197.甘い時間は第2彼女に移行らしい。
鮫浜の親父? に遭遇した俺たちは、無言のままで自分たちの家の前にたどり着いた。
しかしサボりな上、あまりに早い時間なので家の中に二人で入るのは厳しすぎた。
「ど、どう?」
「無理だな。俺の母さんは基本的に家の中にずっといる。昼間に俺が帰って来ることは想定していないが、気配には気づく。そういうわけだから、さよりは自分の家に戻った方がいいぞ」
「湊のお部屋に行きたい……行ってお話をしたいの」
どうするべきかと一瞬迷ったが、鮫浜の親父のことと鮫浜本人のことを、さよりから何となく聞きたくない思いがあった。
この手の話は浅海から聞く方が聞きやすいし、腹も立てない気がした。
さよりが鮫浜の親父を知っていたことももっと前から聞けたはずなのに、聞かなかった自分が不甲斐なさすぎる。
自分のことを情けないと思っているだけに、さよりに八つ当たりする恐れがある。
「ごめん。今はやめとく」
「湊は聞きたくないの?」
「……後ででいい。いや、聞いたところで元に戻るとかでもないし、関わりたくはない」
「……ん、分かったわ。あなたがそう言うなら」
「ありがとな、さより」
「素直なあなたも好き……じゃ、じゃあ、また学校で会いましょ?」
「またな、彼女さん!」
「と、ととと、当然ね! 彼氏さん」
知っていることを話したそうにしていたさよりだったが、それも忘れて機嫌よく自分の家に入って行ったようだ。
お昼になろうとしているので、そのままメシでもと言いかけたが、上手く切り替えてくれたらしい。
それにしても鮫浜の親父は、思いの外、普通のおっさんだった。
見た目はそうだったが、近くにいた護衛の姿は黒い人そのものでまるで隙が無かった。
全ての黒幕は、どうやらあのおっさんによるものかもしれないが、実際に指示を下しているのは彼女だとすれば、俺からは何も言えない。
やはり転校した学校のエリアから出るべきでは無かった。
少なくとも東上学園は鮫浜の支配だし、浮間みたいな野郎も懲りずに彷徨っているところを見れば、自分の家も含めて、気を張らなければいけなくなったかもしれない。
『湊さま……?』
「ん?」
『やはり湊さまなのです? こんな時間にこんな所にいるなんて、目を疑いました』
それは俺のセリフと言いたいが、転校したてのお嬢様とは栢森邸で会った時から、会っていなかっただけに、本当に転校したのかも分からなかった。
嵐花はルリのいる教室に会いに行かないのかなどと言っていたものの、それもあまり信じていなかったが、どうやら本当のようだ。
「ルリこそ、どうした?」
「湊さまの邸宅をこの目で確かめようとしていました」
邸宅というか、一軒家なんだが……隣の池谷家はそう言えなくもない。
「……ここだよ」
「えっ?」
隠しても仕方がないので、正面に見える自分の家に向かって指差した。
「……」
「これが真実だよ。ルリには信じられないかもだけど、嵐花に気に入られているってだけで、俺は庶民。キミが思っているような男じゃないん――」
「み、湊さまっ!」
「むぁっ!? え、何? 突然どうしたの? 何で抱きついて……」
「ルリは決めましたの」
「何を?」
「彼女であるなら、湊さまを最後まで面倒を見て差し上げると!」
「へ?」
どれだけ憐れみを持たれたのか分からないが、親父よ、もっと頑張れ。
そしてルリは、庶民を知らない箱入り娘とみた。
俺への反応といい、嵐花への心酔ぶりといい、お屋敷と通っていた学校以外は、知る由も無かったのかもしれない。
たまたま嵐花の屋敷にいた俺と彼女になれと言われただけで、どういう家柄かなんて知らされてもいなかったはず。
恐らく住所を頼りに護衛を傍に置かずに歩いて来たのだろうが、ショックを覚えられるどころか、憐れみを持たれるとは予想外だ。
「湊さまのお家の両隣は、湊さまのお部屋というわけではありませんの?」
「残念ながら違うよ。隣の家は空き家で、もう一軒の家は池谷家なんだ。きちんと人が住んでいるんだからね?」
「……池谷?」
「ほ、ほら、ルリともう一人の彼女のことだよ」
「池谷さよりの家……ふん、この程度」
「えっ?」
まさかと思うが、このちっこくて立派なオムネさんのルリも、凶悪な何かを潜めているのか?
「こ、こうしてはいられないです! 湊さま! 車を向こうに停めています。ご一緒に来てくださいっ!」
「どこに行くのかな?」
「ル、ルリのお家です!」
「いやっ、急にそんな……俺は自分の家に入る所だったし」
「お、押さえる必要が出て来ましたです。その為にも、湊さまをルリのお母様に会わせないとです」
「んん?」
よく分からないままでルリの屋敷に行くのは抵抗感があるが、護衛の人数が半端ないことが分かったので、反抗するのはやめて車に乗るしかなかった。
何やらさよりの家と空き家を何度も見ながら、首を傾げていたがルリは何をしようとしているのか。
「湊さまをお母様にご紹介しますので、どうかどうか、来てください」
「分かったよ、挨拶はするべきだと思っていたし、お邪魔するよ」
「さすが、ルリの湊さま!」
喜んでいいのかは微妙だが、嵐花に心酔する湖上ルリの屋敷は果たしてどの程度なのか。




