184.令嬢による候補の為の教育 B-6
「――ふーん、なるほどな。みなとにとっては、初めての彼女だったわけか」
「そ、そうなりますね……」
「てっきり、池谷の方かと思っていたけどな。あの姉ちゃんも不憫というべきか……あたしが言えたことじゃねえが」
「それはその……」
「知ろうとした相手は、とんでもなかった……ねぇ。鮫浜に脅威を感じたことが無いけどなぁ」
さよりとルリが帰った後、湯気が立ち込めまくりのだだっ広い浴室で、お湯に浸かりながら嵐花に恋愛話を打ち明けていた。
湯気で何もかもが全く見えないが、彼女はすぐ隣にいて俺の話を真面目に頷きながら、聞いてくれている。
「みなとは、まだ好きなのか?」
「……いやぁ、それはもう無理かなと。フラれた直後は、諦められなくてどうにかしたいって思ってたんですけど、色んなことが起こっているうちにもういいのかもって思って来まして……ら、嵐花がいてくれるし」
「そりゃあ舎弟だからな。傍にいて面倒を見ないとダメだろ!」
こう言っているけど、嵐花にとって俺はどんな存在なのだろうか。
こうして同じ湯船に浸かっているし、屋敷の中で一緒に過ごしているのに、何の感情も無いということはないはず。
「俺のことは、どう思っている……んですか?」
「あたしがか?」
「いくら舎弟だからって、こんな……こんなこと……」
「……のぼせて来たみたいだな。ふふっ、先に上がって涼んで来ていいぞ。あたしはもう少し、湯に浸かりたい」
「――え」
「お前は可愛いよ。あたしはみなとに出会った直後から決めていたからな。まぁ、そういうことだ」
真隣に嵐花がいるだけでも、興奮しっぱなしだった上、時々肩やらオムネさんが接近していただけで、確かにのぼせそうだった。
頭が沸騰しまくりで、話を聞いてくれる嵐花に、抱きつきたくなっていたのもあるかもしれない。
「ふぃ~……俺、先に上がります~……」
「おうよ!」
たわわすぎる嵐花のオムネさんは、湯気のシルエットで見えなかったものの、全てを包んでくれそうなサイズだったので、それだけで満足である。
ふらふらになりながら、部屋に戻ろうとすると誰かとすれ違ったらしいけど、浴室に向かうという時点で、屋敷の誰かなのだろうと気にすることは無かった。
「鮫浜から来た彼のことはどうされますか?」
「みなとを守りたいんなら、そうさせてもいいわよ? 鮫浜ではなく栢森に偽らないというのであれば、わたしは構わないわ。みなとを守る彼のことも、あなたにお願いすることになりますけれど」
「それが私の仕事であり、栢森家に仕える者の役目です」
「引き続き頼んだわね、楓子」
「は……」
のぼせた体は、空調の効いた屋敷の廊下を歩いていたら、すっかりと回復していた。
まだそんなに入り浸ってもいないだけに、嵐花の屋敷内を歩き回るのには度胸が必要だったりする。
「高洲様、どちらへ行かれますか?」
「えーと……部屋はどこでしたっけ? ま、迷ってしまって……」
「こちらです」
「す、すみません……」
「いえ、嵐花様に愛されておいでですし、お気になさらないでくださいませ」
「あ、愛……?」
よく分からないまま、見慣れた部屋に案内されてしばらく待っていたら、いるはずのない人に話しかけられて驚いた。
「やぁ、湊。元気?」
「な……!? あ、浅海? な、何で嵐花の屋敷にいるんだ?」
「俺は自由になったって言わなかったっけ? 俺はもう鮫浜の人間じゃないよ。栢森の世話になっているんだ。もちろん、護衛として雇われたんだけどね」
「え? 嵐花の?」
「違うよ。俺は湊の専属護衛。栢森にはちゃんといるよ。さっき会わなかった?」
屋敷の中を見渡す限り、特に目立って姿を見せている人はいない。
だけど、嵐花を遠くから守っている護衛くらいは、いるだろうなと思っていた。
この部屋に案内してくれた女性がそうだったのだろうか。
「待たせたな、みなと!」
「嵐花、何で黙っていたんですか?」
「ん? 八十島のことか? みなとが鮫浜のことを話したら、教えようと思っていた。ふふっ、みなとが気づかないってだけで、相当な腕ということも分かった」
「じゃあ浅海も学校に?」
「同じクラスにはならないだろうけど、転校手続きは済ませてある」
ふとここで、雨の日に浅海に出会ったことを思い出した。
雨が降っていたあの日、浅海がただ一人だけ学校に来ていた。
抱きしめられながら、耳元でささやかれたのは、鮫浜の護衛は浅海じゃなくなったということだった。
俺に会いに来ただけなはずが無いと思っていたけど、あの時に接触を図っていたなんて思いもよらなかった。
「あたしのことが嫌いになったか?」
「嫌いになるはずがないですよ! で、でも、あの……浅海を疑わないんですか?」
「鮫浜に情報を流す心配か? ふふ、それは気にしない。流したければそれでも構わないって、あたしは思っている。だけど湊を守りたいこの男が、そうするわけがないというのも分かっている」
「そ、それはまぁ……」
壁に寄りかかりながら話を聞いている男の娘な浅海は、俺に微笑んでいる。
全く気付けなかったけど、やはり浅海と鮫浜の間に何かがあったのだろうか。
「あたしはみなとを守りたいの。だけど、限界もある。そこに来ての申し出に、断るつもりはなかったわ」
「な、何でそんな展開になってるんです?」
「……ルリとさよりのどちらでもいい。みなとには恋をして欲しいって思っているわ。そうすることで、あたしは覚悟を確かめられるの」
「覚悟?」
「……」
どうやら詳しくは教えてくれないみたいだ。
庶民な俺には関わらせないということなのかもしれない。
さよりと付き合うことになるのはいいとしても、浅海が来たことを知ったら、また騒ぐことになりそうだ。
「みなと、恋を学べよ?」
「それが嵐花のいう教育ですか?」
「彼女が欲しいんなら、近くにいる女に気持ちを移した方がいいと思うぜ」
「……あ」
「ふふっ、だろ? 失恋したのを引きずってるのが、あまりに分かりやすいからな」
思わぬところで助けを得られた。
ダブりの先輩で姐御だけの存在だと思っていたのに、全てにおいて敵いそうにない女性かも。
それでも嵐花が、俺のカノジョにならない気がするのは、切なくなりそうだ。




