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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
四章 カルネアデス
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カルネアデス 3

 先に動いたのはイチだった。ぐっ、と倒れこむように上半身を地面に平行にした瞬間、跳ねた。地面に顎が擦れそうなほど体勢を低くしながら、視線はダイチをにらみつけたまま一直線に、猛然とダイチの命を狩りにくる。


――速い!


 一瞬のうちに距離を詰められた。来るとわかっていたのにダイチは遅れて反応する。軽く取り回しの良い日本刀に懐にもぐりこまれてしまえば勝負はついたも同然だ。ダイチは大刀を縦に振りながら大きく後ろに飛びずさった。イチは小さく舌打ちをすると、大きく踏み込んだ右足でブレーキをかける。タイミングをずらし、ダイチが振り下ろした大刀を紙一重のところで避け、殺しきれなかったスピードでもう一歩、つんのめるように前にでる。

 ダイチはそれに合わせて、迎撃の一手を構えながら呼吸を整えた。なんとか渡り合えているのは、相手の思考がある程度読めているからだ。一つでも選択肢を間違えればその瞬間に終わるぞ――とダイチは自分に言い聞かせた。イチは再び姿勢を低く構える。


――来る……距離をとる!


 退きながら、ダイチは次の動きをほとんど反射的に行なった。後退した勢いを維持したままの突き。まったく体重の乗っていないそれは、真っ直ぐに突っ込んでくるイチの突進を阻むために繰り出したものだった。


――しまった!


 悪手だと気がついても、すでに体は動いてしまっている。イチはニヤリと笑うと、突き出された大刀を、最低限――一歩間違えば大刀に頭から突っ込みかねない程――の動きで躱して、止まらずにダイチの懐に飛びこんできたのだった。


「こ、の!」


 刃を振り下ろそうとするイチの腹に、ダイチは右足の曲げ伸ばしの反動だけの簡単な蹴りを入れる。イチは勢いを殺されて膝をつき、無茶な体勢から蹴ったダイチも体勢を崩してその場に倒れた。瞬時に二人とも立ち上がり、相手を睨みながら武器を構える。


――危なかった


 ダイチの背に冷や汗が伝う。イチが勢いに乗りすぎて間合いを詰めすぎていなければ、蹴りが届くこともなく、斬り捨てられていただろう。それ以上に突き出された大刀に対するイチの反応。当たったら当たったで仕方がない、という捨て身の行動を決意ではなく反射で行った。ダイチは薄く笑う。何も不思議なことはない。赤目であったマシロを刈った時、自分はどうやった? 腹を刺させて武器を奪ったではないか――。

 ちっと舌打ちするイチの目は純粋な殺意だけを宿している。狂っている、とダイチは思った。生き物として狂っている、と。今まで幾度となく動物の狩りを見た。ダイチの知る限り、彼らはなるべく争いを避けようとしていたし、追い詰めても、追い詰められてもその目は常に先を見ていた。だが、イチの表情にはそれがない。何をしても自分は続くのだという愉悦と、いつ終わってもいいという諦めが同居している。


――俺もこんな顔で人を殺していたのか


「情けねえな……」


 ダイチの思考をイチの押さえた怒声が止める。


「無様な戦い方だよ」

「……そうか」


 ダイチには返してやる言葉もなかった。何も言わないダイチに何を思ったのか、イチは刀の切っ先をすっと下げる。


「やっぱり代わってやろうか」

「……は?」


 唐突な申し出に、ダイチの思考は固まった。警戒は崩さぬまま、イチの出方を伺う。


「なあ、こんなんじゃ役に立たないだろ? 俺が代わろうか?」


 イチはちらりとマシロを見た。ダイチもつられて視線を送る。マシロは飛び出したい気持ちを抑えるように、自分を抱きしめて震えていた。


「……いや、だ。私はダイチがいい」


 震え声のマシロを見て弱いものをいじめているような気がしたのだろう。イチは申し訳なさそうにマシロからすっと目を逸らせた。


「そうか。ごめんな。でももう終わるよ」


 イチは決意を固めたように、だらりと下ろしていた刀を再び構える。ダイチもまた大刀の柄を握り締める。そうだ、自分もよくこうやって戦っている相手を揺さぶるために話しかけていた。そして現実に震えているマシロを見て心が揺らぐ。でも、どうしてもこれだけは譲れなかった。ダイチはじっと震えるマシロの足を見つめる。


「ごめんなマシロ。でも、俺……どうしても……頼む、絶対に手は出さないでくれ」


 腕がなくても腹を切られていても、マシロの方がイチより強いのは間違いない。マシロに倒してもらえれば先に進むことが出来る。だが、それではきっと納得が出来ない。この先に進むことが出来ない。つまらないプライドで死ぬことになったとしても。死にたくないともがいたり、友人の死を認められなかったり……どこまで自分は勝手なのだろうか。ダイチはマシロの顔を見ることが出来なかった。


「……わかった。死ぬな、ダイチ」


 どのような気持ちでいるのだろうか。それでもマシロに名前を呼ばれて、ダイチは自然と体の力が抜けるのを感じた。


「……決着をつけよう」

「望むところだ」


 イチは再び、決死の構えをとる。ダイチはその一撃を避けることに全神経を集中した。


「ハッ」


 気合と共に、下半身に込めた力の全て使ってイチが突っ込んでくる。ダイチは軽く大刀を振ってイチの刀に合わせた。大刀と打ちあえば、日本刀は一溜まりもない。イチは刀を引いて体を斜めに倒し、ダイチの刀を擦れ擦れで避ける。同時に懐に入るために体を捻った。


――来る!


 確かに、斜め下から自分の胸に刀が突き刺さるイメージが沸き、ダイチは後ずさった。だが、刃はその場を動いては居なかった。


「また同じかよ。逃げるだけじゃ勝てないぞ」


 呆れたように言う余裕のイチの表情を見ながら、ダイチはイメージと現実のズレを考えた。確実に来る、と思ったのに……何故来なかった? 手加減されたのか? 


――遅いのか?


 マシロの速さを見慣れた自分にとって、イチの動きは一拍遅く感じるのだ、とダイチは気がついた。死ぬことへの恐怖と、それのないイチは自分よりも強い、という思い込み。それが自分の体を鈍らせていたことに気がつく。四十年のバトルドームでの戦闘の知識と経験、それはたった一年でそうそう差がつくものではないだろう。イチも経験を積んだだろうが、ダイチは自分よりずっと強いマシロと訓練してきたのだ。

 ダイチの目の前で三度、イチは低い姿勢で刀を構えた。同じ攻撃をしてくるだろう。それに一番自信があるから……かつてのイチであるダイチには手に取るようにわかった。そして、戦いがこれで終わりになることも。それはつまりイチを……自分を……


――迷いを捨てろ! 俺は生きるんだろ!


 イチが突っ込んでくる。ダイチが大刀を突き出す。イチが紙一重で避ける……まるで予定調和のような、何度も観た映画のスローモーションのような場面をダイチは痛む心で見つめる。懐に入ろうと体を捻りきったイチの次の太刀がダイチの胸に届くよりも早く、引かずに踏み出したダイチの大刀がイチの肩口から胸にかけて深く食い込んだ。

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