11 大聖女のご乱心
王都の中に立つ私たちの目前に、空から巨大な悪魔が降りてきました。大聖女の私と、同じくらいの大きさです。
ズウン、と地上に降り立つと、悪魔のギラギラとした目の下には、初めて口が現れて、裂けたように笑いました。細かく尖った歯の裏側から真っ赤な口内を見せて、王子様を凝視しながら舌舐めずりしています。
まるでご馳走を見るような、いやらしい目。王子様に対し、そのような無礼はこの大聖女が許しません。
私は思春期のアンディ王子殿下をそっと自分の胸元に収めて、片手に巨大なハンマーを出現させました。
「バカでかすぎるだろ。モグラ叩きかよ」
滑稽な武器に王子様は呆れていますが、ハンマーじゃないと、ダメなのですよ。
「悪魔というのは大抵、魔術書の紙から出てくるのです。だから紙に戻す。それだけです」
王子様を掴み取ろうと、両手を突き出した悪魔の右側頭部を、私はバカでかハンマーで、フルスイングしました。バシャッと音を立てて王城に叩きつけられた悪魔を、今度は上から、左から、何度も殴打します。
ドゴン、ドオン! ドオン!
執拗に振り落とされるハンマーによって、立体的だった悪魔はだんだんと薄く伸ばされて、ひしゃげていきます。王都も同時に粉々になっていきますが、夢ですから。問題ありません。
「夢使いは夢の中で最強。私は言いましたよね? お前の戦場がここである限り、お前は私に勝てないのだ!」
大聖女の私はきっと、悪魔よりも恐ろしい顔をしているでしょう。紙よりも薄くなった悪魔を際限なく地面に叩きつけて、轟音の中、胸元の王子様が大笑いしているのが聞こえます。
「ルナ! お前は本当に面白い奴だな! そういうブチ切れてるところ、最高に好きだぞ!」
有り難き、お言葉です。
「最高に好きだぞ」「好きだぞ」……
思春期のアンディ王子殿下の貴重な台詞をリフレインさせて、私は目覚めました。
朝日の中、手を繋いで眠っていたはずの私は、現実のアンディ王子殿下の胸にしっかりと、抱かれています。おかしいですね。夢では私が抱っこしていたのに。
王子様のバイオレットの瞳がゆっくり開かれて、私は確信しました。
「ああ。王子様のままでいらっしゃる」
私は即座に体を起こすと、振り向きました。
騎士の二名が、ベッドの際から王子様の首を落とそうと、剣を振りかぶっていたのです。私は左手で王子様を庇い、右手で、バカでか枕の下から、一枚の紙を取り出しました。
「控えなさい! この体の中身は、アンディ王子殿下であらせられる!」
騎士たちはビクッ、と体を揺らしました。
さらに、目前に翳された紙には、小人サイズの黒い悪魔が、ひしゃげた格好でこびり付いています。
「この通り、悪魔は夢からここへ、封印した!」
魚拓のような紙を凝視した騎士たちは、動揺して剣を下ろしました。
アンディ王子殿下は体を起こして、騎士たちに優しい笑顔を見せました。
「護衛の任務、ご苦労だった。俺の悪夢は終わった。夢使いの大聖女によって、悪魔は祓われたのだ」
凛とした言葉に、騎士たちは力が抜けて、声を震わせました。
「アンディ王子殿下……よくぞご無事で」
大切な王子様を斬らずにすんで、一番安堵したのは、騎士たちだったようです。
それからは、大変でした。
王様と王妃様と、王室の偉い方々が、アンディ王子殿下がご無事に成人になられたことに、泣いて、祝福して。
私はネグリジェのまま立ち尽くし、大騒ぎの様子を傍観していましたが、駆け寄って来た側近のクリフさんが、無言のまま私の両手を握りました。普段の業務用のお顔とはまるで別人のような、号泣してくしゃくしゃになったお顔です。
王太子殿下が、第二王子であるアンディ王子殿下のもとに歩み寄り、見つめあい、ふたりはじっと、抱きしめ合いました。
王を継ぐ王子と、悪魔に捧げられた王子と。ふたりの間にあった互いを隔てる溝が、今日消えてなくなったのだとわかった時に、私の目と鼻からドバドバと、水が流れ落ちたのでした。




