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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
六章 フリーウィル
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フリーウィル 7

「カイリ!」


 カイリの後に降下したアサトが、空中でカイリに近づいてきた。カイリはロボタンの右腕に絡めとられている。ぎゅっと目を瞑り両手で耳を抑えているマユと三人繋がって降下している状態だった。


「アサトさん、気をつけてください。お腹をこちらに向けぬよう」


 ロボタンは少し慌てた様子で、アサトとの位置を微調整し、上手く横並びに並んだ。何も起こっていないように見えて、ウィングスーツからは人一人を持ち上げるほどのエネルギーが放出されているのだ。アサトは一瞬上空を睨み、カイリに顔を向けた。


「ダイチが飛んでない。んで、マシロが飛んだのは見たんだけど……降りてきてない」

「え!?」


 アサトの顔は蒼白だった。そのことが一瞬でカイリに最悪のシナリオを思い浮かばせた。真っ青な空にぽつんと浮かぶ機体は、既に小鳥のような大きさになり雲の間に消えようとしている。カイリはからからに乾いた喉を無理やりに開く。


「まさか」

「多分な。降下の順番までしつこく言い聞かせてきて……なんか変だったのに……畜生!」


 どんなときでも飄々と感情を見せないアサトの焦りを目の当たりにして、カイリは体温を失うかと思うほど血の気が引くのを感じた。

 ダイチはNIタワーに向かったのかもしれない。一人でNIタワーを破壊するために。方法は、恐らく……想像したことが本当であれば、それはダイチを失うことと同義だった。


「無事に降りてからです。今は何も出来ません。冷静に」


 ロボタンが緊張した声で言うと、アサトは一瞬だけ物凄い形相でロボタンを睨みつけた。冷静でいられるか! という声まで聞こえた気がした。だが、見間違いだったかと疑うほどすぐに、いつものアサトの顔に戻る。


「……カイリ、頼む。考えてくれ。何かダイチに連絡する方法……何としても止めないと」


 そう言ったきりアサトは黙りこんだ。アサトの中ではカイリが出したのと同じ答えが決定となっているようだった。何とかダイチを説得する方法がめまぐるしく検索されているのだろう。

 じりじりするようなゆっくりとした落下の中、カイリはじっと考え込む。通信手段を得られるとすれば、大きな町に着いてからになるだろう。予定では二晩を野宿して辿り着くはずだったが、それでは到底間に合わない。ロコの機体なら半日もあればマハラ高原のNIタワーに到着してしまうに違いない。


「皆さん、手を離します。着陸してください。マユさんはこのまま」


 ロボタンの声でカイリは我に返ってマユを見る。マユはぐったりとして、ロボタンの腕にぶら下がるようにしていた。


「マユさん?」

「心配ありません。呼吸が早くなり危険と判断致しましたので、薬で眠っていただきました。離しますよ」


 ロボタンの腕の支えがなくなり、カイリは慌てて体勢を整える。すべてはスーツが自動で操作するのだが、なんとなく心もとない。体に力が入ることで、かえってグラグラと安定を失う。しばらくするとようやくコツが掴め、背の高い草原に着陸した。カイリは急いでウィングスーツを脱ぎ捨てる。


「急ぐので結論から言います。ダイチさんと連絡を取るために、僕とロボタンさんで先行します。ロボタンさん、例の町まで、最速で何時間かかりますか?」


 息を整え終わらないうちに、カイリは一気に話す。


「飲まず食わずで八時間は見てください」

「ロコさんの機体が、マハラ高原につくのは?」

「……最短距離を最高速度でいけば約六時間です」


 カイリはぐっと拳を握る。だが、ダイチがそれを命じさえしなければ、ロコは時間を稼いでくれるかもしれない。AIにはウソをつく権利はないが、問われていないことを話す義務もないから可能ではある。しかしロコが……AIが自分の思考でそれをすることが可能なのだろうか。

 カイリは同じくウィングスーツを脱ぎ捨てたアサトに向き直る。


「すみません、アサトさん。通信手段を再構築するには僕じゃないと。ロボタンのスピードを考えても僕一人の方が」

「わかってる。カイリ、頼む」

「はい。マユさんをお願いします。もし、街が敵に囲まれていたら、近づかないでくださいね」


 ロボタンの腕からアサトの腕へと託されても尚、ぐったりとしているマユの頬にカイリは指先を滑らせた。「マユは任せろ」と力強く言うアサトに頷く。


「アサトさん、早合点かもしれませんから。もしかしたら、ダイチさんは高所恐怖症で飛べなかっただけかもしれません」


 気休めのような言葉を言ってから、軽率な言葉だった、とカイリは後悔した。しかし、アサトはばりばりと頭を掻いて笑った。


「ありがとな、カイリ」


 笑っていても、沈み込んでいる眼差しが「それはない」と言っている。カイリはダイチとアサトの関係を間近で見てきた。アサトの勘は恐らく当たっているだろう、と心が沈む。


「カイリさん、どうぞ背中に」


 前屈みになったロボタンに声を掛けられて、はっとして気持ちを切り替える。ロボタン背中の突起に足をかけると、長い腕がくるくるとカイリの腹に巻き付いて体を支えた。


「行ってきます」

「頼む!」


 懇願するようなアサトの声を引きずって、ロボタンは高速で走り始めた。高く伸びた植物のせいで、アサトとマユの姿はあっという間に見えなくなった。カイリは向かい風を避けるため、ぐっと顔を下げる。


「もし、ダイチさんがタワーに突っ込んだ場合なんですが」

「はい」

「恐らく、ダイチさんはギリギリでロコさんのAIチップを抜いて降下すると思うんです」

「……そんなことをしても」


 ロボタンが一瞬口ごもる。カイリは構わず続ける。


「ロコさんのAIを抜いた瞬間、機体は自動操縦から遠隔操縦に切り替わるでしょう。そうなればNIに起動を修正されてしまう可能性が高い。修正しても避けきれない場所で離脱するつもりだと思うんです。その地点の毒の濃度は人が……人間が生き残る可能性はありますか?」

「いいえ。私のデータでは不可能です」

「救出まで何時間がリミットでしょう?」

「一時間が限度かと。それでも命が助かるかもしれない、というだけで後遺症が残るでしょう」


 絶望的な時間だった。なんとか衝突そのものを防がなくてはならない。簡単な思い付きではなく、固い決心でそれを決めただろうダイチを説得し、呼び戻す。アサトやマシロならともかく自分にそれが出来るだろうか。


「……マシロさんは大丈夫でしょうか」


 降りてこなかったというマシロを思い出して、カイリは心配とともに、わずかの希望を見出した。マシロが機体に喰らいついてくれれば、ダイチは機体のハッチを開けざるを得ないだろう。そうなればマシロがダイチの捨て身の作戦を止めてくれるかもしれない。


「マシロさんの体重の負荷くらいでは、アラームはならない可能性が高いです。もちろん外から開けることは不可能ですから、恐らくどこかで諦めて降下したでしょう。マシロさんなら、わたしたちより先に街に着いているかもしれませんよ」


 ロボタンはカイリを安心させるために言ったのだろうが、これで「マシロが止めてくれるかもしれない」というひとつの可能性が途切れた。それきりロボタンは黙り込み、カイリは通信手段を再構築するための手順を頭の中で繰り返す。

 数時間も経つと、手足が強張り意識が朦朧としてきた。一瞬眠っては焦って覚醒するのを繰り返し、次第に時間の感覚と体の感覚がなくなっていく。着いてすぐ、作業に取り掛からなくてはならないのだから、と必死に指先を動かすのだが、強烈な疲労感に眠りに落ちてしまうのだ。


「カイリさん、到着しました」


 ロボタンの声に一気に覚醒する。ロボタンの傍らにはアンドロイドのシズが立っていて、カイリが立ち上がるのを手伝った。


「すみません、眠ってしまっていました」


 顔を上げると、目の前には見たこともないような巨大なコンピューターがそびえ立っていた。その前には大きなモニター、そして背景にそぐわないと思えるほど小さく見えるコントロールパネルと椅子が置かれている。ロボタンに支えて貰って尚、カイリはふらつきながらその椅子に座った。目の前にはたくさんのキーが並んでいた。


「指で入力か。練習くらいはしたことがあるけど……」


 慣れたリング式の入力でないことが不安で、カイリはこわばった両手を揉み解す。


「ロボタン、電源は大丈夫ですか?」

「確保しました。追手が来るまで、最悪で一時間でしょう」

「了解。三十分で終わらせます」


 カイリは迷わずにキーを叩き始めた。必要があったときにロコに連絡を取るために残しておいた、細い道筋をたどる。NIに乗っ取られぬよう、存在さえも巧みに隠して、たくさんのトラップを仕掛けてある。一手も間違わず、しかし最速で……タン! と最後のキーを叩いてロボタンを見下ろす。


「出来ました」

「こちらも大丈夫です」

「行きます。三・二・一」


 カチ、とカイリが慎重にキーを押し込むと同時に、ロボタンもあるキーワードを直接につないだケーブルから入力する。二つのキーワードを同時に入力しなくてはいけない仕組みだった。失敗すれば最初からやり直しになる。カイリは祈るような気持でアルファベットの並んだ画面を見つめた。


――通信先発見


 青い背景に白い文字が映し出される。カイリは思わず立ち上がる。やった! と声を上げる間もなく画面は暗転した。


――破損により通信不可。通信再開可能性0%


 画面に白い文字が浮かび上がり、カイリはその場に崩れ落ちた。

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