20 悪魔という穢れ
降り立った地面は振動しています。
私は怒りに満ちたまま寝入ったので、美しい景色など想像する余裕はありませんでした。夢の背景は巨大な活火山の連なりです。
ドオオ、ドオーン!
まるで私の気持ちを体現するように火山は真っ赤なマグマを噴いて、空を黒煙で埋め尽くしています。
「岐路から火山が見えているでしょう!? キアラさん!!」
キアラさんが今、眠っているかはわかりません。でも、彼はいつでも私の夢にやって来る。きっと今日も。
……ほら、思った通りです。
黒煙が渦巻いて空に穴が開くと、その中からキアラさんがゆっくりと舞い降りました。流れるような漆黒の髪は禍々しいほどに美しく、マグマを映して紅色に燃える瞳は神秘が過ぎて恐ろしいほどです。
黒い羽織り物をはためかせて地面に降りると、いつもと同じ澄んだ声でおっしゃいました。
「ルナ。今日の夢は激しいね」
「あ、当たり前です! 私はすごく怒っているのですから!」
キアラさんは悲しそうに眉を下げました。そんな可哀想な顔をしたって、私は騙されません。
「キアラさん。私の大切なお友達であるコリンナさんを、夢の中で捕らえましたね? しかも、悪魔なんか使って!」
「だって。あの子がいたら、ルナとお昼休みに夢で会えないから」
何か言い訳をするかと思いきや、早々にストレートな白状をしたので、私はずっこけそうになりました。
「だからってあんな、獣のように首輪をつけて鎖で繋ぐなんて、酷すぎます!」
キアラさんは首を傾げました。
「でも、あの子は退屈しなかったでしょ? 踊る悪魔に魅入って、夢中だったはずだよ?」
キアラさんの残酷なまでに純粋な思考に、私は言葉が詰まりました。お話が通じません。
キアラさんは赤い瞳を細めて笑顔になると、火山を振り返って手を広げました。
「ルナの怒りのマグマはなんて美しいんだろう。僕はこんなに鮮やかな赤色を見たのは初めてだよ」
そしてそのままこちらに顔を向けました。ゾッとするような妖艶な表情です。まるで人間ではないような……。
「僕たちに悪魔はいらないね。だって、ルナの素晴らしい夢があったら、ずっと退屈しないもの」
「な、なにを言ってるんですか! キアラさん、あなたはコリンナさんだけでなく、辺境の村人たちの夢にも、悪魔を使って悪さをしましたね?」
「ああ……あれは試しただけだよ。ちょうどあの村を通りかかったから、何匹か悪魔を使ってみたんだ」
私は愕然としました。あの辺境の奇病とされる ”おサボリ病” もキアラさんの仕業だったのです。通りがかりに試しただなんて、旅でもしながら夢を操っているようです。
確かに出会った当初、私の夢をずっと覗いていたけど、遠すぎて会えなかったとおっしゃっていました。キアラさんは深い森の国から辺境を通ってやって来て、今、この王都にいるのかもしれません。
私は思わず、キアラさんを指差しました。
「キアラさん、あなたこそ悪魔ではないのですか!?」
私が薄々感じていた、キアラさんの人間離れした神秘的な姿や、夢使いとしての異様な強さが、明らかな疑惑として浮き彫りになりました。悪魔どころか、悪魔の親玉かもしれません!
「まさか。僕は悪魔なんて低俗な物ではないよ。ほら、これをご覧」
キアラさんは手元に一冊の本を現しました。黒くて、重厚で、禍々しい本……。あれは魔術書です!
本を開いて、私に中のページを捲って見せました。そこには数々の悪魔の絵が記されています。
黒い体に山羊の角、一角の角、蝙蝠の羽にトカゲの尻尾、獣の爪と牙……。
「うっ……」
魔術書に描かれている悪魔のバリエーションに私は気圧されて、後退りしました。あまりに不吉です。
「この魔術書の題名はね、成功者の脚を掴む者。つまり、がんばる人や人生を謳歌する人の脚を引っ張りたい、という人間の悪しき心から生まれた悪魔たちなんだよ」
うへえ……。いくら怠惰な私でも、人の脚を引っ張るだなんて酷い考えは理解ができません。
「な、なんて悪趣味な悪魔ですか……」
「でしょう? 全部、人間から生まれた穢れなんだ。人は恐ろしいほどに醜くて残酷な考えを持っているんだよ。それが全部、悪魔となってこの世界に生まれてしまったんだ」
「そ、それは酷い話ですね……」
いけません。私はキアラさんを叱りつけるはずが、話に呑まれています。だって、これが全部人間から生まれたと聞いたら、なんだか人として申し訳ないというか、悍しいというか。複雑な気持ちです。
「キ、キアラさんはいったい、そんな恐ろしい魔術書をどこで手に入れたのですか!?」
「これはね、僕のご主人様が与えてくれたの」
「ご、ご主人様?」
キアラさんは微笑んで頷きました。どうやらキアラさんは誰かに命令されて、こんなことをしているようです。いったいどんな悪いご主人様ですか!
「キアラさん……あなたのような強い力を持つ夢使いが、なぜそんな悪者に仕えているのですか?」
「僕は生まれてすぐに従僕だったから。飼われる生き方しか知らないんだ」
なんという境遇でしょうか。生まれてからずっと、悪い主に洗脳されているということでしょうか。叱責から説得にシフトしようと考えた私ですが、根が深そうな主従関係に臆してしまいます。
キアラさんは魔術書を閉じて、溜息を吐きました。
「人間は自業自得だよ。自ら悪魔を作り出し、その悪魔に取り憑かれるんだから」
「うっ……で、でも、人間も悪い人ばかりじゃないですから!」
そうです。私は優しい人も、真面目な人も、立派な人も、沢山知っています。私の家族やお友達、お姉様、王子様……。大切な人たちの顔が次々と浮かんで、涙が滲みました。悪い人が作った悪魔に善良な人が取り憑かれるなんて、理不尽ではありませんか!
キアラさんはまるで私の感情に同調するように、優しく頷きました。
「わかるよ、ルナ。人間のすべてが悪しきものではないと、僕にもわかる」
「だ、だったらなぜこんなことを……」
キアラさんは魔術書を仕舞って、私に近づきました。私は咄嗟に飛びのこうとしましたが、両足が動きません。見下ろすと、黒い植物の蔦が割れた地面から伸びて、私の脚を絡め取っていました。
必死に脚を動かそうとする間に、キアラさんは私の両肩を掴んで、私の瞳を覗き込みました。
「ご主人様にルナのことを話したら、作戦を邪魔する夢使いは殺せ、と言われたんだ」
私はキアラさんの赤色の瞳に心囚われて、心臓が軋むように震えました。




