3 燃え上がる噂
午後の授業で。
私はいつもと違って、まるで優等生に生まれ変わったように、凛とした瞳で姿勢を正しました。
優秀な人に教えてもらうと、優秀さが染ったような気がするのです。的確なヤマを得てチート気分になった私は、無意味に挑戦的に教師を睨んだりして。
そんなオラついた私に、罰が当たったのでしょうか。
放課後にまた、学習室に浮かれて向かっている途中。
私は普段使ったことのない、校舎のお手洗いに入りました。お勉強中にもよおしたら、困りますからね。
個室のドアを閉めてすぐに、どやどやと洗面台の前に多数の女子が入ってきたのがわかりました。
「それって、本当ですの!?」
お喋りの声がトイレに響いて、私は便座に腰を下した状態で、ギクリと固まりました。この声には、聞き覚えがあったのです。
「本当ですわ。お父様が宮廷で直に聞きましたのよ」
「そんなまさか。アンディ様が!?」
ギクギクッ!
私の背中は石のように固まりました。なんと、アンディ王子殿下の噂話です。しかもこの声はやはり……あの取り巻きの、令嬢軍団です。
「ええ。アンディ様が婚約者を募集なさるんですって」
キャア、と歓声で湧いた空間で、私だけが個室の向こうで無言のまま、白目を剥きました。
え? なんと? アンディ王子殿下の……婚約者?
今すぐ飛び出して噂の輪に飛び込みたい気持ちですが、それは無理です。妖怪が出たと、皆逃げ出すでしょう。
「そもそも何故、今になってですの? お兄様であるエヴァン王太子様には、幼い頃から婚約者がいらっしゃるのに」
「そうなのよね。第二王子だからって、成人してから探すだなんて」
「あ~ん、どうしよう! これってチャンスって事じゃない!?」
噂は燃え上がり、止まりません。
私はデバガメ根性とショック状態が交差して、声を漏らさないよう、必死で下唇を噛みました。
「うふふ。私、早速候補にエントリーさせて頂きますわ。もうお父様にお願いしてあるの」
「ずるいですわ! 私もお父様に頼みますわ!」
「私も! こんなチャンス逃せないもの!」
その後はドレスを注文しなきゃとか、コスメがどうとか、延々と戦闘準備のお話が続き、私は用も足せないまま、便座の上で固まり続けました。
アンディ王子殿下の、婚約者を募集する……。
ええ。そうでしょう、そうでしょうよ。
今まで悪魔に取り憑かれ、成人できないとされてきた王子様の障害物が祓われたのですから、王族としては勿論、第二王子様に婚約者を見繕い、子孫を残してもらわないと。
取り巻き軍団は息巻きながらお手洗いを出て行って、シンと静かになった個室の中で、私は立ち上がれずに震えました。
私はお勉強だけじゃなくて、本当にバカなのではないでしょうか。
王様から引き続き、夢使いのお仕事を頼まれたからって、何故、永久に王子様の添い寝係ができると思ったのでしょうか。暫くの後、何事も無ければお役御免となり、王子様は日常に戻るのが当たり前なのです。
私の顔から、汗なのか涙なのかわからない、大量の水が流れました。
王子様は優しいお方で、女性慣れしていて、ソツなく、自然体で。私みたいな変な女にも、親しくしてくださいます。
恐ろしいことに、私は夢使いとして働くうちに、王子様を自分の物のように、勘違いしていたようなのです。
「ひ、ひぃ……」
分不相応で浅はかな己の考えに怯えて、私はガタガタと震えながら、個室を出ました。
壁を伝いながら這うように廊下を歩いていると、学習室の向こう側の渡り廊下で、アンディ王子殿下を見つけてしまいました。
木漏れ日で輝く金色の髪は、すぐに王子様だとわかります。その正面には、後ろ姿の女子生徒がひとり。あのピンクに近い赤髪は知っています。我がクラスで一番の美少女で、富豪のお嬢様。リーリア伯爵令嬢です。
王子様は優しい笑顔でお話をされていて、リーリア令嬢もお上品に談笑しております。なんてお似合いのおふたりでしょうか! 美男美女とはこの事です。
私はお手洗いの噂話よりも心臓がズキーンと痛んで、そっと後ろを振り返ると、そのまま猛然と廊下を走って、逃げ帰ったのでした。




