6 大聖女のおまじない
「婚約者を選抜する舞踏会ですって?」
リフルお姉さまは私の話を一通り聞いて、ピクリと眉を上げました。
私は号泣して体力を使い果たし、裏庭の芝生で三角座りのまま、呆然としております。
お姉さまは怒気を飲み込むように一呼吸置いて、サファイアの瞳を凛とさせました。
「ルナ。あなたはアンディ王子が好きなのね?」
「え!?」
思わぬ問いかけに、私は目を泳がせました。
「そ、それは、でも、私はみそっかすなので……」
「私はルナの本当の気持ちを聞いているのよ?」
リフルお姉さまに嘘は付けません。私はしばらく固まった後、コクリと頷きました。するとお姉さまは、大きな溜息を吐きました。
「腹立たしいわ。私の可愛いルナが、あんな不良を好きだなんて……」
不安そうな顔で見上げる私を、お姉さまは優しく見下ろしました。
「だけど私は何よりもルナが大切だから、自分の気持ちは我慢するわ」
「お姉さま……」
「ねえ、ルナ。あなたが好きな王子様は、沢山の人の思惑に囲まれているの。政治や権力のために、王子様が自分にとって有利な婚約をしてほしいと、誰もが画策しているのよ」
色めく令嬢ばかり気にしていた私は、その背後にある大きな力に慄いて、息を飲みました。
「だからね。婚約者を選抜する舞踏会なんて催しも、アンディ王子本人ではなく、周囲の関係者が企画しているのだと思うわ」
「そ、そうでしょうか」
お姉さまは目を伏せて、首を振りました。
「これは私の予想よ。だからルナは、自分でアンディ王子から真相を聞かなきゃダメ」
「で、でも……」
「ルナは控えめな子だから、言わなきゃいけない場面でいつも言葉が詰まってしまうのよね。本当は好きって気持ちも、アンディ王子にちゃんと伝えないといけないわ」
顔を真っ赤にして俯く私の手を、お姉さまは優しく取りました。
そして祈るように両手で握り、私の手を治癒の青い光で包みました。
「ルナが現実の世界でも、夢と同じように勇気を出せますように」
お姉さまの大聖女としての力は怪我や病気を癒すためのもので、人の性格や気持ちは治せません。だからこれは、お姉さまの心の篭ったおまじないなのです。
私はお姉さまの優しさにジンとして、心強い味方の存在に励まされたのでした。
♢♢♢
そんな感動的な姉妹の触れ合いがありましたが、私は変わらず勇気が出せずに、口籠ったままでした。放課後の勉強会にも王子様は来てくれず、気まずいままに夜になってしまったのです。
私はネグリジェで、王子様はパジャマで。キングサイズベッドの上で……。
だけど王子様はいつもと違って、一言も喋らずに背中を向けて眠ってしまいました。まだお怒りが収まらないようです。
私は完全に疎外された状況に涙目になりながら、お役御免どころか、お邪魔虫の状態に絶望的な気持ちになりました。
寂しい。ふたりでいるのにひとりぼっちなのは、ひとりよりも寂しい。矛盾した思いを巡らせながら、それでも私は寝落ちしました。
「ふごっ……」
仕方ありません。昨晩は徹夜だったので……。
「へ?」
私は夢の中で制服を着て、学園の机に着席していました。
だけど空間は真っ白で、黒板だけが宙に浮いている、おかしな景色です。週明けの追試を目前にして、不安からこんな夢を見ているのでしょうか。
ぼんやりと黒板を眺めているうちに、予想外の人物が目前に立ちました。
「あ!? お、王子様!?」
アンディ王子殿下が麗しい制服姿で、腕組みをして登場したのです。
嗚呼、私はなんて卑しい女でしょうか。王子様に愛想を尽かされたからといって、夢の中で会おうだなんて。
王子様は不敵な笑みを浮かべています。
「ふふ……ルナ。掛かったな」
まるで罠に掛かった虫を見下ろすような目線に、私は思わずゾクゾクと悦んでしまいました。
「うへへ……ふがっ」
王子様はにやける私のほっぺを片手で掴んで、意地悪に微笑みました。
「俺が背中を向けて寝ていると思って、油断したな? ルナが寝入るのを待って、俺はルナの夢をジャックしたんだ」
「ジャック!? じゃ、じゃあ、この教室の風景は……」
「俺が作り出した夢だ」
何と、王子様は私の夢使いの能力を利用して、夢の設定を乗っ取ったようです。流石の王子様。何という器用さ、優秀さ。惚れ惚れとしてしまいます。
王子様はトロンと見上げる私を鼻で笑って、空中に手を翳して教科書を出現させました。
「さあ、勉強を始めるぞ。教科書の内容はすべて俺が覚えているから安心しろ。全部ルナに暗記してもらうからな」
王子様の言うとおり、夢の教科書にはギッシリと、テストのヤマが詰まっていました。夢でこんなに克明に文字を刻むとは、王子様の頭脳の明晰ぶりに驚きます。
「ひえっ、夢の中でお勉強ですか!?」
楽しい夢の時間のはずが、苦手なお勉強。しかもスパルタなムードに私は仰け反りました。すると王子様は机に両手をついて、私の顔をぐっと覗き込みました。ふおぉ……美しいバイオレットの瞳に飲み込まれてしまいます。
「ルナ。現実と違って、夢の中のルナは最強なんだ。やろうと思えば何だってできる」
「そ、そうでしょうか」
「人は夢を見ながら、脳内に記憶すべき物を取捨選択するらしい。ルナの力を以ってすれば、文字の暗記なんてお手の物だよ」
自信に満ちた王子様の精悍なお顔を前に、私の中に不思議と好奇心が湧いてきました。夢で記憶を取捨選択し、暗記する……夢使いとして、未知なる能力を試してみたくなったのです。
私の顔が凛としたのを見て、王子様は優しく微笑みました。
「よしよし。テストで良い点を取ったら、ご褒美をあげるからな」
えっ、ご褒美って、何でしょう!?
王子様の罠に深々と嵌った私は、俄然と前のめりになったのでした。




