199.彼女は生まれつきの無意識少女だった
「つべこべ言わない。早く口を開ける!」
「あー……」
「食べる気があるか、ないか、どっち?」
「ある。あるけど……何で?」
「何?」
「自分で食べたら駄目なのか? 箸があるんだから自分で食べようとしただけなんだけど……」
「ご馳走するって言ったから。全部してあげるだけ……何かおかしい?」
定食屋の前にたどり着いたら、彼女の名前をさすがに思い出した。それは良かったのだが、ご馳走するという意味をどういう風に思っていたのか、何故か至れり尽くせり的行動を取って来た。
元々はみちるの定食屋でバイト兼住み込む予定だった。
それがあれよあれよと嵐花の教育が始まってしまい、夏休みに突入するまで他クラスのみちると会うことも無いと思っていた。
自分のクラス以外の教室に行くこともないだけに、このまま忘れてもおかしくなかった。
「おかしくはない……けど」
「はい、もっと口を大きく開けて」
「あ~~~」
「よく噛んで味わって」
「ん~~」
「味付けは丁度いい?」
「た、多分」
――といった具合に、彼女が作った焼肉定食を食べさせてもらっているという、何とも気恥ずかしい出来事が展開中だ。
以前に泊まった時も感じていたが、彼女は男女といった異性関係を全く意識していない。それだけに、平気で食べさせる行為も出来るし、俺の緊張なんかもまるで気付いていない。
姫が少しだけ来た時も意識していたのは俺と姫だけだったので、恐らくみちるには、そういった恋愛感情が欠けているのかもしれない。
「……さっきから顔を何?」
「え? 俺、見てた? ごめん……」
「あ、口元に米粒が付いてる」
「あぁ……悪い――わぁっ!?」
「――? どうかした?」
「ど、どど……どうって……」
躊躇することなく、みちるは俺の口元に付いていた米粒に舌を出して、そのまま自分の口に運んでいた。
その行為自体に対して、俺だけが大いに驚き、彼女は『だから何?』といった感じで見て来たので、もはや何に対して突っ込めばいいのか、分からなくなった。
「みちるは俺を何だと思って――」
「バイトに来る男の子」
「まぁ、そうなんだけど……男だからね?」
「見れば分かるけど、もしかして女子だった?」
「男だから! だから、えーと……そういうことは簡単にするべきじゃないっていうか」
本当に無意識のうちにした行為なのだろうかと疑ってしまったが、顔を赤らめるわけでも無ければ、恥ずかしがるそぶりも無い。
みちるは、本当に無意識にそういうことをする女子らしい。裸で添い寝事件もそうだったように、男女がどうとか、そういったことに戸惑うことを知らないみたいだ。
学校で出会った時こそ、話しやすくて会話のレスポンスも良かっただけに、お店兼自宅での彼女の素はあまりに素っ気無さすぎる。
彼女の両親はマンション暮らしをしていて、休業中の定食屋兼住居には、彼女一人だけで住んでいることが関係しているのかもしれない。
「……ご馳走様でした」
「お粗末様」
味は美味しかったけど、一度も自分で食べることが許されなかった上に、勝手に意識していたので単にお腹だけが膨れただけだった。
「風呂を沸かすけど、入る?」
「それはもちろん、一人でだよね?」
「二人がいい?」
「俺だけで問題ないから!」
もしかしなくても、疑問を言葉にすると、かえって良くないのではないだろうか。
意識をしまくりの男が一人と、何の意識も働いていない女子の妙なやり取りが、それを物語っているようだ。
閑古鳥ではなく、果たして本当に夏休み期間に定食屋を開店させて、バイト代を払うのかが疑問ではあるが、こうして時々俺に料理を作っているという時点で、やる気はあるかもしれない。
「お風呂沸いたから、入っていいから」
「え、俺、着替えないよ?」
「入っている間に全自動」
「それならいいのかな……」
この前のパターンでは、すぐに乾かなくて裸の以下略。
「じゃ、じゃあ、遠慮なく……」
「どうぞ」
彼女の家の浴室は、定食屋がメインなだけに手狭な風呂場だ。
二人で入るには、一人が浴槽、一人は体を洗っていなければならないほど狭い。
そんな空間に二人で入ろうとする考えになるのも、おかしいといえばおかしい。
何にしても、ご飯をご馳走になった上、風呂にまで入らせてくれるのは素直に嬉しかったが……
「ちょおーーーー!!」
「……声が響くから」
「いやいやいやいや!! だから、どうして何も気にせずに入って来るんだよ!」
「お湯の有効活用――」
「それは分かるし、申し訳ないって思うけど、服は脱がなくてもいいだろ?」
「そうすると洗濯の二度手間になる。高洲の服と一緒に洗えば楽に……」
もちろん、オムネさんとかはきちんと隠しているが、そういう問題ではない。
隠しても隠し切れないたわわすぎるオムネさんは、目のやり場に困る。
「俺のこととか、服も明日までに乾けばいいし、気にしなくていいから!」
「水道も節約。下着も」
あー……真性の無意識少女だ、これ。
両親からどれくらい仕送られているのかなんて分からないが、節約にしても男と女の下着を一緒に洗うとか、それはもう意識どころの問題じゃない。
とことん徹底しているだけだ。
そこに俺のような意識野郎が邪魔しに来ても、彼女にとっては何の障害にもならないことになる。
「男物とみちるの下着が一緒で気にならないのは、さすがに駄目だって!」
「……誰にでもしない。高洲だけ。それは確か」
「え、何で俺だけ?」
「高洲とここでずっと一緒にやっていくから」
「そ、それはどういう――」
無意識にしていた夫婦的な意識なのか、途端に照れだすのは反則過ぎる。
「一緒にいることを当たり前にする。したいと思っているのは、高洲だけ。誰にでもしない」
「す、好きとかじゃないよね?」
「……言った方が良かった?」
狭い風呂場で上目遣いからの言葉は、俺をどうするつもりがあるのか。
「お、俺はみちるのことを全然知らないんだし、そうじゃないと思っていたのに……そうだった?」
「出会った初めからそうだった。全然知らないのは違う。ご飯の味も、今の姿も、少しだけ知られている」
そういう意味ではすでに知ったことになるが、心の部分は見えていない。
「むむ……むー……無理、体が熱すぎてもう無理だ!」
「のぼせた? 早く上がってきちんと拭いて、部屋で休んでていい」
「そ、そうする」
風呂に一緒に入れている時点で、そういう可能性がなくもなかったが、意識のしていない彼女ならたとえ見られても平気だと思っていたのに、どうしてそれを今言って来たのか。
そんなことを思い悩むよりも、のぼせそうだったので、みちるの体を見ることなく風呂場を後にした。
「あっ……」
「ごめん、上がるから」
狭いことの恩恵ではないが、微かに肌が触れてしまったことに気付いた。
ただこれも、彼女的に意識していないとすれば、それはそれで気が楽だと思えたのは良かったかもしれない。
「……意識しないわけがないよ、高洲」




