27 膝の上でおやすみ
王宮に続々と、王都の国民たちが昏睡から目覚めたという報告が入りました。
サーカスの団員たちを逮捕した王宮騎士団は物理攻撃へと作戦を移行して、軍事会議が始まりました。
「王子様。殆ど眠っていないのに、大丈夫ですか?」
時間は深夜です。心配顔の私を見下ろす王子様は強がった笑みを浮かべています。
「夜食で元気が戻ったよ。会議が終わったらルナの元に戻るから、添い寝してもいい?」
いつもしている添い寝なのに、改めてお伺いされると照れてしまいます。
「も、もちろんです。寝室のベッドで王子様をお待ちしていますから」
「ルナが一番疲れているはずだ。ちゃんと眠るんだぞ」
王子様は私の頭を優しく撫でて、軍事会議が行われる広間に入っていきました。
私はリフルお姉様がいらっしゃる客室に向かいました。
部屋の扉を開けると、お姉さまは小さな檻に向かって、青い光を照らしていました。
サーカス団のテントの中から救出されたフェンリルの子供……あのキアラさんの体です。
身動きが取れないほど小さな檻に入れられたフェンリルは長いこと、そのように暮らしていたのでしょう。重い首輪の跡と栄養不足でボサボサになった毛並みが痛々しいです。
「固い地面で寝続けていたせいで、足を沢山けがしているわ。後ろ足に変形も見られるけど、大丈夫よ。少しずつ治癒して治すからね」
お姉様はいつものように気丈な笑顔で私を安心させてくださいますが、頬には涙の跡が見えました。お姉様はきっと、幼少の頃に可愛がられていた愛犬のベティを思い出しているのでしょう。傷ついた子犬を見るのは、お姉様も私も辛いのです。
キアラさんはぐったりとして、ずっと眠っています。いつでも夢を見ていた理由がわかりました。こうして檻の中でずっと眠るしかない生活だったのですね。
私はお姉様が隣にいる安心感で体が脱力して、お姉様に寄りかかって目を瞑りました。とても疲れているのがわかります。
「ルナ。ルナはすごい子ね。本当に頑張ったわ。あなたは私の自慢の妹よ」
お姉様は優しく膝の上に私の頭を置いて、膝枕をしてくださいました。
なんて良い香りの、心地の良い柔らかさでしょうか。王子様の逞しい抱擁力とはまた違った、女神様に抱かれるような癒しが私を眠りに誘いました。
お姉様の膝枕で眠っていたはずの私は、ラベンダーの花畑の中で目覚めました。一面のピンク色の花々がそよ風で揺れて、空にはピンク色の雲が流れてきます。
これは私がいつも癒されたい時に見る、優しい夢です。私はラベンダーの花を掻き分けて、あの子を探しました。
黒い毛に三角の耳。泣いてるみたいに潤んだ黒い瞳の、フェンリルの子供です。花畑の中でちょこんとお座りして、こちらを見上げていました。
「キアラさん。あなたの本当の名前を教えてもらえますか」
「キアラン」
「キアラン……。ごめんなさい」
キアランは小さく首をかしげました。
「どうしてルナが謝るの? 悪いことをしたのは僕だよ」
「いいえ。人間が……」
言葉に詰まります。だって、人間がこのフェンリルの子供に、どれだけ酷いことをしたのか。償えないほどに、残酷なことをしてきたのです。なくなってしまった妖精の世界も、珍獣たちの楽園だった場所も……。全部私たち人間が壊してしまったのですから。
「ルナ。泣かないで。ルナが好きだから、僕も悲しくなる」
私は涙でくしゃくしゃの顔で無理矢理に笑顔を作って、キアランを抱き上げました。私がお姉様にしてもらっているように、自分の膝の上に乗せて一緒に雲を見上げました。
「キアラン。あなたの夢を見せてもらえませんか。あなたの目から岐路がどんなふうに見えているのか、私は知りたいのです」
「うん。いいよ」
私たちが座っているラベンダーの花畑はすべての色を失って、世界は白黒になりました。そして何もない真っ黒な地面に、真っ暗な空。私たちを中心に放射状に無数の白い道が現れて、その道のずっと先に、それぞれの小さな明かりが見えました。
これが眠る人々の夢に繋がる、精神世界の岐路です。
「僕はいつも夢の中でここにいたんだ。いろんな動物や人間の夢を覗いてみたよ。でもある時、すごくすごく遠い場所に、見たことのない、綺麗な色を見たんだ」
キアランは瞳を輝かせて私を見上げました。
「信じられないくらい沢山の色の中で、ルナが踊っていた。笑顔で歌って、お花を降らせて。僕は楽園や天国を見つけたみたい嬉しくて。遠くて触れることができなかったけど、ずっと見ていたんだ」
私とキアランの出会いはもしかしたら、ずっと昔のことだったのかもしれません。私が呑気に楽しい夢を見ている間も、キアランはあの檻の中にいたのでしょうか。
どんな慰めも、言葉になりませんでした。
「キアラン。あなたは何を望みますか?」
キアランが棲んでいた深い森に返せる日が来るまで、私にできることをしてあげるしかありません。
キアランはキョトンとした顔で答えました。
「ルナが僕の飼い主になって」
「飼い主だなんて……あなたを閉じ込めたり、繋いだりする悪いご主人様はもういません。あなたは自由なんですよ?」
「ルナと一緒にご飯を食べたり、昼寝をしたりしたいんだ」
私は健気に訴えるキアランに笑いかけました。
「それはね、お友達って言うんですよ。私とキアランはお友達になりましょう」
その言葉を発した瞬間に、キアランの黒い瞳が金色に変わって、輝きました。キアランの小さな体からも金色の光が溢れて、私を包みます。
あら? 何やら珍獣と私の間で契約のようなものが交わされたような気がしますが、キアランが嬉しそうなので、良しとします。
スリスリ、とキアランは自分の額を私に擦り付けました。あの美青年に化けていた時と同じ仕草。やっぱりあれは、子犬の習性だったのです。




