6 夢か現か美貌の人
瑞々しい緑の香りに満ちた森の中に、青とエメラルドを移ろう美しい泉があります。
辺りにはたくさんの小さな光が浮かんでいて、それは全て、遥か昔この世界に存在したと言われる、妖精たちなのです。
私が構築したファンタジーの世界は夢の中で完璧に再現されて、真っ白なワンピースを着た私は、仁王立ちで景色を見回しました。
「むふふ。こんなにファンタスティックな世界を見たら、王子様もきっとお喜びになるでしょうね。寝入りが待ち遠しいです」
私は念入りにワンピースの襟元や、髪に飾ったリボンをいじったりして、王子様がいらっしゃるのを待ちました。どうやらいつもより、寝入りに時間がかかっているようです。
眠る際に王子様の意識を強引に引張る方法もあるのですが、それだと私の乙女な支度が間に合わないので。万全に準備をして、可愛く王子様をお迎えしたいですからね。
草を踏む音が後ろから聞こえて、私は満面の笑みで振り返りました。
「王子様! 見てください、この妖精の泉を……」
私は笑顔のまま、固まりました。
あれ? 王子様では、ない?
え? だ、だだだ、誰!?
王子様が立っているはずの場所には、見知らぬ人が立っていたのです。
スラリと長い手足で、背丈は王子様と同じくらい高く。麗しい漆黒の長い髪を風に揺らして、泉と同じ青緑色の神秘的な瞳でこちらを見つめています。端正なお顔はほんのり笑みを浮かべていて、まるで相手は私を知っているような雰囲気です。
いや、私はこの方を存じません。一度見たら二度と忘れないであろうほどの、美貌と神秘を兼ね備えていますから。
「えっと、あの、どちら様でしょうか……」
自分で作った夢の中に出てきた人物に、素性をお尋ねするのはおかしな話ですが、私はこのような美しい男性を夢に登場させた覚えは無いのです。
もしやと思って、私はコリンナさんにお借りした本の数々を、高速で思い出しました。魅力的な男性が出てくる本がいくつかありましたので、無意識に妄想してしまった可能性があるからです。
「えらいこっちゃ」と頭を抱える私に、対面する美貌の男性は瞳を細めて微笑みました。
「ルナ。やっと会えたね」
へ? 私の名前を知っている?
しかもやっと会えたって、初対面のはずですが……。
私には男性のお友達が存在しませんし、学園の中にもこのような方はお見かけしません。まさか己の内なる願望が具現化してしまったのかと、いよいよ自分の妄想癖に恐怖を感じてしまいます。
ひとまず、正直にお詫びすることにしました。
「え~と、すみません。私の卑しい妄想が、夢の中であなたを作り出してしまったようです。こんなところを王子様に見られたら恥ずかしいので、申し訳ないですが、ちょっと消させていただきますね」
まるでスケッチブックに恥ずかしい絵を書いてしまったような気持ちです。でも、消しゴムでサクッと消すにはあまりに存在感があるので、一応お断りをしてから退場していただくことにしました。
私は美貌の男性に向かって両手を向けて消去しようとしましたが……。
「あれ?」
消すことができませんでした。おや? おかしいですね。
男性は消えるどころか、こちらに向かって歩み寄りました。
うわ~、近くで見上げると、そのお顔はますます神秘的で美しいです。青とエメラルドを映す瞳は生き生きと輝いていて、妄想で作られた人物とは思えない現実感です。
「僕はルナが作った妄想の人物ではないよ。キアラという名前で、現実の世界を生きる人間だよ」
「え、あ、キアラ……さん?、だだだ、誰?」
名乗られても存じ上げません。慌てふためく私の顔を見て、キアラと名乗る美貌の男性は「あはは」と澄んだ声を上げて笑いました。
そして、信じられないことを口にしたのです。
「僕はルナと同じ、夢使いの力を持つ者だよ。遠い場所から君の夢を見つけてから、ずっと見ていたんだ。あまりに遠すぎて互いに接触することができなかったけど、とうとう会うことができた」
ガーン!
あまりの衝撃で、私は目を見開いたまま「あうあう」と絶句してしまいました。
私と同じ夢使いの能力者で、しかもずっと見ていた?
つまり、今まで私が一人で楽しんでいたトンチキな夢や、王子様とイチャラブしていたデートの夢を、この方は遠くからずっと見ていたということですか?
私は羞恥と混乱でキアラさんと見つめ合ったまま、言葉を返すことができませんでした。
キアラさんは優しい笑顔で小首を傾げています。悪い人ではなさそうですが、私の夢が他人にだだ漏れだったとすると、あまりに恥ずかしすぎます!
「あ、あの、キアラさん! その、私のお恥ずかしい夢をお見せしてしまって、申し訳ないというかなんというか、あの、どうかこのことは内密に……!」
「もちろん、誰にも言わないよ。だって、夢使いの守秘義務だからね」
私はギョッとしました。それは私のいつもの決めゼリフです。キアラさんは私の夢を覗き見して、セリフまで覚えてしまったのでしょうか?
私が青冷めたり、赤面したりパニックになっているのをよそに、キアラさんは呑気に妖精の泉に近づいて眺めています。
「それにしても、ルナの夢使いの能力は素晴らしいね。こんなにも多彩な色や音や香りまでも、リアルに再現してしまうのだから。君は一流の夢使いだよ」
突然のお褒めの言葉に、私は我に返って照れました。夢を褒められると、こんな時でも誇らしくなってしまいます。
「いやぁ、それほどでも……」
謙遜しながら、私は重要なことに気づきました。
突然現れた夢使いのキアラさんに気をとられて、私はすっかり、王子様のことを忘れていたのです。今夜は寝入りが遅いといっても、ほどがあります。もしかして繋いでいた手を離してしまって、王子様は夢に入れなかったのでしょうか。
そんな私の考えを読むように、泉を眺めていたキアラさんは、私を振り返ってこうおっしゃいました。
「王子様との夢の共有は遮断させてもらったよ。ルナと二人で話がしたかったからね」
その言葉に、私の背中はゾッと震えました。
他者の夢を覗き、さらに共有を遮断するだなんて、キアラさんこそ、夢使いとしての能力が凄まじく高いのではないでしょうか。
まるで自分の夢を完全に掌握されているような……そんな恐怖が湧いてきたのです。




