カルネアデス 2
「お……」
ダイチのマスクの中身を見たイチが後ずさる。
「嘘ついてた! 怪我なんかしてないじゃん!」
マユはびし、とダイチを指差してから、青ざめたイチの顔にチラリと目をやった。
「……ああ、嘘だ。すまない。俺は本体とドッペルゲンガーの間に起こる嫌悪感を知ってるから、外さないほうがいいと思ったんだ。な?」
ダイチはマユに向かって言って、イチをあごで指した。イチは相当気分が悪いらしく、ダイチから目を背けて刀にしがみ付いて体を支えていた。ダイチを見ようとしているのに首が動かない、というように見えた。
「……なんでここに戻った? 目的はなんだ?」
ダイチを見ることが出来ないまま、苦しそうにイチは吐き出した。
「……答えろ。目的はなんだ? 答え次第では殺す。この部屋に入ったときからずっと殺したくて仕方なかったんだ、脅しじゃないぞ」
「や、やだあ、イチ。そんなこと言うなんて……なんかおかしいよ? 顔こわいよ……ねえ」
ちゃかして場を和ませようとしたのだろうマユが、イチの形相を見て萎んでいくように口をつぐむ。ダイチにはイチの気持ちが痛いほどわかった。ドッペルゲンガーとなり始めてイチを見たときのあの感覚。そして今だって……どうにか堪えられているのはイチと違って多少の覚悟があっただけだ。やはり相当の嫌悪感は否めない。
――あと、何分だ? サトは大丈夫なのか? その間、イチを抑えておかなくてはいけない。
ダイチはぎゅっと唇を噛む。本当のことを言うか? どこまで? この世界を変えようとしていることを伝えたらどうだろう。でもそれで納得してもらえなかったら……ダイチは自分が手放した刀との距離を目で測る。
「取れよ、俺は二人いらねえよ」
ダイチの目の動きに気がついたのだろう、イチが冷たい声で言い放った。ダイチは敵意がないことを示そうと刀から目を逸らして俯いた。イチは人に聞かせるためのような舌打ちをする。
「いいのか? 取らないなら一方的に弄り殺すぞ?」
「ね……ねえ、イチ? 本当変だってば……」
「マユ、危ないから隅に行ってろ」
とりなそうとしたマユを冷たい一言で黙らせると、イチはかちゃり、と刀を構えなおした。マユは大人しく、カイリを引きずって部屋の隅に移動して座り込んだ。目にはいっぱいの涙を浮かべている。本当は気の小さいマユに、わけのわからないこの状況はどんなに心細いだろう。なんとかしなくては、とダイチはイチを説得できそうな言葉を探す。
「……話し合おう。全て正直に話す」
「今までは嘘でしたが、か? 信用しないし、必要ない。時間稼ぎをするなよ」
言い終わると同時に、脅しではない一撃がダイチを襲った。ダイチは横に転がりながら刀を拾って立ち上がった。この場を上手く収めるには……そう考える一方で、目の前にいる自分を叩きつぶし、自分こそは本物だと叫びたい欲求がダイチの心をじわりと侵食する。
「準備万端だな」
イチがぺっと唾を吐き出した。相当の嫌悪感と戦っているのだろう。……イチも同じ気持ちなのに違いない。俺こそが本物である、という抑えがたい怒り。だがダイチはそれに身を任せることは出来ない。
「手伝うか?」
声がして振り返ると、マシロが立ち上がり槍を構えていた。その先が僅かに震えていることをダイチは見逃さなかった。「もう少し話してみるから」と小声で言うとマシロは安心したように槍を下ろした。ダイチは目を見ないようにイチの足元を見る。
「聞いてくれ。……テセウスはショーなんだよ。NIと呼ばれるデータ化された人格の余興でしかない。俺たちは自分のNIにここに入れられて観察されている。これは俺たちの選んだ人生じゃない」
話を聞かせるために大切な一言目をダイチは慎重に選んだ。それが正解であったことを示してイチの刀の先が迷うように上下した。
「この事実を知ったお前は安楽死だ。そして記憶を消されてリスポーンさせられる。それはお前であってお前じゃない。記憶を受け付けられた他人なんだよ。わかるだろう? 俺はお前じゃないし、お前も俺じゃない」
「……だからなんだ? 今までだってそうやってリスポーンしてきたんじゃないか。ショーだからなんだ? 他に何か方法があるのか? お前を殺れば高得点……」
「考えることを放棄するなよ!」
ダイチは声を荒げた。わかっているはずだ。一年前までの同じ記憶を共有しているのなら、本当は気づいているはずなのだ。閉塞感と虚無感を抱えた行き止まりの息苦しさに、何かが間違っているのではないかという疑問を持っているはずなのだ。
「テセウスでの百体が終わったら、俺たちの大元であるNIのダイチが選んだ別のショーに送り込まれる。それまでの記憶を書き換えられてだ。なあ、それでいいと思うか?」
「……お前の話は信じない。根拠がない」
「カイリが調べたし、実際に自分のNIとも話した。残念だが事実だ」
ダイチは息を止めて視線を上げてイチの目を見つめた。目を見て真実かどうか判断するなんて虚構の世界のことだろう、だがそんな方法しか思い浮かばなかった。だが、自分同士である二人はそれによって嫌悪感が増してしまう。イチが勢いよく顔を背けた。
「……じゃあ、お前らがカイを殺した理由はなんだ?」
「俺たちが殺したんじゃない。カイは自分で終わらせた……」
ふっとイチが口の端を上げる。
「カイが死ぬ理由がないだろ。顔の傷のことも……やっぱり、お前は嘘しか言ってない。おしゃべりはもうやめよう」
イチは刀を握りなおした。ダイチは諦めに似たため息を漏らした。話を聞く気がないのだ、それよりも俺を殺したくてたまらないから、それをしていい正当な理由を探している。
――なるほど、俺らしい
アサトの望まぬリスポーンを強行する理由にマシロを利用して、自分勝手なのではないかという思いをねじ伏せた。赤サイドの仲間を殺す理由が「世界を救うには仕方ない」などと自分でも笑えてくる理由じゃないか。……恐らく、イチの頭の中では世界を変えるヒーローの役を自分が掴むための筋書きでも描かれているのだろう。そしてそれは自分も同じ。この浅ましく自己中心的な二人の自分をNIダイチは今もどこかで見ているのだろうか。だとしたら……
「わかった。じゃあ殺せ」
ダイチはからん、と刀を捨てた。死を選んだカイの気持ちと、それを理解したカイリの気持ちがわかった気がした。ダイチ! と叫ぶマシロに向かって微笑む。申し訳ない、と思う。自分勝手な人間だ、とも。
「でも、頼みがある。死ぬ前に俺の記憶のバックアップを取ってくれ。そしてお前にインプットしてほしい」
「……俺にお前の代わりをやれって? 断る!」
イチは刀の柄を緩く握ると、ダイチを睨んだ。ひどく気分が悪そうだった。恐らく、ダイチの言っていることを理解し始めているはずなのだ。それでもただ、出所の知れない憎悪に支配されたように刀を握る手に力を込めることしか出来ないのだろう。
「何を言おうとお前はここで終わりだよ、ドッペルゲンガー」
同じ思考回路だからこそ、もう何も言っても無駄だということがわかった。イチは刀を右手で振り上げ、顔の横で左手を添える。ダイチはその構え方を良く知っている。一の太刀に全力を、命を賭ける決死の構え。……まあ、マシロには通用しなかったけどな、ダイチは長いため息をついた。
死んでもリスポーンできることで思いついた、紛れもなく自分が編み出した構えだ。イチは自分が死んでもダイチを殺したいらしい。なんという無様な技だろうか。そして、イチはそう思っていないのだ。
「ダイチ、お前に死なれると困る」
マシロがゆらりとダイチの横に立ち、穂先を揺らす。もう震えてはいなかった。
「……いや、手を出さないでくれ。悪い」
ダイチは弱々しく言って、再び大刀を拾い上げた。助けられる仲間が死ぬかもしれないのに黙って見ていて欲しいとは残酷すぎる。だがダイチにとってこれは自分で決着をつけなくてはいけないことだった。それを見たイチが何故か安心したように笑う。
「覚悟は出来たか? ドッペルゲンンガー。理由なんかどうでもいいんだよ。俺はお前を斬ってスコアをあげる。刀を構えろ……ここはそういう場所だろ?」
恍惚と語るイチを見てダイチは全ての可能性を諦めた。死んでも続くのが当然だと感じているイチと、死んだら終わりの自分ではそもそもの価値観が違う。あの安楽死の時に二人は全く別の人間になり、その道は遠く分かれてしまったのだ。そして、相手の存在を許すことの出来ない敵として目の前に立ち塞がっている。
「……ああ、そうだったな」
ため息とともに言いながら、ダイチは大刀を腰の辺りで低く構える。ドッペルゲンガーになって一年余りの間、暇つぶしではあったがあらゆる武器を使った戦闘訓練をマシロと積んだ。しかもこの一ヶ月は充分に体を鍛え上げた。しかし、長らく殺し合いから遠ざかっていたブランクがその程度で補えるとは思えない。イチは、その間も人を殺すことだけを考えて生きてきたのだ。
――負けるかもしれない、ちがう……死ぬかもしれない
それでも、ダイチに迷いはなかった。目の前の敵を倒して先に進むこと、話は単純だったのだ。そしてもし死んだら……きっとイチは自分のメモリを読み込むだろうという自信があった。それは自分ではないけれど、マシロやカイリやアサトにとって充分に「ダイチ」であるに違いない。即死だったら……いや、考えるのはやめよう……ダイチは大刀を構える。
「消えてもらうぞ、この死に損ないが!」
「黙れ、ドッペルゲンガー! てめえが消えろ!」
ダイチの挑発にイチが吼える。ねえ、もうやめてよ……部屋の隅にうずくまったマユが細い声で呟いて、カイリを胸に抱えこんだ。




