4 徹夜で眺める美貌
宮廷の門の前で地面に転がり、「ぜぇはぁ」と汗だくで呼吸する私を、王子様の側近であるクリフさんは、唖然として見下ろしています。
「はて……本日は放課後に自習するために、1時間ほど帰宅が遅れるとアンディ王子に伺っていましたが……」
お迎えの馬車を待たずに1時間近く走って宮廷に帰ってきた私は、慣れない長距離ダッシュに身体が限界を超えて、門に着くなり倒れたのでした。門番に呼ばれたクリフさんは、まるで死にかけの妖怪を発見したかのような、好奇心に満ちたお顔です。
「ぜ……はぁ、た、たまには、運動を……」
「ああ~、無理して喋らなくて結構ですよ。もしかして、アンディ王子のお勉強が嫌で、逃げて来ました?」
「あうっ、そ、そのような事は……っ」
「あははっ、王子を待ちぼうけさせるとは。やりますねえ、ルナさん」
初対面の頃は鉄仮面のようなクリフさんでしたが、あの悪魔退治以降、素直なお顔を見せてくださるようになりました。まぁ、印象通りの性格でしたが。
クリフさんの仰る通り、私はアンディ王子殿下に内緒で逃げて来てしまったのです。王子様は今頃、ひとりで学習室で私を待ちぼうけしている筈……やらかしてしまった事の重大さに、私は地面に転がったまま、硬直しました。
♢♢♢
「ルナ!!」
アンディ王子殿下が勢いよく、私の部屋のドアを開けるタイミングで、私は既に、土下座をしていました。お戻りの時間を見計らって、ずっとこの姿勢でお待ちしていたのです。
「も、申し訳ございません!」
「どういうつもりだ? 勝手に帰って! 俺はずっと学習室で待ってたんだぞ?」
「そ、それは、お、お腹が急に悪くなりまして……」
「は? 走って帰ったら余計にヤバいだろ」
「た、確かに……」
アンディ王子殿下は溜息を吐いて、私の近くに来て跪きました。
「何かあったのか? 勉強が嫌になったのか? それとも、誰かにいじめられた?」
急に優しくなったお声に、私は申し訳なさとありがたさで胸がギュッとなりました。
「ち、違います! 本当に、お腹がギュ~ッとですね……」
慌てて顔を上げると、王子様は私の頭の後ろに手を添えて、ご自分の肩に抱き寄せました。
「心配しただろ」
「う、おぉ……ご、ごめんなさい」
なんという温かさ。なんという、至福の時。
私はこのような限りある恩恵を、身体全体に染み込ませるように味わいました。
王子様の婚約者が正式に決まれば、もう二度と、このような恵まれた時間は無いのですから……。
その日の夜。
いつもの通りに王子様は、ベッドの中で私を抱き枕のように抱きしめて、眠りました。様子がおかしい私を労わるように、優しく、ふんわりです。
私は珍しく、しばらく眠ることができませんでした。
やがて王子様が寝返りをうって私を離した隙に、私は王子様から距離を取って起き上がり、王子様の寝顔を観察しました。すやすやと、天使のお顔でお休みなさっています。
今夜はどうしても、夢を共有することができませんでした。心理的に動揺している私はきっと、昨晩のテスト用紙どころではない、おかしな夢を見てしまう予感がしたからです。
王子様は安らかに眠り続け、悪夢を見ている様子はありません。
「良かったですねぇ。ゆっくりお眠りください」
王子様がひとりでも安全に眠れる安心感と同時に、夢使いの自分がもう必要ないのだという事実を再確認して、私は寂しい気持ちになったのでした。
「ん……ルナ?」
小鳥の囀りとともに夜は明けて、起床時間がやってきました。
なんと、私は7時間あまりも王子様の寝顔を観察していたようで。自分でもその異常さに引きました。
「お、おはようございます、王子様!」
「珍しいな……先に起きてるなんて」
アンディ王子殿下はジッと私の顔を見て、訝しげに首を傾げました。
「ルナ。寝不足か? 目が真っ赤だし、クマが酷いけど……」
「は、はわわ、そ、そうですか?」
「それに夢……見なかったな」
「あ、た、多分、寝返りをうったまま、離れてしまったかと。悪夢は見ませんでした?」
「全然。熟睡したよ」
大変、結構なことです。王子様は私がいなくても、悪夢を見なくなったのですから。私の頭に ”お役御免” という言葉が浮かんで、呆然としました。
「ルナ?」
王子様は呆けている私に、顔を近づけていました。目前に美しいバイオレットの瞳があって、正気に戻った私は驚きのあまり、正座のまま跳ね上がって後ろに転倒しました。ベッドの端にいたので、ドオン!と床に転げ落ちたのです。
「ルナ! 大丈夫か!?」
王子様は多分、様子のおかしい私の額の熱を測ろうとしていたのだと思います。今、ベッドから見下ろした私はきっと、無様にひしゃげているでしょう。恥ずかしさのあまり私はさらに飛び起きて、ハツラツなふりをしたまま、ドアに向かって走りました。
「だ、大丈夫ですよ、ほらっ! ト、トイレに行って参りま~す!!」
私は何故、スマートにできないんでしょうね。咄嗟に出る言葉の色気の無さに後悔して、泣き笑いで廊下を走るしかありませんでした。




