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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
エピローグ
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エピローグ

 こんこん、とドアをノックする音が聞こえた。

 ダイチはラップトップのモニターから顔を上げて、大きく伸びたまま反り返った。窓の外にはなだらかな田園風景が広がり、気持ちの良い風が薄いベージュのカーテンを揺らしている。


「失礼します。勝手に入っちゃいました」


 開いたドアから、カイリが顔を出す。NIの破壊から五年、髪が少し短くなっているがほとんど変わらぬ見た目で柔らかく微笑んでいた。


「ああ、こっちから行けばよかったのにわざわざ悪いな」

「いえ、五年計画もいよいよですからね」


 カイリは机を回り込んでダイチの後ろに立ち、モニターを覗く。


「計画の詳細はさっき届いた。その前に少し休憩させてくれ」


 ダイチは眼鏡をはずして立ち上がり、四角く清潔な部屋のすみにしつらえられたソファをカイリに進める。足をひきずりながらソファに辿り着いて、カイリの隣に座った。

 一息ついた素晴らしいタイミングで、美しいアンドロイドがお茶の盆を持って入ってくる。そうだと知らなければアンドロイドには見えないが、これほど美しい人間は逆に人間味がないと感じさせる外見をしている。


「カイリさん、お久しぶりです」


 アンドロイドはダイチの前にコーヒーを、カイリの前には紅茶を置く。


「こないだ会ってから一か月も経ってませんよ、博士」

「博士はやめてください。どうかロボタンで」


 大袈裟に手を振るロボタンに、カイリはにっこり笑って紅茶に口を付ける。ロボタンは優雅な動きで下がって居なくなった。


「ロコさんは?」

「ああ、アサトのとこに行ってもらってる」


 ダイチは左手でカップを持ち、熱いコーヒーを一口含んだ。毒から奇跡的に助かったものの、ダイチの右半身にはわずかな麻痺が残り、右目はほとんど見えていない。


「大変なところを任せていますからね」

「ああ、俺たちも頑張らないと」


 住環境を整え終わるだろう五年目に、新しい命の誕生を迎えようという計画の実行はもう数週間後に迫っており、人工子宮の中で第一期の子供たちはすくすくと成長している。

 試験として二年前に誕生した数人の子供たちは二歳になり、新しい命が増えるのを楽しみにできるまでに成長した。NIカイが、ここまで見えていたかのようにファイターたちにいろいろな能力を記憶させておいてくれたおかげで、これまでかなり順調に進んでいると言って間違いない。

 だが、長く続けた戦闘ゲームのせいで、感情を抑えきれないファイターも少なからず存在した。彼らの社会復帰はアサトが進んで担当していた。


「マユさんが、赤ちゃんが生まれるのをすごく楽しみにしてます」


 カイリは自分も嬉しそうに笑った。


「しばらく見てないけど、元気か?」

「はい。僕が忙しいので時々癇癪を起しますけど。エリーが上手にガスを抜いてくれてるみたいです。マリーも妹が欲しいと」


 マユは、マユと双子のような造詣のボディを手に入れたエリーと二人で、引取った女児マリーをかいがいしく世話しているらしい。


「あれから五年経ったんだな」


 ダイチは窓の外を見つめた。死を覚悟したあの時。ロボタンのデータが入れられた最新型アンドロイドに救われてから五年。長いようで短い五年だった。今ではもう、鉄骨から指が離れて落下する悪夢も見ない。


「経ちましたね」


 カイリは紅茶のカップをじっと見つめる。


「僕たちはここまで、NIカイの敷いたレールの上を歩いてきました。でも、ここからは僕たちの足で歩かなくちゃいけないんですね。遠い将来、また間違いを犯すかもしれなくても」

「怖いか?」


 ダイチは窓から目を戻して、コーヒーをもう一口飲んだ。全てはNIカイが仕組んだことである、と目覚めてから聞かされた。自分の中になる繰り返したリスポーンの記憶、サバイバルの方法や、武器を扱う方法も、どうやら作り物だったらしい。

 コロニーの復興もNIカイの作った計画に沿って滞りなく進んだ。そのための知識や経験の記憶を持つファイターが居たこともNIカイの思惑通りなのだろう。


「少しだけ。でも、もう僕たちはゆりかごには戻れませんから」


 静かな沈黙が流れた。肉体に戻ることも出来ず、死ぬこともできず、壊れていったNIたちをダイチは思う。人類は毒に怯え、自らの肉体を冷凍し、NIとして電脳の世界の住人となった。病に侵されることも怪我に悩むことも飢えに苦しむこともなく、永遠に若いままで望んだとおりの世界で何度でも生き直すことのできる世界。そこにあったのは、肉体に戻ることが恐ろしくて敵わなくなるほどの安寧だったのだ。しかし……


「ああ。NIだった自分の歪んだ記憶だとわかってはいても、望みもなく繰り返したリスポーンは自分が経験したこととしか思えない。俺はあの人生はごめんだよ」

「僕もです。たった二年で言うのはおこがましいかもですが」 

「いや……」


 自分の中にある生を疎んだ記憶。サトが自死を決意したあの円形の部屋の光と匂い。それはNIカイがファイターを操るために入れた偽の記憶だ、と思うにはあまりにリアルすぎた。自分の感情ではなかったと否定することが出来ず、それゆえ、NIカイの気持ちも理解できるような気がしてしまう。

 しばらく思考の波間を漂ったダイチは、苦笑いして机の上からラップトップを引き寄せた。今のダイチに思い耽る暇はない。カイリの送ってきた養子縁組の計画に目を通す。


「さて、始めるか。希望者が思ったより多かったな。もう少し多くても良かったのか」

「ええ。でも次もありますし、あまり急に増やしても教育の問題もありますから」

「ああ」


 子供たちは、比較的穏やかな性格の者で形成されていたグループで育てることになっている。とはいえ、人殺しに明け暮れたものが親になるのだ。こちら側できちんと管理できるアンドロイドの同居が条件だった。家族となり、家庭を作って暮らしてゆく。数百年前には当たり前だったその暮らしを、新しい人類は取り戻すことが出来るだろうか。

 誰がどの赤ん坊を誰が育てるか。どの地区に教育機関をまとめるか、誰がその任を追うのか。この成功がこれからに大きく関わっている。ダイチとカイリは慎重にあらゆる可能性を検討していった。


「まあ、こんなところだな」


 ダイチは、画面から目を離して大きく伸びをした。

 

「そうですね。では、僕はこの辺で……夜までに帰らないとマユさんがうるさいですし」

「ああ、悪かったな。これだけのことに」

「いえ、ダイチさんの顔も見たかったですから」


 議論に夢中になる間に、既に日が傾きはじめていた。ダイチが主に管理しているコロニーから、カイリの管理している旧市街地までは地下ライナーで二時間ほどだ。マユがやきもきして待っているだろう。カイリを玄関まで見送って部屋に戻ると、コーヒーが温かいものに淹れなおされていた。

 ダイチはソファに腰掛けてゆっくりと味わう。ちらりと目をやった窓の外はあっという間に薄暗くなってきていた。


「遅いな」


 ダイチがコーヒーの残るカップを置いて立ち上がった瞬間、どん! と大きな音がして、ドアが開いた。


「パーパ!」


 幼い少年が手にたくさんの木の実を握って立っていた。輝く空のように青い瞳でダイチを見上げる。


「おかえり。部屋に入るときはノックをするんだよ」


 少年は少し不満げな顔をして部屋を出る。パタンとドアが閉まり、パラパラと木の実の落ちる音が響いた。あーあ、という声の後の沈黙を辛抱強く待つと、コンコン、とノックの音がしてすぐに扉が開いた。


「ノックした!」

「……はい、どうぞお入りください」


 ダイチは思わずため息と笑みを漏らして、真っ赤な頬をした少年を左手だけで器用に抱きかかえる。この子も二年前に生まれた子供の一人だ。


「ママはどうした?」

「おなかすいたーって」


 ドアの向こうの台所を指さす少年の額に、ダイチは優しくキスを落とす。


「食いしん坊ままだな」

「まま、くいしんぼ」


 少年はくすぐったかったのか、面白かったのか、くつくつと笑う。我が家の美しいアンドロイドにつまみ食いを叱られているだろう妻を助けるために、ダイチは台所へと向かった。



<終>

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