16 オリビア様の誘惑
オリビア様がテーブルの上に置いた二枚の長細い紙には、見たことのない生物の絵が描かれていました。
ユニコーンに、ドラゴン。それから……ゴブリンでしょうか?
「これは……サーカスのチケット?」
私の呟きに、オリビア様はニヤリと笑いました。
「そう。この王都にサーカスがやってきたんだよ! 内陸の遠い小国から、いろんな国を渡って遥々と、グレンナイト王国にたどり着いたんだ!」
私はチケットを手に取って、描かれている絵をまじまじと見ました。
「あの、ユニコーンとかドラゴンが描かれていますが……」
「うん! 私も留学した隣国で聞いた話なんだが、深い森に隣接する国では、いまだに珍獣が実在すると言われているらしい。サーカス団は珍獣を捕らえて、芸を仕込んでいるんだって!」
私はキアラさんから聞いた、森に棲む珍獣の話を思い出しました。まさか、サーカス団が珍獣に玉乗りやブランコをやらせているなんて! 思わぬ珍獣との出会いのチャンスに、私が舞い上がって「あわあわ」していると、オリビア様はグッと私にお顔を寄せて、素敵なお声で誘惑しました。
「ねぇルナ。このサーカスに、私と一緒に行こうよ」
「!!」
オリビア様からサーカスのお誘いとは、驚きました。
私はサーカスに行ったことも見たこともないし、何より ”私とオリビア様” という妙な組み合わせに戸惑ってしまいます。
「あ、あの、でも……」
私の動揺した返事に被せるように、オリビア様は囁きました。
「ルナは夢使いなんだろう? 夢を自在に操る、珍しい力を持っていると聞いたよ」
「えっ、そ、それは、アンディ王子殿下から聞いたのですか?」
「ううん。あいつはルナのことを私に全然教えてくれないから、侯爵家のルートを使って情報を得たんだ。アンディの婚約者になったルナ・マーリン伯爵令嬢は、特別な聖女なんだ、って」
オリビア様は満面の笑みで、薔薇色の瞳をキラキラとさせています。
「夢を操るだなんて、最高じゃないか! 私と一緒にサーカスに行って、本物のユニコーンやドラゴンを観察するんだ。そして夢の中に登場させようじゃないか!」
私は興奮で身震いしました。
もし、本物の珍獣をこの目で見ることができたなら、ファンタジーな夢のリアリティはより鮮明になるでしょう。私は臆するより好奇心が勝って、うわずった声でお返事しました。
「ぜ、ぜひ、私もサーカスにご一緒したいです!」
その瞬間。
私とオリビア様の昼食が乗ったテーブルが、バン! と音を立てて、衝撃で揺れました。
私は驚いて「ひゃあ!」と悲鳴を上げて、椅子から飛び上がりました。
テーブルを叩いた人物を恐る恐る見上げると、なんとそこには、アンディ王子殿下がいらしたのです! お髪も制服も珍しく乱れて、テーブルに両手をついたまま、ハア、ハア、と肩で息をしています。どうやら三年生の教室からテラスまで、全力で走ってきたみたいです!
唖然とする私の対面で、オリビア様はシラけたお顔をなさいました。
「なんだ、アンディか。せっかくかわい子ちゃんと楽しくランチをしてるのに、無粋だな」
「オ、オリビア。お前なぁ……」
王子様は息切れしながらオリビア様を睨むと、私が手に持っていたサーカスのチケットを乱暴にむしり取り、オリビア様のお顔の前に突きつけました。
「お前、ルナをこんな怪しい催し物に誘うな!」
王子様のお怒りのお声に、テラスでお食事していた生徒たちは、息を飲んでこちらに注目しました。あまりに目立った行動に王子様は途中で我に返って咳払いをすると、静かに私の隣に座りました。
そして私の方を向いて、冷静に戻った真顔でおっしゃいました。
「ルナ。こいつの言うことをまともに聞かなくていいから」
「え、で、でも! サーカスに珍獣がいるんですよ!?」
すっかり乗り気の私に王子様は溜息をついて、サーカスのチケットを改めてオリビア様に突き返しました。
「あのな、オリビア。他国から金稼ぎのために王国に入ってくるサーカスや劇団は、怪しい密輸入や人身売買の温床となっていて、王国も目を光らせているんだ。そんな所にルナを連れて行くなんて、とんでもないことだぞ」
驚きました。サーカスにそんな闇があるなんて……。
それでも私は諦めきれず、王子様の袖口を引っ張りました。
「でも、珍獣が来たのですよ!? これを見てください、ユニコーンにドラゴンですよ!?」
王子様は私が指したチケットの絵を見下ろすと、まるで子供を諭すようにおっしゃいました。
「ルナ。サーカスの怪しげな主催者は、白い馬に偽物の角をつけてユニコーンだと言い張るし、南国から大きなトカゲを連れてきて、ドラゴンだと偽るんだ。クリフが調査した資料だから間違いない」
隙のない仕事人であるクリフさんのお顔が浮かんで、私は愕然としました。確かにクリフさんの調査なら、正しいのでしょう。
夢を砕かれて消沈する私を見て、オリビア様は残念そうなお顔です。
「まったく。アンディは夢がないなぁ。自分の目で確かめないと、偽物かどうかわからないじゃないか」
王子様は冷たい横目でオリビア様を嗜めました。
「お前が衝動的に行動する奴だっていうのは知ってるけど、俺の大切な婚約者を振り回すのはやめてくれ」
意気消沈して椅子にもたれかかっていた私は、心臓がズキューン! と高鳴りました!
王子様がハッキリと、私のことを「大切な婚約者」とおっしゃっただけでなく、同時にテーブルの下でこっそりと、私のちんまい手をギュッと握ったのです。なんて温かな手でしょうか!
ギュンギュンギュン! と体温が上がって、私の胸は苦しいくらいに鐘を鳴らしています。
「ほわぁ」と王子様のお顔を見上げると、王子様は騙された子供をあやすような、優しいお顔で私を憂いていました。
珍獣への未練も、オリビア様の誘惑も、全てが吹っ飛びました!
王子様の一言が。優しい触れあいが。
いつだって、私をお花畑に連れて行ってくれるのです。




