5 美少女、奇襲す
爽やかな朝。学園の教室に到着して。
私は着席してすぐに、左前方を注視しました。
ピンクに輝く赤髪が眩しい、クラスいちの美少女。リーリア伯爵令嬢です。まるで可憐な一輪の花のように、こちらにまで良い香りが届きそうな美しさ。まだ幼さを残したお顔はお人形のようで、笑顔が愛くるしいです。
「ひぃ……」
私は輝きに当てられて霧散してしまいそうで、教科書で顔を隠して防御しました。
昨日の放課後、アンディ王子殿下とあまりにお似合いだった光景が浮かんで、心がズンと重くなります。
それだけではありません。教室の女生徒たちが、何やら朝から浮ついているのです。彼方でヒソヒソ、此方でウフフと。学園でのアンディ王子殿下の婚約者募集の噂は、末端にまで広まっているようです。
見回せば、いつもより盛った髪にリボンが沢山結ばれて、女子度が上がっています。それはまるで戦闘態勢の整った戦士達に見えて、私は授業が終わるまで、防御したまま過ごしたのでした。
お昼の時間になり、私は学習室に向かいました。週明けに迫り来る追試に向けて、今日こそは王子様とのお勉強に集中せねばと考えていると、後ろから不意にお声がかかりました。
「ルナさん」
振り返ると、なんとそこにはあの美少女……リーリア伯爵令嬢がいらっしゃったのです。可愛らしく微笑んで、こちらに紙を差し出していました。
「ルナさん。こちらのテスト用紙を落としましたよ?」
「え? あ、うああ! あ、ありがとうございます!」
例の酷い点数の解答用紙です。よりによって、天敵である美少女に醜態を晒してしまいました。
慌てて受け取った用紙をポケットに捻じ込む私を、リーリア伯爵令嬢はキラキラとした瞳で見つめています。ま、眩しい。
「あの。ルナさんはアンディ王子殿下の専属の聖女って、本当ですか?」
「えっ? え、ええ……まぁ……」
汗が止まりません。きっとリーリア令嬢も、私が大聖女であるお姉さまのコネで宮廷に出入りしていると思っているのでしょう。
「素晴らしいですわぁ! ルナさんはご姉妹で聖女の才能があるのですね。しかも、王子様の専属だなんて!」
リーリア令嬢の棒読みのような台詞にはトゲがあって、私は背筋が寒くなりました。私に聖女の力なんて無いことは、学園では周知の事実だからです。
「えっと、あうう」
私がどう取り繕うか狼狽しているうちに、リーリア令嬢は含みのある笑顔で、予想外の話題を口にしました。
「それではルナさんも、婚約者選抜の舞踏会に参加されるのですね?」
「へっ?」
何の事だかわからずに目を丸くしていると、リーリア令嬢は「あら」というお顔で小さなお口を手で隠しました。
「まあ……舞踏会の事をご存知無いのですね? アンディ王子殿下は婚約者を選ぶための舞踏会を大々的に開くようですが……」
「な、な、ええっ?」
「婚約者の候補として相応しい令嬢たちが招待されて、舞踏会に参加するのですよ」
金魚のように口をパクパクさせる私を見て、リーリア令嬢は途端に意地悪な笑顔になりました。
「ルナさんは王子様専属の聖女様ですから、勿論ご招待されていると思ったのですが……私ったら、勘違いしましたわ。ごめんあそばせ」
軽やかに去るリーリア令嬢の後ろで、私は放心しました。
私が知らないうちに、知らない行事が画策されていたのです。しかも私は蚊帳の外……やはりと言うべきか、婚約者候補にもならない、みそっかすな女だったのです。
私はふらふらと廊下を歩き、呆然としたまま学習室へ入ったのでした。
「ルナ! さっきから何ボケてんだ!」
学習室の中で。
先ほどリーリア令嬢から聞いた舞踏会の件が私の頭を支配して、まったく勉強に集中できない様子に、アンディ王子殿下はとうとうお怒りになられました。
「す、す、すみません!」
「このまま追試も失敗して、留年したいのか!?」
「ひ、ひぃぃっ」
涙目の私を見て、王子様は不良の口調を改めました。
「ったく、変な女なのはわかってるけど、昨日から変すぎるだろ。頼むから、何があったのか言ってくれ」
私は蚊帳の外のみそっかすですか? などと、聞けるわけがありません。
「あ、あう、な、何でもないですぅ」
「何でもなくないだろ」
「……」
目を泳がせて顔を背ける私を見て、王子様はスウッと無表情になると、席を立ちました。
「ルナが俺を頼りたくないのはわかった。やりたくない勉強を無理強いして悪かったな」
抑揚の無い言葉と冷たいバイオレットの瞳に、私の心臓は凍りつきました。
学習室を出て行ってしまった王子様に、違うと叫んで追いかけて、後ろから抱きついて……脳内で絵は浮かぶのに、足が地面に張り付いたように、動かないのです。
「あ、あ、あう」
私はだいぶ遅れて立ち上がって、そのままゾンビのように校舎の階段を昇り、走って、上級生の教室に駆け込みました。
でも、王子様のクラスではありません。
「お、お姉さまーー!!」
絶叫して教室の扉を全開にした私を、室内の先輩方が一斉に振り返りました。窓際で沢山のお友達とお食事をしていたリフルお姉さまは、「んぐっ」とパンを詰まらせて、すぐにこちらに駆け寄りました。
「ルナ!? どうしたんですの!?」
私は今までこんな過激な登場をした事がなかったので、お姉さまは尋常でなく慌てています。
廊下に飛び出したお姉さまは、何かを探して目をギラギラとさせました。
「あいつね!? アンディ王子ね!? あいつが何かしたのね!?」
意気込んで殺気立つリフルお姉さまのスカートに、私は号泣してしがみ付きました。
「ち、違うんです! わ、わた、私は、みそっかすな女なのですー!」
リフルお姉さまはパニック状態の私の肩を抱いて、そっと中庭へと連れ出しました。




