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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
最終章 1
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最終章 7

 NIの抵抗は、さほどなかった。メインコンピューターに侵入されるという想定がなかったのか、ダイチの与えたダメージが思った以上に深刻なのだろうか。カイリとロボタンは次々と鍵を開けて核心へと近づいた。それでもマシロに通信してから、かなりの時間が経過していた。

 腕は痺れ始めていたが、止まるわけにはいかなかった。「全削除」のコマンドを入力するために。

 ここまでのところは順調といえるだろうが、NIのデータを壊すことは殺人だ、と言っていたロボタンがどこまでしてくれるかという不安もあった。彼のAIが「これはいけないことである」と判定し、妨げになる可能性も考慮しなくてはならない。

 カイリはちらりとロボタンに視線を送る。ロボタンに感情はない。その前提で考えなくてはいけない。だが、それが人形やぬいぐるみにすら心を感じてしまう人間には難しい事だとも思う。

 何より自分自身、いざとなったら「全削除」のキーを押せるのか、とも思った。何万人もの人格のデータを消す。それは大量虐殺ではないのか。その時になって、迷い、怖気づくかもしれない。

 見張りに立っているアサトに来てもらって……と考えて頭を振る。これを他人に押し付けてはだめだ。


「もう少し、ですね」


 その瞬間まであと少し……カイリが呟いたところで、それが合図だったようにNIの抵抗が始まった。一つ一つ繋げ、開いて、制圧し、時には破壊した扉が次々に閉まってゆき、押し出される。


「くそ、ここまできて」


 核たるデータに繋がる細い道を失うまいと、カイリは必死に抵抗した。しかし、向こうの押し戻す力の方が勝っている。


――だめだ


 カイリは目を見開きモニターを見つめた。「手の入力と思考入力の差」で押し負けるのはわかりきっていた。それでもあきらめるわけにはいかないのに。唇をかむカイリの目の前で、モニターにひとつの窓が開いた。


『やあ、おかっぱ君』


 開かれた画面には、薄笑いのNIカイが居た。にやにやとした笑いを貼り付けて見下すようにカイリを見つめている。こみ上げるどうしよもない嫌悪感に、カイリの指と思考が止まった。


『お、止まっていいんだ? 余裕だねえ』


 そう言われて、慌てて作業を再開する。とはいえ、分は悪くなりすぎている。くっくっと喉を鳴らして笑うNIカイの声が不快で集中が途切れる。


――くっそ


 肩に力が入った瞬間、ふ、と重さが背中に伝わった。マユが背中を押しに来てくれたのだ。カイリは振り向かずに画面に集中した。


『さて。いくらなんでもここまでされらたら黙ってられないな。二度とこんなことをしないように、徹底的に無駄だとわからせる必要があるよね』


 冷水を浴びせるような言葉がモニターから響く。


『ねえ、なんか返事しなよ。いつもの生意気はどうしたのさ』


 カイリはそれでも口を開かなかった。開けなかったと言ってもいい。


――僕は今、彼を殺そうとしている


 明確な殺意をもって、自分の利のために彼を殺そうとしている。こうして対話してしまえば、どんなにNIカイが嫌な奴でも、その人権を尊重しなくてはいけない気持ちになってしまっていた。ダイチとの約束を忘れ、それこそ実現不可能なNIとの共存の道を探したくなる自分がいる。


――話せばわかるかもしれない


 カイリは頭の片隅で妥協点を探る自分を、集中しろ、と叱咤する。


『無視すんなよ、ムカつくなあ。ねえ、俺がブスミに何をしたか教えてやろうか』

「やめて!!」


 カイリの背中でマユが叫んだ。その声の痛々しさにカイリの眉が吊り上がる。


――あたしにとってそれだけ信用できる人だった


 そう言ったマユの気持ちを踏みにじるのか。瞬時に頭に血が上り、指先の血管がジン、と痺れた。


「クソやろうが」

『そうこなくっちゃあ! 怒りと恨み、そして最後には絶望に歪むお前の顔が見たいんだからさ!』


 ははははは、とNIカイは壊れたアンドロイドのような声で笑う。


『今、お前らをどうするか相談中なんだ。でも俺たちって非人道的行為は取れないじゃん? で、何がいいかなーってことでさ。これが終わったら全部元通りにすることになったから』


 カイリは怒りに震えながら画面を睨み付けた。


『あ、あと俺、優しいから教えてあげる。こういうことって実は今までも何度かあったんだよ? そのたびに元通り。お前の未来は記憶がないままの永久リスポーンに決定。あ、言っても無駄かあ。記憶なくなるんだから。ごめんごめん』


 NIカイは顔の前で両手を合わせて拝むようにする。怒りでわけがわからなくなりそうだった。背中に感じるマユの温もりだけが、カイリを正常に押しとどめ、モニターを椅子でバキバキに壊してやりたい欲求を抑止している。


――こいつらは殺されて当然だ。とっくに腐ってるんだから


 カイリは一瞬でも共存などという甘い夢を見た自分を悔やむ。生きることに飽きたデータが、もうとっくに壊れた人間性で、この世界を支配しているのだ。自分たちはそれの暇つぶしに飼われているペットなのだろう。そのシステムを破壊しない限り、この苦しみは続くのだ。


『さあて、そろそろ終了のお知らせ。皆を起こすよ。皆って誰って? 皆は皆だよー。ヨーイドンで、そっちを攻撃するから。あいつら暇を持て余してるから本気出しちゃうと思うな』


 NIカイは愉快そうに笑った。NIカイだけでもカイリを押し戻すことは充分に可能なはずだ。でも、大勢で嬲り殺すショーにして楽しもうとしている。


『逃げられないようにテセウスは封鎖して、その部屋には催涙ガスを入れてえ。君たちは捕獲。大丈夫、ちゃんとバトル離脱の申請は取り消して、きれいに真っ白な記憶でリスポーンさせてあげるからね』


 歌うように言うNIカイの顔が醜く歪む。


『それじゃあ始めるよ……ヨーイドン』


 NIカイの一言で、あっという間に状況は悪くなっていった。もう、何をすることもできなかった。どんなに怒ったところで、どんなにNIたちが歪んで間違っていたって、カイリは勝てない。最初から、本当はわかっていたのに。

 喉がからからだった。だが、こいつの前で泣くのだけは、と歯を食いしばる。自分の心が血を流すのがわかった。そうか、胸ってこうして張り裂けるのか、こうして人は絶望するのか。と諦めを享受しようとしたカイの目の前でNIカイの顔が、ふいに笑顔になる。


『あ、忘れてた。そのロボットはちょっとやりすぎだから、お仕置き』

「やめろ」


 カイリは慌ててロボタンに繋がるコードを抜こうと掴む。


『遅い』


 NIカイリの声と同時に、ロボタンの目が早い速度で点滅する。


『D38、そいつらを捕まえろ。あ、抵抗されないよう、身に着けているものをすべて取り上げようか。そうだ、ファイターたちをけしかけようっと。お前ら真っ裸で逃げ回るの。面白そうじゃない? いや、俺は捕まえろって命令するだけだよ? お前らが俺たちより優先すべき命だと思ってる「生きてる人間様」が何をするか楽しみだねえ』


 ギギギとロボタンが軋み、蛇腹の腕がカイリへと伸びた。ロボタンの腕が体に巻き付く。バトルスーツを掴まれたと思った瞬間、どうやって切られたのかバトルスーツが紙のように裂けた。カイリの白い肌に、ピンク色の線が走る。焼き切っているのだ。人の体に傷を残す方法で……カイリは呆然とロボタンを見つめる。


「カイリ! 何やってんだよロボタン!」


 異常を感じて部屋に戻ったアサトに、ロボタンのもう一本の腕が伸びた。攻撃されることなど想像もしていなかっただろうアサトは、何の抵抗もしないまま拘束され床に押し付けられる。

 それと同時に、カイリのバトルスーツの上半身が剥がされていった。アサトが抵抗しながら苦しそうなうめき声をあげた。相当の力で締め上げられているらしい。手がない、マユにだけは逃げてもらおう……カイリはマユに首を巡らせる。マユは涙でぐちゃぐちゃな顔で、震えながら銃を構えていた。


「マユさん!」


キューン


 という間抜けな音が室内に響いた。同時にカイリは戒めから解放される。何かが焦げるにおいに振り返ると、ロボタンの頭部が吹き飛んでいた。


『あーあ。ひっどい。仲間のアンドロイドを殺すなんて』


 モニターから嘲笑するような声が響き、マユは銃を取り落として泣きながらロボタンに駆け寄って抱き起す。


「ごめん、ロボタン、ごめん。ごめんなさい」


 泣きじゃくるマユの声が心に痛かった。隣に座って抱きしめてあげたいと思う。それでもカイリは顔を上げて、モニターを睨む。ロボタンもいなくなっては完全に勝ち目はなかった。だが、接続だけは切らせない。データを削除できなくても、予備電源を落とすことは可能かもしれないからだ。少しでも復活を遅らせることが出来るだろう。


『あ、あれ?』


 NIカイが驚いたように呟いた瞬間、NIの様子がおかしくなった。


『まさか』

「まさか」


 声が被る。モニターのNIカイが固まったように動かなくなった。カイリははっとして、操作を再開する。


――NIのメインコンピューターが動いていない


 たくさんのNIが競うようにテセウスのメインコンピューに向かおうと動いたことで、予期せぬことが起きていた。恐らく、残された予備電源のみで動いているメインコンピューターに耐え切れない負荷がかかったのだ。


――チャンスだ


 カイリは慌てて残っている道筋を探す。NIの記憶や動作をつかさどる表層から、その奥へと。少し進むと、あとは誰もいないがらんとした道を進むだけだった。簡単な抵抗のプログラムさえもない。すぐに目の前に「全削除」のボタンが現れた。全てのNIを殺すスイッチは、なんとも味気ないフォントの文字列だった。


「君の負けだよ。さよならカイ」


 カイリはそのスイッチを迷うことなく押した。情けをかけてやる理由が見つからなかった。その瞬間に、怒りや恨みは全てなくなっていった。ただ、ひたすらに彼らを憐れだと思った。


『全削除が選択されました。終了プログラムを実行します』


 機械質なアナウンスが流れ、カイリはごくりとつばを飲み込む。なんのブログラムなんだ? 慌ててキーを操作するが、何一つ動かすことが出来なかった。


『いいや、僕の勝ちだよ』


 NIカイの勝ち誇った声が響いた。

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