでも倒れてしまったのか。
しかし顔が沈むことはなく、ほんの少々だけ体温を感じているだけである。
「……それで、あなたは何がしたいというのかしら?」
「そりゃあ、このままの姿勢でゆっくりしたいとこだな」
「あなたがそんなことをする人だというのは、百も承知ではあるのだけれど、空気を読むことはないのかしら?」
まさかさよりが俺に空気を読めと言い出すとは、俺も地に落ちたのか。
「いちゃつくのを見せに来た?」
「――そんなはずはないわ! でもごめんなさいね。湊はこういうことを人前でしたい男の子みたいなの。後でわたくしが、しっかりしつけておくわね!」
「そういうことなら、さよりを応援する」
さっきから二人は何を言っているのか。
そしていい加減、あまり反動の無いクッションから、顔を離すとする。
「ハッ……? クッションじゃなかったのか?」
「あなたが真性の変態なのは諦めてはいたけれど、わたくしの友達の前ででも、あなたはわたくしの胸に顔を埋めたくなるのね」
「いや、埋めるほどのモノは――」
「一人で帰りたくなくて、そういう行為に及んでしまったというのは嫌いではないわ。それでも、その煩悩は許せるものではないのだけれど」
どういうわけか、偶然にもさよりのオムネさんに顔を当てていたらしい。
そして何故か、俺だけが残念な野郎に成り下がっている。
「彼女になったからって、人前でも及ぶのは良くなくってよ? あなたはその辺が残念なのね」
「いや、だから……」
「わたくしはあゆとは違うの。あなたの間違った行為は、わたくしの手で直してあげるわね」
「わざとじゃなくてだな……」
「ふふん、その話は後で聞かせてもらうわね」
ダメだコイツ、もはや教育ママな感じになっている。
「高洲はさよりだけを見ていればいいから。分かった?」
「あー……うん」
極上美少女が彼女になったのは素直に嬉しいが、まさかと思うが、さよりに勝てなくなるとかじゃないよな。
何となく、彼女であるさよりに焦る日だった。




