8 同僚なので無罪です
「ふはっ!」
私はベッドから飛び起きました。珍しく、取り乱した寝起きです。
寝室の窓の外はまだ夜明け前で、暁色が王都の向こうに微かに見えます。時間は午前5時。学園に登校するために起きるには、まだ早い時間です。
隣を見下ろすと、王子様が天使のお顔ですやすやと眠っております。
昨晩の夢でお会いできなかったせいか、私は王子様のお姿を確認して安心しました。
自分の両頬に触れてみると、きっと赤面しているのでしょう。熱くなっています。
夢の中の泉に現れた夢使いの美貌の男性、キアラさんを思い出します。
間近で見つめあった青緑の瞳が記憶に焼き付いて、鼓動がバクバクと跳ねています。静かな寝室で私一人だけが、お祭りみたいに興奮しているようです。
「こ、これだからイケメンの人って困りますね……心臓に悪いですから……」
私は言い訳の独り言を呟きました。この動悸は男性を意識したものではないと、自分自身に言い張るためです。夢使いと夢の中で出会ってしまった、という衝撃よりも、王子様の知らない場所で、知らない男性と逢引したような結果になってしまったことに、私は動揺していました。
そっと枕に頭を戻して、王子様の天使の寝顔を間近で見つめました。
なんて麗しくて、可愛くて、愛しいのでしょうか。
胸がキューンと苦しくなって、どうしようもなく心惹かれます。
「やっぱり私は、王子様が大好きです」
小声で告白して、自分の恋心が変わらない事実に安心しました。
夢の中で、あれだけ神秘的な美貌を持つ男性と間近で見つめ合ったのですから、男性に不慣れな自分が心乱されるのは、仕方がないことです。同じ能力者……つまり職場の同僚みたいなもので、後ろめたいことなど何もありませんから。うん。
私は王子様の手をそっと握って、目覚める前の浅い眠りで見る夢に、叶わなかったデートの代わりにお邪魔することにしました。
学園に登校する前の王子様は、朝食の席で小さく欠伸をしています。
剣術の試合前で朝練がある王子様は、いつもより少しお早めの起床ですが、私も早起きして朝食をご一緒しているのです。
「ルナはもう少し寝ててよかったのに。積極的に早起きするなんて珍しいな」
「そ、それはだって、朝練に向かわれる王子様を応援しなきゃいけないですから」
爽やかな朝の太陽を浴びて、金色の髪もバイオレットの瞳も燦然と輝く王子様が私を見つめていて、その眩さに私は茫然としました。
「寝坊助のくせに無理しちゃって。自分の皿を見てみろよ」
王子様に言われた通り、手元の皿を見下ろすと、私はパンケーキにメープルシロップをダクダクと掛けていました。
「うわーっ! シロップの洪水です!」
「わはは!」
侍女のサラさんがパンケーキのお皿を下げようとしたので、私は慌てて止めました。
「あ、大丈夫ですよ! このビショビショな奴もまたオツなので!」
サラさんはサラッと引き下がりました。
私のドジのせいで美味しいパンケーキを台無しにするなんて、申し訳がないです。
王子様はお食事を終えて優雅に紅茶を召し上がりながら、今朝方見た夢を思い出しているようです。
「それにしても、ずいぶんドタバタした夢だったな。やたらたくさんの動物が出てきて、ルナはネグリジェのままだし、俺もパジャマのままだったような」
私はビショ濡れのパンケーキを喉に詰まらせて、咳き込みました。
あの夢使いのキアラさんと同じ夢をお王子様と見るのはなんだか気が引けて、私は新しい夢を慌てて構築したために、わけのわからない内容になってしまったのです。夢使いにあるまじき、失態です。
「ちょ、ちょっとイメージの詰め込みすぎというか、楽しくしようと焦って破茶滅茶になってしまって……せっかくの休眠なのにすみません……」
申し訳なさと後ろめたさで肩を落とす私に、王子様は意地悪なお顔をしつつ、優しいお声でおっしゃいました。
「パジャマだろうが破茶滅茶だろうが、ルナと一緒にいれば何でも楽しいけどな。ある意味ルナらしい夢じゃないか」
ぶほほほ! 朝からなんてご褒美みたいな甘いセリフを下さるのでしょうか!
はあ、王子様が好き。大好き。
こういう色っぽいのに爽やかなところが、大好物です!
のぼせながらパンケーキを貪る私の横で、サラさんはほんの少し微笑んでいました。
学園の登校時間になり、私は教室にやってきました。
コリンナさんが待ってましたとばかりに、興奮気味に駆け寄って参りました。
「ルナさん! 剣術部の朝練を見学されなかったのですか? 今朝はアンディ王子殿下と部長のクロードさんの手合わせを見ることができましたよ! それはもう、すごく眼福で……迫力の対決でした! アンディ王子殿下の鬼気迫る攻撃に、クロードさんが珍しく敗れまして! 流石の三強騎士様でございます……!」
まくしたてるコリンナさんのご報告に、私は苦笑いしました。王子様がクロードさんに対して個人的な嫉妬の恨みをぶつけているのではないかと心配ですが、対決に勝ったなら良かったです。
コリンナさんは一息吐くと、私の顔を覗き込みました。
「あら……? ルナさん、寝不足ですか? なんだかぼんやりなさってるみたい」
「えっ、そ、そうですか?」
「ははーん、さては王子様と夢のデートをなさって……」
「ちっ、違いますよ!」
私は慌てて教室を見回しました。コリンナさんも手で自分の口を抑えています。
コリンナさんは話題を変えて、自分の胸に抱えている本の表紙を私に見せました。
「これ……ご覧ください! うちの父が秘密のルートを使って、入手してきたんですよ!」
「わ、これはあの大男の児童書の、幻と呼ばれる番外編じゃないですか。過激な描写があるから、殆ど発禁本状態で手に入らないと言われているのに。さすが、宮廷の司書コナーさんですね」
「父は本好きが高じて、何やら怪しげな読書サークルに属しているので……。それで、もしよかったらお昼休みにこちらを一緒に読んで、また夢を見ませんか」
「いいですね! ぜひ、大男とお猿さんの冒険をご一緒しましょう」
私とコリンナさんはお昼の僅かな時間に、夢の中で一緒に冒険する遊びに嵌まっています。コリンナさんが棍棒を振り回す大男に。そして私が相棒のお猿さんになって肩に乗り、二人で大活躍する痛快な物語です。
お昼時間が今から楽しみになって、午前中の授業は頭に入らなさそうです。
私は寝不足の目をにんまりとさせて、妄想に耽ったのでした。




