表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
四章 カルネアデス
29/59

カルネアデス 4

 イチは刀傷を負ったまま強引に腕を振る。動きを制限された刃はダイチに届くわけもなく、虚しく空を斬った。


「……イチィ……やだよぉっ」


 悲鳴のようなマユの声が響く。


「……う」


 床に叩きつけられたイチのくぐもった声が他に音のない部屋の中に響く。真っ赤な血が溢れるように床に広がった。ダイチはがくん、と膝を折って座り込み荒い息をついた。痛いような沈黙が部屋を埋める。息が収まると、ダイチは丸見えのイチの首筋からチップを引き抜き、自分のスロットに入れた。


「メモリの読み込みと書き込みオフ、……1011、ダイチ、バトルを放棄します」


 震える声でそう告げる。うつ伏せに倒れたままのイチが横目でダイチを見つめた。


――宣言を確認しました。こちらの宣言を実行すると、即時クローン配給の権限が失効します。現バトル中に死亡した場合にも、クローンは配給されません。バトル終了まで宣言を保留しますか


「いいえ」


 冷たい音声に静かに答える。ダイチがコンピューターとやり取りするのを、イチがうつろな目で静かに見つめていた。


――バトル放棄の実行をしました。尚、次のバトル開催前日二十四時まではキャンセルが可能です。繰り返します。次のバトル開催前日二十四時まではキャンセルが可能です


 音声が途切れ、ダイチはスロットからメモリカードを抜き取り、イチのスロットに戻す。イチがキャンセルを実行するならそれでもいい、と思った。


「……ずいぶん、勝手なやろうだな。……ああ、お前……俺だもんな」


 イチは視線を外してぼんやりとつぶやく。もう目も見えていないのかもしれない。眠るようにすっと目を閉じると、笑っているように口元が上がった。


「……あと……よろしくな……」


 それだけ言うと、安楽死薬が注入されたのだろう、風船がしぼむ様にイチの体は力を失って、薄く長く伸びた。イチはバトル放棄をキャンセルをしなかった。ダイチはふらふらと部屋の隅に移動すると、崩れるようにしゃがみ込む。


――殺した


 テセウスに入ってから、六回死んだ……いや、死んだ記憶がある。そして、一体何人を殺してきただろう。眠れなかったのは最初の一人の時だけだった。徐々に罪悪感は消えていき、「殺す」という言葉が「倒す」だとか「討つ」だとかいうキレイな言葉に置き換えられると「殺した」という感覚さえも消えた。だが、確かに殺してきたのだ。この手ではなかったかもしれない。でも記憶の中で確かに自分は人殺しだったし、今こうして確かに人を――自分をこの手で殺した。ダイチの咽喉から嗚咽が漏れる。マシロもマユも息を飲んだまま何も言わなかった。硬直した部屋の中で、ぴくり、とサトの指が動いた。


「アサト!」


 マシロの叫び声に顔を上げたダイチの目の前でゆっくりサトが体を起こす。サトはイチの死体を確認し、ダイチをちらりと見ると頭を搔いた。


「念のため聞くけど、お前……どっちだ?」


 サトはかすれた声でダイチに問いかける。


「……ダイチだ」

「そっか」

「……お前は」


 サトは後頭部を擦りながら起き上がり、袖口で面倒そうに鼻血をふき取る。胸ポケットからタバコを取り出し、新しいライターを見つめて一瞬がっかりしたような顔をして火をつけた。煙草を挟んでいる指が小刻みに震えていた。


「……記憶は二重にある。でも、まあ、アサトなんだろうな」


 煙と一緒にため息のように言葉を吐き出す。サトのリスポーンには何度も立ち会った。少し若返った姿に違和感を覚えるのは最初の数日だけだった。それは、髪を切ってイメージが変わった、というような些細な違和感と似ている。ダイチはこれはアサトの記憶を持った新しいアサトなのだ、と思ってみる。だが、目の前のアサトはどこまでもアサトだった。


――だったらあの時死んだアサトは……今までイチと一緒に生きてきたサトはどこに……


 ダイチの顔が苦痛に歪む。あの死を無かったことにしてしまうことは、あの生まで無かったことにしてしまうことだったのではないか。すまない、という言葉が口を突きそうになり、ダイチはぐっと飲み込む。それは今のアサトを侮辱する言葉だと思った。ダイチの気持ちがわかるかのように、アサトは、ぽん、とダイチの肩を叩く。


「気楽にいこう。んで、ありがとな。ダイチ」


 礼を言う親友の優しさがありがたかった。だが、アサトは目覚めてから一度もイチの目を見ていない。声に含まれるほんのわずかな憤りをダイチは見逃さない。リスポーンしたくなかったのだろうと思った。それでも自分を必要としてくれたことに礼を言うアサトの横顔を見つめて、ダイチは袖で顔を拭った。


――振り払え


 ダイチはばちん、と自分の頬を叩く。今はなんとかここを抜け出さなくてはいけない。懺悔はあとからいくらでも出来る。


「記憶には問題ないか?」

「んー、ドッペルゲンガーになってからの記憶はよく思い出せない部分も多い感じだけど、まあ大丈夫。こっちの四十年の記憶もあるよ……赤目討伐計画とか」


 にやりと笑ってマシロを見るアサトにダイチはほっと胸をなでおろす。同時に実験のようなことを親友の体でしてしまった、という事実が再び胸を抉った。


「……状況、わかってるか?」

「俺のクローンを攫いに来て……ってトコだろ? で、ここから逃げるにはどうするか? だな」


 アサトは肩越しに部屋の中を振り返る。視線の先にはカイリを抱えて青ざめているマユが居た。マユは二人の視線を受けて、どうしていいかわからない様子でまだ目覚めないカイリを抱き寄せる。その衝撃からか、カイリが呻きながら目を開いた。


「マユ、話を聞いてくれる?」


 じっと見つめるアサトに、マユがこくんと頷いた。



「……じゃあ、皆ドッペルゲンガーってコト?」


 カイリが今まで起きたことの手短な話をし終えるとマユは遠慮がちに呟いた。


「……そういうこと! マユは賢いなあ」


 アサトが明るく茶化すが、マユは深刻そうに俯いた。アサトは肩を竦めて立ち上がると、ドアを結んでいた紐を解き始めた。本体のフリをして逃げ切ろうと言うのが、ダイチとアサトの短い話し合いで出た頼りない作戦のすべてだった。マユが悩んでいるのを待つ時間はない。ファイターたちはあらゆる部屋を調べ、次第に連携してここを突き止めるだろう。マシロは槍を構え、カイリもおなかを擦りながら立ち上がる。


「……ね、ねえ、あたしはどうすればいい?」


 マユはダイチを見つめ、カイリを見つめ、また俯いた。


「自分で決めるんだよ、マユ」


 ダイチはゆっくりと含めるように伝える。マユは戦力になる。……だが本人の意思に任せようと思った。


「それって、つまり……あたしおばあちゃんになっちゃうってことだよね。そんで……」

「マユ、嫌なら残ることを選んでいい。記憶が消えるから大丈夫だ」


 ダイチは諦めて呟く。マユは困ったようにダイチを見上げる。


「でも、イチはもういないんだよね……さっき、バトル放棄したから……」

「……ああ」


 ダイチはちらりとカイリを見る。マユは不安そうにカイリを見つめた。


「僕もいません。それに……マユさんはおばあちゃんになってもきっと可愛いですよ。……僕に言われても嬉しくないかもですけど」


 それを聞いたアサトが「あ、なるほど、そっかそっか」と一人呟き、紐を解く手を止めてバトル放棄の手続きを始めた。マユは泣き出しそうな顔で、ダイチとカイリを交互に見つめた。


「あ……あたし……あたしも一緒に行く」

「本当か、後悔しないか?」

「……しない。行く」


 マユは心を決めたようにこっくりと頷く。ダイチは、うん、と言ってマユの頭を撫でた。


「よろしくなー、マユ。あ、マユミ。俺たちみんな正式名呼びなんだ。それと……こいつはマシロ」


 マユはちょこん、と頭を下げてから、じっとマシロを観察するように見た。マシロは気にもしないように軽く頷いて答えた。しばらく悩んでから、ふーと深く息を吐いてマユはバトル放棄の手続きを始めた。


「本当にいいんですか?」

「いい。……皆と一緒にいたい」


 尋ねるカイリにマユはしっかりと頷く。


「アサトさん、マユミさん。チップは捨ててください。追跡されるから」

「……わかった」


 カイリに頷きながらマユは手続きを進め、アサトはぴん、とチップを捨てる。


「あとさ、あたしはマユでいい。正式名嫌いなの」


 手続きを終えるとすっきりした顔でマユは言った。その様子を黙って見ていたマシロが上を向いて短い息を吐いた。


「私ももう一人いるのだな……」


 と、独り言のように呟く。チップがないからマシロだけ放棄の手続きが出来ないのだ。今、マシロの次のクローン――恐らくシロではなく赤目と呼ばれている――は何も知らずに青サイドでフェイクのドッペルゲンガーを追っているのだろうか。聞きとがめてアサトがちらっと振り返った。


「いねえぞ? あのバトルの後から赤目は」

「え?」

「放棄してたんじゃ……ああ、してないよな。あれ? すまんちょっと記憶が混乱してる。とにかく今、赤目は居ないよな? マユ」

「うん、居な……え? マシロって赤目なの!?」


 マユはこくんと頷いてから、口を開けてマシロを見つめ「ほんとだ、目が赤い……」とつぶやいた。


「そうだ。ダイチ、私は放棄の手続きはしていない」


 アサトとマシロとダイチはお互いに視線を交し合う。どういうことだろう? もちろん誰も答えを持っては居なかった。


「考えてもわからないんだから、考えてもしゃあない。時間が惜しいからいくぞ」


 解けない紐に痺れを切らせたようで、ナイフを取り出して断ち切った。薄く扉を開けて外を確認する。


「おっと、そこそこいるね。いいか、俺たちはドッペルゲンガーじゃない。って設定で切り抜けるよ」


 にやり、と笑って出ていくアサトに続いて、五人は部屋を後にした。最後に部屋を出たダイチは、一瞬立ち止まり、そこに残していくものたちを振り返らずに扉を閉めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ