最終章 9
マシロはダイチを背負ったまま壁際に身を寄せて、一つの扉をそっと覗きこんだ。カイリが送ってよこした地図が示した予備電源の部屋は、それほどの面積が必要なのかと疑うほど広い空間だった。
真ん中に簡単な小屋ほどの大きさの鉄の固まり。恐らくそれが予備電源だろう。太いパイプが天井に向かって伸びている。
部屋の中にはみっちりと言っていいほどのロボットが待機しており、予備電源までは二十メートル程の距離があった。
――でも、この数ならいける
一度、ダイチを安全なところに降ろしてカイリからの連絡を待とう。と思っていると轟音を立てて入口のシャッターが下りた。
「おい、まて」
マシロは締め切られたシャッターを見つめ、呆然として小さく吐息を吐いた。このシャッターをこじ開けるのは手間がかかりそうだ。
とにかくダイチを背負ったままでは何もできない。ため息をもう一つついて、音を立てないように通路をそっと戻る。わかっていたことだが、がらんとして照明すらない通路にはダイチを隠せそうな場所はなかった。
唯一見つけた壁の凹みの前にダイチを下ろしてみたが、少しも隠れていない。無駄と知りつつ、ダイチの顔をザックで隠す。
「ここで待っていてくれ。攫われるなよ」
小声でつぶやいて、ダイチの額に自分の額を押し付けた。大丈夫、温かい。さっきから少し呼吸も感じられるようになっている。
「行ってくるから」
立ち去りかけて振り返る。
「あ、寝ていたかったら無理はしなくていい。攫われても必ず助けに行くから」
返事のないダイチに向かって頷いて、マシロは足音を立てずに予備電源の部屋の前へと戻った。どうやって壊そう? と思った瞬間にシャッターがゆっくりと上に開く。廊下に点々と赤い灯りが灯った。
――終了プログラムが実行されました。総員退避。落ち着いて行動してください。
同じ文言が場所の違うスピーカーから流れたようで、重なって木霊する。
「開いたが……終了プログラム? もう壊していいのか?」
部屋の中のロボットたちは、先ほどと寸分違わぬ姿勢で待機していた。
どうにも嫌な気分になるのは、先ほど戦った丸いフォルムの、いかにも施設維持・修繕用に見えたロボットたちと大きく違っていることだった。鋭角で作られたいかつい容姿が、彼らが警備を担当しているのだろうことを思わせる。
鋭利な刃物のような腕が四本。長細い体に段違いにつけられている。昆虫のような細い六本の足はしっかりを地面を掴んでいる。前にも後ろにもよく機動するだろう。
だが、頭部と思われる場所は透明なカバーで覆われていて、そこにAIなりプログラムなりが入っていることが一目でわかった。弱点を曝してくれているのだからありがたい。
――連絡が来る前に、全部、壊しておいた方がよさそうだ。
「シッ」
マシロは短く息を吐いて、一気に部屋に入り、手近な一体の四本ある腕の一本を捉えた。ぐるん、と体重をかけてその腕をねじ切る。ねじ切ったスピードのまま隣のロボットの頭部にたたきつける。
――何?
マシロは思わずたたらを踏んだ。どのような素材で作られているのか、頭部を守る透明なカバーには傷一つついていなかった。
――そうか。それなら
マシロは次に、もぎ取った腕で細い足を狙った。力いっぱい振り切ると細い脚は簡単に折れた。だが、倒れない。足を次々に切り落とし、最後の一本になるまで起動することを知って舌打ちする。
ふっ、と息を整えてあたりを見回す。突然の侵入者に、ウィイイイ、ガシャ、ウィイイイ、ガシャ、とロボットたちは次々に目覚め始めている。
ゆっくりと、全てのロボットがマシロの方を向き、透明なカバーに覆われた頭部が赤く光った。それは次々と伝染するように広がる。
ぞわり、と背筋を這い上がりそうになる怖気を、マシロは腹に力を入れて追い出す。こういう場面での恐怖や不安は、何の役に立たないものなのに、と舌打ちする。
「怒ってるのか? こちらには明るくなって何よりだ」
マシロは口の端を上げて笑った。くるりと体重移動で体を回し、一瞬で周りの状況を理解する。このロボットたちがどの角度になら動けて、どの角度には動けないのかも把握した。自分の体を細部まですべて支配している。目の前にいるロボットは自分よりずっと脆く遅い。
――世界はすべて私のもの。私はすべてを殺せる
マシロは表情を消し、次なる犠牲に手を伸ばした。
◆
数十分が経過しただろう。マシロの腕は痺れて感覚をなくしていた。息が苦しかった。先程わき腹に刺さったロボットの腕がどうやら肺を掠っていたらしい。すぐに引き抜いたのだが、まだ中で出血しているようだ。
ピピピピピ……
と、カイリからであろう着信音が何度も鳴るが、答えている暇がない。
――人を襲わないのではなかったか? とすれば、どうやら私は人ではないらしい
マシロは夥しい数のロボットの残骸の山の上で、カハ、と泡の立った血を吐く。ぐらり、と視界が歪んだ。もともとこの部屋の中にいたロボットはすべて始末したと言っていいだろう。だが、どこからか次々と供給されている。
諦めてはいけないという気持ちに反して、体が楽になりたがっていた。こんな気持ちは初めてだった。大勢のファイターに取り囲まれ、体に十数か所の傷を受けた時でさえ「殺し、生きろ」と心が叫んでいたのに。
「うあああ」
ほとんど声にならない叫びをあげる。今までは、戦いで声を上げたことなどなかった。それは無駄なことだからだ。自分の状態を把握しきれず混乱して、マシロの息はますます息が荒くなった。
――何かおかしい
マシロは気が付いたらテセウスにいた。はじめこそ話しかけてくるものもいたが、初戦の後には話しかけてくるものは誰もいなくなった。それからずっと、殺すことだけが目的で、殺すために日々を過ごした。何が不満でもなかったし、何かをしたいとも思わなかった。
『全て、殺してしまうんだ。君にはできる。そうすれば世界はすべて君のものだよ』
いつも誰かの声が頭に響いていた。その白い幻影がふいに目の前に浮かぶ。
『博士も?』
そういえば、自分はそう聞き返したように思う。見上げているから、自分は博士とやらよりだいぶ小さいようだ。マシロは、近づくロボットの腕をちぎりながら、白昼夢のような世界に目を凝らす。自分の何かがわかるかもしれない。
『僕もだよ』
と白い影は答えた。世界が私のものならば、博士も私のものか? と聞いたつもりだったが……これだと全部というのは博士も殺すのか、と聞いているようにも理解できるな、と思った。
僕もだよ、と博士はどちらの意味にとって答えたのだろう。マシロは仲間の残骸を登って、正面から向かってくる一体を蹴り飛ばす。
「……って、博士って誰なんだ!」
くだらないことを考えている場合じゃない、と自分を叱咤する。山の頂上に立っている状態だから、同時に襲ってこれるのは二・三体だけだ。それでも疲れは極限に達している。横から飛んでくる鋭い腕を間一髪で避けて、その付け根に握っていた腕の先端を突き刺す。乱暴に薙ぎ払って、くるりと回転し、逆側から登ってきた一体の同じ場所に突き刺した。それも同じように薙ぎ払おうと力を込める。
ガギン
そのロボットは仲間の腕をがっちりと握りこんだ。腕を引き払おうとしていたマシロの手が、一瞬の抵抗に機械の腕を滑る。かくん、と膝が折れた。しまった、体制を整えて武器を手に入れないと。そう思った瞬間、太ももに熱が走った。振り向こうとしても動けずに、ロボットの鋭利な腕が突き刺さっているのだと気づく。
「ダイチ……ごめん。もう頑張れないかもしれない」
マシロは両手の力を抜く。ずぶ、と足の深くまで熱が広がった。目の前におぼろげな影が映る。
――博士? ダイチ?
よく見えないそれに、マシロはそっと手を伸ばした。その腕にもロボットの鋭い先端が突き刺さった。
「博士とやら。私はすべてを殺せるのではなかったのか」
言葉と一緒にマシロの唇の端から真っ赤な血が一筋伝う。すべて殺せるとしても……ダイチは殺したくない。アサトもカイリもマユも。皆を失った後の世界にどれほどの価値があるというのか。あそこに帰れないならば、また一人になるくらいならば。
――そんな世界なんていらない
「そうか、だから世界は私のものじゃなくなったのか」
何も怖くなかった。失うものなど、失いたくないものなどなかった。全ては明確で、世界は自信と光に満ちていたはずなのに。いつの間に自分はこんなに弱くなったのだろう。何一つ守ることができない。マシロは両腕で自分を抱きしめる。怖くてたまらなかった。
「ダイチ」
手と足を同時に引き裂かれて、マシロの体はゆっくりと倒れていった。




