12 私と王子様だけ
お姉さまは小さく呟きました。
「まあ……ギディオン様!」
お姉さまの視線の先を見ると、王子様とは逆方向から、やたらと大きな方がやってきました。貴族の青年らしく正装していますが、普段は絶対鎧ですよね?という筋肉質の体と、漢らしく大きな傷跡のあるお顔です。
「リフル様! まさかお会いできるとは光栄です」
ギディオン様はリフルお姉さまのお顔を見て、嬉しそうに目を輝かせました。リフルお姉さまも優しく微笑んで、私を振り返って紹介してくださいました。
「こちらは騎士団長のギディオン・ハンター様。この子は私の可愛い妹、ルナですわ」
「おお、貴方が噂の夢使いの!」
リフルお姉さま曰く、任務で大怪我を負ったギディオン騎士団長をお姉さまが宮廷の医務室で治癒したらしく。その後長らく入院していたけど、今日の舞踏会に退院が間に合ったのだそうです。
それにしても、お姉さまのこんなお顔は初めて見ました。いつも淑やかで綺麗なお姉さまが、少女のように可愛らしく見えるのです。騎士団長が大きいというのもありますが、お姉さまのお顔はすっかり乙女のようで……。
騎士団長がお姉さまの手を取って、いつの間にか流れ出した音楽に誘われるように、二人は会場の中央へと向かいました。
「な、なんと、リフルお姉さまと男性がダンスを!?」
お姉さまの恋の予感にうつつを抜かしている間に、気がつくと後ろにあったドレスの波が花道のように割れて、私の真後ろにアンディ王子殿下が立ってらしたのです。尊い気配に私は振り返り、思わぬ近さに驚いて飛び上がりました。
「ぎょえ!?」
「ははは。何て声だよ」
いつもの不良みたいな口調の王子様。だけどキリッと王子様らしくお顔を引き締めると、極上のボイスでおっしゃったのです。
「ルナ。似合ってるよ、ドレス」
「えっ、おっ、あっ」
もはや会話さえできないほど狼狽える私のちんまい手を、王子様は支えるように優しく取りました。
「さあ、踊ろう」
格好よく振り返ってドレスの波の間を縫って戻る王子様の、良い香りに誘われるように私は着いていきました。
両側の花道には令嬢たちの唖然とした顔が並んでいましたが、私は頭が真っ白で、王子様の凛々しい背中しか見えません。
会場の中央はより一層明るく広く、重厚な音楽がお腹に響くほど大きく感じます。大勢の人が遠巻きに囲む中、私はまるで王子様と世界で二人きりのように、手を取ったまま向かい合いました。
どんなステップを踏むのかは、あれだけ夢の中で特訓したのですから、わかっていたはずです。でも、私の足は床と接着されたようにビクとも動きません。やがて周囲の不穏な騒めきを感じて、恐怖が大きくなっていきました。
未だかつてなく、多くの人に見られている。
それは羨望というよりも、困惑と嫉妬と、怒りの眼差しで。
真っ青な顔の私に、王子様はそっと近づきました。
ふあ、いい匂い。
そして小声で耳打ちしたのです。
「ルナ。ここは夢の中だ」
「ゆ、夢?」
「ルナが支配する夢の中だよ」
まじないをかけるように繰り返した後、スッと離れた王子様は音楽に合わせて、私をエスコートしました。
ステップ、ターン。ステップ、ターン!
景色も観客も、パレットに混ざる絵具のように回転して、王子様だけが真っ直ぐ私を見つめています。なんて贅沢で、なんて美しく、貴重な絵でしょうか。この一瞬の思い出だけで、100年は生きる! などと大仰な感動をしながら、私は王子様の「夢の中だよ」という言葉を信じて夢中で踊ったのです。
ジャン。
小気味良い音楽の終わりとステップが綺麗に揃って。我に返った私に、王子様はニヤリと笑いました。その不敵な笑顔で、私は上手に踊れたのだとわかったのでした。
私たちを取り囲んでいた令嬢の集団は、怒りを忘れてただ呆然と立ち尽くしていました。一瞬の沈黙の後、わっ、と雪崩た波は再びアンディ王子殿下を取り囲みました。「私も!」「いえ私と!」とダンスの要求の声が響いて、私はドン、ドシン、とお尻に跳ね飛ばされて、輪の外へと追い出され……最後はトドメのようにドーン!と突き飛ばされて、私は床に転がりました。
見上げると、キャンディピンクなリーリア令嬢がキッ、と私を睨み下ろしているではありませんか。私は恐怖で転がったまま這いつくばり、そのまま隅にある柱の陰へと逃げました。
信じられません。
あの苛烈な戦場の中で、王子様と踊った?
この私が? まるで本当に夢だったみたいです。
再び戦場となった会場の中央から離れて、住み慣れた柱の陰に到着しました。
が、なんとそこには、先客がいたのです!
「ひっ、ひええ!?」
陰の中に立っていたのは、包帯でグルグル巻きになった、ドレス姿の令嬢でした。すわ舞踏会に棲む亡霊かと、腰を抜かしました。しかし。
「私です……ルナさん……」
包帯グルグル巻きの令嬢は、聞き覚えのある声で私の名を呼んだのです。私は目を見開いて、包帯のお顔を見つめました。
「えっ!? コリンナさん、ですか!?」
コリンナさんとは、先日教室で初めてお話した、優等生で委員長のクラスメイトです。ドレスもダンスもまるでわからない、とはおっしゃっていましたが、まさか包帯でお顔を隠して来るなんて。
「ど、どうされたんですか!? その、包帯は??」
コリンナさんはさらに柱の陰に隠れて、小さなお声で理由をお話してくださいました。
「それが……私はやってしまったのです……」




