17 王子様の赤面事情
王子様はどんどん、先へ歩いて行ってしまわれます。私のちんまい足はそれを追いかけるので精一杯……だけど、右手はしっかりと握られて。私たちは手を繋いだまま、学園の校舎の中を進みました。
「あ、あのっ、王子様? み、皆様に見られてしまうので……」
私は痛いほどに視線を感じています。お昼時間の校舎の廊下にはたくさんの生徒たちがいて、王子様がちんまい私を連れて……一応、専属の聖女であると認識はされておりますが、手をしかと繋いでいるのですから!
王子様があまりに毅然となさっているので、なにか怒ってらっしゃるのかもと不安になりますが、握った手は変わらず温かく優しいのです。
バタン、と音をたてて扉が閉まりました。ここは無人の学習室です。
王子様は手を離して私の正面に振り返ると、潔く頭を下げました。
「ごめん。ルナ」
「えっ??」
いったいなんの謝罪かわかりません。王子様は恥ずかしそうに目を逸らしました。そのお顔も色っぽいですが、真剣な空気です。
「オリビアのこと。俺がちゃんとルナに説明しなかったから、不安にさせたよな」
「えっ、あっ……」
「昼休みになってすぐに、ノアが俺の教室に来たんだ。オリビアがチビ……ルナを連れ出したぞ、って」
なんと、ノアさんは私がオリビア様に連れ出されるのを目撃して、王子様にお伝えくださったようです。チビ呼びが常習化しているのは遺憾ですが、ナイス助け舟です!
王子様は私を真っ直ぐに見つめておっしゃいました。
「オリビアとは元婚約者でもなんでもないし、そもそも女として見てないし、男友達というか……ただのガキ大将だから。俺とクロードとノアの間では共通認識だけど、ルナはオリビアを知らないから、急に俺と親しい女性が現れたら驚いてしまうよな」
「うっ、は、はい……」
私のもやもやとした不安の原因を、王子様はすべて説明してくださいました。これもノアさんが助言してくださったのかもしれません。
王子様は金色の髪をクシャッとかき上げると、またお恥ずかしそうなお顔です。
「オリビアが学園に急に戻って来て、俺は正直焦ったというか、戸惑ったんだ」
「え、なぜですか?」
「それは……あいつは強引で勝ち気な奴だから……」
確かに、いきなり剣術部で道場破りしてましたもんね。サーカスへの誘い方からも、オリビア様の強引さが窺えます。
「子供の頃にあいつに仕掛けられた悪戯や決闘で、俺はたくさん恥をかいたし泣かされたんだ。奴はそういう俺の恥ずかしいネタを大量に持ってるから」
私は目を丸くしました。オリビア様が王子様を泣かせていたなんて。思っていた以上に、じゃじゃ馬令嬢のようです!
「俺の恥を嬉々としてルナに晒すんじゃないかって、内心ビビってたんだ」
王子様は本心を告白した後、悔しそうに「クソッ」と呟きました。
「ダサいな、俺……。ルナにこういうところを見られたくないんだけど」
「……ぷっ、あはは!」
私は耐えきれず、笑ってしまいました。だって、王子様のお顔のなんとも可愛いこと!
私が笑ったら、王子様にも照れた笑顔が戻りました。
「王子様はご心配されますが、オリビア様は私と二人きりの時もサーカスのお話ばかりで、暴露話なんてしませんでしたよ?」
テラスで王子様が乱入した後、王子様のもとにも親衛隊がランチを運んできたので、強制的にオリビア様と私と王子様、という三人での変なランチタイムとなったのですが、その際もオリビア様は珍獣への夢を語るばかりだったのです。
「ああ。あいつも大人になったのかな……。いや、なってないな」
王子様はオリビア様の天真爛漫なお顔を思い浮かべて、首を振りました。
私はこんなに王子様が振り回されてしまう「恥」というのが気になって、ウズウズとしてしまいます。
「あの、王子様はオリビア様にどんな悪戯をされたのですか?」
「あいつは俺の嫌いな虫を捕まえて泣くまで追いかけて来たり、決闘で負けたからと無理やり女装させたり……」
王子様は素直に告白しながら我に返ると、焦って言い訳をなさいました。
「あくまで幼い頃の話だぞ!? 今、決闘してもオリビアに負けるわけないから!」
「ぶっ、あははは!」
王子様の必死さに大笑いしてしまいました。王子様は苦虫を噛み潰したようなお顔ですが、そんな些細な思い出が恥だなんて、大袈裟です。
「私は王子様と出会ってすぐに、泣き顔を見ましたよ?」
「えっ!?」
「夢の中で小さな子供になって、悪魔が怖いと泣いてらしたじゃないですか」
「あ……そうか……」
あの可憐でいじらしいちびっこ王子様のお姿を思い出して、私は胸がキューンと締めつけられました。小さなお身体を抱きしめたくて王子様の腰元に手を回しましたが、成長した王子様より小さい私は、蝉みたいにくっつくしかありません。撫でたい頭も手が届きませんから。
王子様も私を抱きしめ返して、私は全身が温かくて良い香りに包まれました。至福のハグです。
はあ、好き。王子様が好き。
この好きという感情は、どこまで膨らんでいくのでしょうか。
無限大に膨らんで、たびたび気持ちが爆発するみたいに極まります。
恋を知らなかった頃は、こんな現象があるなんて想像も及びませんでした。
感極まった私の脳裏にふと、キアラさんが浮かびました。
王子様が素直に、恥ずかしいことをすべてお話してくださったのに、私だけが秘密を抱えていて、ずるいような気持ちになったのです。
私は夢の中で夢使いであるキアラさんと出会い、その後も何度かお会いしていると、包み隠さずお伝えしよう。そう決意したタイミングで、授業が始まる予鈴の鐘が鳴りました。
「ルナと一緒にいると、時が過ぎるのがあっという間だな」
王子様は名残惜しそうに、私から離れました。温度と香りを残したまま。
「はい。王子様は試合前でお忙しいですし、私も王子妃教育でてんてこ舞いですし」
私は寂しそうに言いながら、それでもこれが王子妃になるための準備だと思うと、やはり顔が綻んでしまいます。幸せ笑いの私のおでこにキスをすると、王子様は学習室の扉を開けました。
「今夜また夢で逢おう。ルナ」
ひいいん! 王子様が素敵すぎて、午後の授業は身にならなさそうです!
キアラさんのことを言いそびれてしまいましたが、今夜、王子様が宮廷に戻られたら、じっくりお話しようと思います。
私はふわふわと。浮かれた千鳥足で教室へ戻りました。
この時は今宵、グレンナイト王国にあんな事件が起きるだなんて、夢にも思わなかったのです……。




