170.池谷姉妹は譲らない 姫パート1
一難去ってまた一難……なんて思ってはいけない。
今夜は嵐のような時間を過ごさなくてはならないのは確定であり、それを望んだのは俺である。
「なんてことは無いよ。さよりを待っているだけなんだ」
「さよりを?」
「姫ちゃんは……何でここに? この前もそうだったけど、学年が違う廊下によく来ているのかな?」
「それはだって、決まってるじゃないですかぁ」
この子はどうして俺に話しかけながら、舌なめずりをしているんでしょう?
隙あらばキスを奪うとか、かつての鮫浜みたいなんだが、姫ちゃんはそのことに気付いているのだろうか。
「な、何でかな?」
「彼氏に会いに来るのに理由はいらないと思いますよぉ?」
「か、彼氏……? え、彼氏がいるの?」
まさか俺のことではあるまいな?
少なくとも俺自身の認識では現在彼女募集中であり、彼女という決まった相手は存在しない。
「……あ、間違えた。彼氏じゃなくて使い捨てのおもちゃなら、たくさんいます」
「はぃ? お、おもちゃが何? それに使い捨てって……」
「湊さんのことじゃないです。ふふっ」
「ち、ちなみに俺のクラスにいるのかな?」
「噂をしなくても、もうすぐ声をかけて来ますからすぐわかると思います」
一体誰だ? 姫ちゃんの彼氏になっていないどころか、使い捨ての男とは。
『おっ! 高洲! まだこの辺にいたのか? 美少女にはきちんと謝ったか?』
鮫島……!?
コイツが姫ちゃんの……!?
「……ん? 何だ? 俺の顔に何かついてんのか?」
「いや、鮫島も苦労してんだなぁと思ってな」
「それほどでもないけどな。で、そこにいる綺麗な女子は誰だ?」
あれっ? 違うのか?
姫ちゃんの方を見ても、我関せずな表情に変わっている。
鮫島とは面識すらも無いのか? それとも、お互いが見知らぬふりをしている!?
「姫ちゃん、コイツは俺のダチの鮫島――」
「知ってますよ。以前、学食でお会いしましたし。ストーカーさんですよね?」
「ええっ!? 俺が? え、誰の……」
「アレな」
「あぁ……うん。はい……そうです」
土下座をしたが、印象すら残せなかった鮫島の、一方的すぎる片思い相手。
それはもちろん、ボクッ娘でうざい優雨のことだ。
この二人の反応を見る限りでは、どっちも嘘をついている風には見えないのだが。
しかしどっちも違う顔を持っているのは確かなので、答えなんて求めなくてもいいかもしれない。
「姫ちゃんのおもちゃはどこかな?」
「……ん? この子の落とし物か?」
「いや、そうじゃなくてだな……」
「湊さん、この人じゃないですよ?」
「う、うん……だよねぇ」
「ん? 何が?」
俺も鮫島も顔を合わせてお互いが疑問を持っていると、本当のおもちゃが近づいて来ていたようだ。
ようやくお出ましかと姫ちゃんのおもちゃ? のツラを眺めてみると……
「お前、高洲湊……だろ?」
「そういうお前は、砂庭だったか? お前って確かみちるのことが好――」
「黙れ、くそ野郎! 鮫も黙っててくれよな!」
「……分かった分かった。高洲、コイツは切り替えが早い奴だ。だからそういうことなんじゃね?」
「ふーん……」
姫ちゃんと油断ならない会話が始まるかと思っていたのに、何でここに野郎が3人集結したんだ?
しかも鮫島しかり、砂庭しかり。
「かいりくん……言ったはずだよ? 湊さんに逆らうなって! 言ったよね? ねえ?」
「う、うん……ごめん。でも何で、ここに姫さんが来ているの? 俺のクラスは向こうの……」
姫さん……だと!?
この野郎は何て調子いい野郎なんだ……みちるに覚えてもらえなかったからって、姫ちゃんを狙うとは。
いや、本来なら祝福すべきところなんだろうが、どうして見知った奴なのか。
「……湊さんと今日、泊まるの。だから迎えに来ただけ。悪い? 悪くないよね?」
「と、泊まり!? え、あれ……俺は姫さんの……」
「お友達ですけど、間違ってますか? かいりくん」
「姫ちゃん、誤解を招くことを言ったら駄目だよ。泊まらないし、そもそも姫ちゃんだけじゃないんだし」
「いいえ、湊さんは泊まりますよ。そうですよね?」
むう……いつも思っていることだが、姫ちゃんの目力が半端ない。
姫ちゃんに見つめられ、砂庭には睨まれ、どうするべきか迷っていたら意外な奴が口を挟んで来た。
「……高洲の本命はこの子じゃないだろ? 姉の方だよな? なぁ?」
「違う」
「ふぅん? どっちでもいいけどよ、はっきりさせとかねえと、痛い目見るかもしれねえぜ?」
「……それは鮫島にか?」
「いや、お前舎弟だろ? 栢森先輩の」
「あー……」
「俺からの情報はそんなところだな。栢森先輩にするならそうしとけ。そうじゃないと困ることになる」
「そ、そうか、そうだな。すまん、鮫島」
「気にするな……それが高洲の為だ……マジで」
考えてみれば鮫島は、栢森先輩の情報を教えてくれる代わりに、優雨のことを頼むと言っていた。
肝心の優雨は、最近は運動部が忙しいせいなのか、会いにも来ていない。
今度見かけたら、鮫島に直接会わせてやらないとダメだろう。
「湊さん、かいりくんはこんなものです。おわかりいただけました?」
「え? おわかり……」
まるでホラーの実況っぽいセリフだが、何を言っているんだろうか。
「分かりやすい男の子ですから、湊さんは気を付けなくていいですよ」
「あぁ、うん……ありがとう?」
俺のことをくそ野郎と言っていたのは、姫ちゃん的にはスルーなことなのか。
「……じゃあ俺は帰るわ。高洲、砂庭、またな! ついでに妹の方も」
「おー、じゃあな!」
「鮫! また!」
「……ふん。きな臭い人」
「え? 姫ちゃん、何か言った?」
「いいえ、何でもないです。それより、わたしは彼と話を付けて来ますので、玄関で待ってもらっていいですか? さよりもどうせ一緒でしょうから」
「分かったよ。く、くれぐれも穏便にね?」
「大丈夫です。何も感じませんから」
それはそれでどうなんだろうか。
それに砂庭とは一体、いつ知り合って声をかけた上に、話の出来る関係になっていたのか。
姫ちゃんが誰かと付き合うことに反対はしないが、砂庭という奴は何か嫌だ。
こんなことを思っているから駄目なんだろうけど。
「高洲、言い忘れてたことがあった!」
「ん? 何だ鮫島?」
「姉か年上……いや、お前と会話が成立出来ている子にしとけよ?」
「何だそりゃ?」
「普段話がまともに出来ていない女に、魅力を感じて、戻ろうと思うなよ? 頼むぞ」
「何言ってるのか、さっぱり分からん」
「下らねえことだよ。じゃあな」
鮫島が何を言っているのか、まるで分からなかった。
姫ちゃんと鮫島の会話がまるで通じていなかったのも、何となく気になったが今は気にしなくていいことかもしれない。
そんなことを思って壁を眺めていると、残念な娘が壁に張り付いている様に見えた。
「壁と同化する能力か? さより」
「み、湊!? ……ひ、姫はいなくなったかしら?」
「何だよ、来てたんなら声を……」
「姫よりも、何だかあの男が嫌だったの……湊、これあなたのカバンなの」
「ああ、サンキュ」
「やっぱり背中は嘘をつかないわ」
「背中もさよりにサンキューと言っているだろうな」
「え? もう一度聞かせてくれるかしら?」
「くっついてくるなっての! ほら、行くぞ」




