17 王子様はスパルタ
パーーン!
「えっ?」
リーリア令嬢のお部屋に、乾いた音が響きました。
ベッドの上に飛び乗ってリーリア令嬢に跨った王子様は、何とリーリア令嬢の胸ぐらを掴んだ上で、ビンタをかましたのでした。
私もリーリア令嬢も、王子様の乱暴に目を剥きました。しかも、続けて王子様は怒鳴ったのです。
「てめえ、いい加減にしろ! いつまで幻に縋ってんだ! 本物の俺はあんなに優しくないし、楽な方へと誘惑なんてしないぞ!」
リーリア令嬢は不良みたいに怒る王子様を初めて見たのでしょう。ショックのあまり、石のように固まっています。
それに同調したのか、巨大な蜘蛛のリーリア令嬢もガラガラと音を立てて、崩れ落ちました。
私は遠くから、お怒りの王子様の背中を見ながら頷きました。そうなんですよね。王子様は気怠い優男に見えて、結構スパルタなんですよ。私は勉強とダンスのレッスンで思い知りましたから。
王子様は続けて私の方を指さしました。
「それにな、ルナがインチキの聖女だとか、どこ見てほざいてやがる。お前を助けに来た命の恩人だぞ! 現実をしっかり見ろ!」
リーリア令嬢は涙ぐんで歯を食いしばっています。眠気が吹っ飛んだのか、毅然とした目の光が戻ってきました。
王子様はそれを見て、ふ、と微笑みました。
「お前みたいに向上心が強い奴は嫌いじゃない。殴って悪かったな。もう目が醒めただろ?」
急に優しい声になったので、リーリア令嬢は頬を染めて頷きました。そして体が透けるように淡くなって、ベッドの上から消えて無くなりました。
まるで成仏したような消え方に、王子様は焦って私を振り返りましたので、私は笑顔で手を広げてみせました。
「周りを見回してください。ここはもう、リーリア令嬢の意識の中ではないですよ。リーリア令嬢は目を醒まして現実に戻ったので、今は私の夢の中です」
周囲は草原と青空に景色が変わっています。散々暗い意識の底を歩いたので、明るい場所がいいかと思って。
「はぁ……。良かった。俺が殴ったせいで死んだのかと思った」
野原に脱力するように座って天を仰ぐ王子様に、私は歩み寄りました。
「王子様は飴と鞭を使うのがお上手ですから。リーリア令嬢は王子様の新たな面を見て、惚れ直してしまったんじゃないですかね」
私は嫉妬が混ざって心配を口にしましたが、王子様は薬のことが気になっているようです。
「それにしても、処方箋を無視して命懸けで薬を飲むとはな。そんなに美容が大事か?」
「女の子は誰だって、綺麗になりたいですからね」
「ふん。だがその薬屋は廃業だな。副作用の強い薬を売って国民を危険な目に合わせるような店は、クリフを調査に行かせて取り締まる」
王子様は草を払って立ち上がりました。
私はもやもやとした気持ちのまま、王子様を見上げました。
「あの。さっき、嫌いじゃないって、仰ってましたね。リーリア令嬢のこと……」
「まあ、いろんな意味でパワーがあって、面白い奴だと思うよ」
「美少女ですし、お似合いですもんね……」
ネチッとした私を戒めるみたいに、王子様は私のおでこをパチン、とデコピンしました。
「何が言いたいんだ? ハッキリ言えよ。ルナは俺に言わなきゃいけないことがあるだろ?」
「え?」
「俺は何度もルナに言っているぞ」
私は慌てて頭を巡らせました。
王子様が言ってて、私が言っていないことって?
「あ、ありがとうございました?」
まずはお礼を述べた私に、王子様は首を振りました。違ったようなので、幾つか素直な言葉を口にしてみます。
「王子様は格好いい」
「尊いし……」
「色っぽい!」
口にしながらテンションが上がる私を見下ろして、王子様は溜息を吐きました。
「そろそろ現実に戻るぞ。俺たち二人だけ眠ったままじゃ、心配しすぎてクリフの頭が禿げる」
「ぷっ! あはは!」
笑う私を王子様は抱き上げて、私の目を間近に見つめました。
嗚呼、美しいバイオレットの宙に引き込まれるようです。
「鈍感だけど、真っ直ぐなルナが好きだ」
煌く光の粒に包まれて、王子様の麗しいお顔も私の惚けた顔も、夢の中から消えていきます。
「ルナが好きだ」「好きだ」……
ああ、なんて有り難きお言葉でしょうか。
私はそっと、現実の体の目を覚ましました。
同時に、目前にある天使の寝顔の王子様も、バイオレットの美しい瞳を開きました。
周囲のどよめきや歓声が遠くに聞こえる中、私たちは互いの顔を見つめ合っています。
そしてすぐに、クリフさんが王子様に縋り付きました。
「アンディ王子! よくぞご無事で!」
クリフさんは鉄仮面ですが、王子様のことになると涙脆いようです。
私も体を起こして、空になった左手を確認し、側に跪くリフルお姉さまを見上げました。お姉さまは心配でずっと泣いていたのでしょう。真っ赤な目で微笑んでいました。隣ではギディオン騎士団長がお姉さまの肩を支えてくださっています。
「ルナ。戻ってくれてありがとう。リーリアさんは無事に目を覚まして、病院に運ばれたわ」
私はそれを聞いて、安堵で体の力が抜けました。
そしてもう一度王子様の方を向くと、手を繋いだままの王子様は優しく微笑んでいました。
私は現実味のない状況に呆然として、未だ夢の中に二人だけの気がして……。そして自然と、言葉が口をついたのです。
「好きです。王子様」
すると王子様は、少し驚いた後に不敵な笑みを浮かべました。
「やっと言ったな。俺も好きだ。ルナ」
そして私の首の後ろを片手で支えると、私のおでこにそっと口付けをしました。
その後のことは覚えていません。令嬢たちの悲鳴が会場に大きく響いた気がしたけれど、私は完全に王子様と二人だけの世界にいたのです。




