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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
二章 メメント・モリ
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メメント・モリ 10

 * 人によっては不快に感じるシーンがあります。お気をつけください。








 春はテセウスにも平等に訪れて、世界はどんどん色を取り戻していた。だが、まるでそれと反比例するかのようにアサトは急激に体力を失っていった。

 メモリーのバックアップの日から一ヶ月経った今では、食べるどころか飲むこともままならない。ダイチたちのこともわかる時とわからない時があり、わからない時間がだんだん長くなっている。

 不幸中の幸いか、傷みはそれほどではないようで、地下に拵えたベッドで一日中ぼんやりと横になったまま過ごすことが多くなり、この一週間ほどは起き上がることもままならなかった。


「ハッピーバースデーアサトー!」


 ダイチが紙ふぶきを撒いた。その日はアサトの誕生日だった。ありったけの食材を使い、ロコとカイリが腕をふるってご馳走を作り上げた。


「おめでとうございます! アサトさん」

「おめでとうございます」


 カイリとロコがアサトの顔を覗きこむ。マシロは少し離れたところに座ってその様子を見ていた。アサトの事がわかってから、マシロは一年前に戻ったような無表情でいることが多くなっている。


「ハッピーバースデートゥーユー」


 ダイチが少し音の外れた歌を歌いだすとアサトはゆっくり手を上げた。


「……やめろ、死ぬぞ。俺が」


 ダイチとカイリは顔を見合わせて吹き出す。どうやら、今日は調子がいいらしい。唇を歪めるようにしてアサトは笑った。しかし、誰の目にも明らかなほどの「死」がアサトを覆っていた。腕はがりがりに細いのに、顔と腹はぱんぱんに膨れている。


「何か食えそうか」

「いや……」

「飲めるか」

「……いや」


 そうか、とダイチは明るく言って、秘蔵のワインを取り出す。


「これでもか」

「おー」


 ダイチは五つのグラスにワインを注ぎ、ロコが配って歩く。足の長さが違うため、ひょこひょこと上下してしまう体を上手に操っていた。


「アサトの三百……えー何回目かの誕生日に!」

「かんぱーい!」


 ダイチの掛け声で、全員が乾杯を唱和した。ダイチとカイリは一気にグラスを空け、マシロも普段は飲まない酒をごくりと音を立てて飲んだ。ロコはダイチの空になったグラスを受け取って、自分のグラスを手渡す。


「どれ……ちょっと飲んでみるかな」


 アサトはベッドの横に置かれた自分のグラスを見つめてつぶやく。


「おー! 飲め飲め」


 ダイチは久々に元気なアサトが嬉しくて、グラスを掴んでベッドの横に跪いた。グラスの端を口に当てやると、アサトは恐る恐る舐めるようにしてから、ごくり、と一口飲み込んだ。飲まず食わずでいたアサトが一口といえど飲むことが出来たことで、地下には幸せな空気が流れた。


「よし、今日は飲んで食おう! マシロ、お菓子も開けていいぞ」

「おお!」


 久しぶりにマシロも元気な声を出す。


「肉がたりない、ロコ」

「すぐに焼けます。マシロさん、野菜も食べてください」

「野菜は必要ない」


 マシロはロコが皿に載せた野菜を、カイリの皿に乱暴にあける。


「こら、マシロ」

「大丈夫です。僕、野菜好きですから」


 見咎めたダイチに向かってカイリが笑う。


「そうだ、カイリは野菜が好きだからあげたんじゃないか。ダイチのくそじじい」

「……そんな言葉、どこで覚えたんだよ」


 マシロの暴言に呆れたように呟くダイチを見て、カイリが吹き出した。ロコも肩を揺らしながら、大きな肉をマシロの皿に乗せる。


「マスター、恐らくですがマスターからです」

「え……あ、そうか」

「……そうだ、いつも人をじじい呼ばわりしやがって」


 アサトもマシロの味方に加わり、ダイチは黙って頭を搔く。皆が楽しそうにはしゃぎ、笑っていた。こんな日がずっと続いていけばいい、無理な願いだとわかっていても、ダイチはそう願わずには居られなかった。


――ごぽ


 それはバカ騒ぎの中なら聞き漏らすほどの小さな音だった。だが、皆がいっせいに黙り、アサトを見つめる。アサトの口から、飲んだワインよりも赤い液体がつー、と筋になってあごに滴り落ちた。


「ちくしょ……死にたくねえ」


 聞き取りにくい、小さな声だった。だが、全員の耳に届いた。それは病気がわかってからアサトが吐いた初めての弱音だった。


「……な、なんだよーまったく、涎たらして何言ってんだ」


 ダイチが明るく言ってアサトの頭を少し抱え上げ、ロコがタオルで口元を拭く。その瞬間、アサトは盛大に薄いピンク色の液体を吐いた。どこにこれだけの量が入っていたのかと思うくらい一気に溢れ出て、ベッドはあっという間にびしょぬれになる。


「ア……アサト、大丈夫だ、しっかりしろ、アサト! カイリ! タオルあるだけ持ってきてくれ!」

「はい!」

「マシロ! でかい鍋、持ってこい!」


 返事のないマシロをダイチは振り返る。マシロは白い肌が青く見えるほどの顔色でガタガタと震えていた。いやいやをするように顔を横に振っている。ロコが立ち上がり、部屋のすみにあった鍋を取って戻った。それが一杯になるほどアサトは吐いた。


「……怖ぇなぁ」


 搾り出すような声とともに、がくり、とアサトの体が前のめりに折れてダイチが慌てて支える。ダイチは口を横一文字に閉じて、アサトをゆっくりと抱え上げて、汚れていない床の上に寝かせた。ロコは黙々とアサトの服を脱がせ、カイリは泣きながら吐瀉物で汚れたアサトの体をタオルで拭く。地下にはすこーんすこーん、というアサトの深い息の音だけが反響して響いた。黙々とベッドを整え、着替えさせたアサトを横にする。ダイチとカイリはベッドの両側に跪き、ぴくりともうごかないアサトの手を握り締めた。終わりが近づいているのは明らかだった。


「アサト、ありがとな、聞こえるか? 二度と言わねえぞ? ありがとな……」


 ダイチの目から涙が溢れ出し、堪えきれなくなったカイリが声を上げて泣いてアサトに縋りつく。


「……お前たちは何をしている」


 マシロがぽつりと呟いた。ダイチは顔を上げてマシロを見つめる。


「もう、お別れだよ。……お前も何か言ってやってくれ」


 ダイチは片方の手をマシロに伸ばす。その時、アサトがふー、と長い息を吐き出した。ダイチは慌ててアサトを見つめる。


「アサト! アサト!」」

「ア……サトさん、アサトさん! アサトさん!」


 ダイチとカイリが叫ぶ中、アサトは自分の中の全てをそこに置いていくかのように長い長い息を吐いた。もともと薄い体がまるで中にもう何もないかのように薄くなり、息が止まった。ロコがそっと脈を取り、まぶたを持ち上げて瞳孔を確認して、ダイチを見つめて首を横に振る。


「あーーーー!」


 それまで黙って立っていたマシロが、突然大声で叫んだ。三人が驚いて振り返ると、すごい勢いで梯子を上り始めている。


「追いかける。二人はアサトを頼む」


 ダイチは袖で涙を拭きながら、急いでマシロを追った。ライトも持たずに暗闇を手探りで走り洞窟から出る。果たして追いつけるだろうか、と思ったが、マシロは穴を出てすぐの空き地に座り込んでいた。大きな月に照らされて白い髪がキラキラと輝くようだった。ダイチはそっとマシロに近づく。


「……マシロ? 大丈夫か」


 マシロはびくんと肩を震わせる。


「こんなのは初めてだ。どうしていいかわからない。私はどうなってるんだ」


 心を切り裂かれているような声だった。ダイチは驚かせないように気をつけながら、蹲ってカタカタと震えているマシロの横に座った。


「お前は寂しくて悲しいんだよ。大事な人が居なくなったから」

「そうか。アサトは私の大事な人だったのか。だから私は寂しいのか」


 ゆっくりと頭を撫でてもマシロの震えは止まらなかった。目を見開いて何も無い空間を睨みつけている。出会った当初、ダイチは感情を廃したようなマシロの強さに憧れにも似た感情を抱いていた。だが一緒に暮らすうちにそれはマシロの弱さなのだと知った。今、目の前で泣くこともできずに傷つき震えているマシロを見て、心底守ってやりたいと思った。


「マシロ、泣いていいんだぞ」

「泣く……どうやるんだったかな」


 マシロが顔を傾けてダイチを見つめた。ダイチはそっとその肩を引き寄せて優しく抱きしめた。マシロは一瞬びくりとして、息を詰めて体を強張らせた。息をするのにも気を使ってダイチはマシロの背中を撫でる。マシロの体の力が少しずつ抜けていった。


「あーって言ってみろ、マシロ」

「……あー」


 ダイチは囁き、マシロは素直に従った。


「そうだ、次はアサトがいなくてさみしいよー、だ」

「アサトがいな……」


 マシロの赤い目に涙がじわりと盛り上がる。


「いな……くて」


 ぽと、とマシロの涙がダイチの胸に落ちた。


「さみ……」


 そのあとはもう言葉にならなかった。マシロはダイチにしがみつき、声を上げて泣きはじめた。その背中を擦りながら、ダイチも肩を震わせて泣いた。どのくらいの時間が経っただろう。泣き止んだマシロがそっとダイチから離れて、ダイチの目をまっすぐに見つめた。


「ダイチ、ダイチは死ぬな」

「ああ」

「カイリも死ぬな」

「うん」

「ロコも死ぬな」

「ああ」

「ダイチ」

「ん?」


 マシロの目が困ったように泳ぐ。止まったはずの涙がマシロの両目から再び零れた。


「なんだ?」


 涙で頬に貼り付いている髪を撫でてやりながら、ダイチは優しく続きを促す。


「アサトをリスポーンさせてくれ」

「……わかった」


 くしゃり、と顔を歪めたマシロをダイチは再び抱きしめる。ダイチの腕の中で、マシロは疲れきったように眠りに落ちた。森は昨日と何も変わらない。春の穏やかな夜が二人を包みこんで更けていった。



 それから数日かけてダイチたちはアサトの死を弔った。アサトが一番気にかけていた無花果の木が見える場所に深い穴を掘り遺体を埋葬した。土を高く盛り手ごろな大きさの石を載せ、春の草原から色とりどりの花を摘んできて飾る。カイリが調べてきた古代の死者の弔い方だった。


「昔、この地にあった国では死者の魂は四十九日経つと成仏すると言われていたそうです」


 カイリがぽつりと呟いた。マシロとロコはダイチとカイリに背を向けてアサトに手向ける花を摘んでいる。四人は毎朝アサトの墓を訪れるのが日課になっていた。


「成仏?」

「魂の救済のような意味でしょうか。輪廻転生という宗教観から生まれた概念のようですけど」

「……えっと、輪廻転生?」


 全てを聞き返すのは申し訳ないが、ダイチには始めて聞く言葉ばかりだった。


「死んだ人間の魂はあの世で裁かれ、浄化されて新しい命として生まれ変わる、というような……すみません。僕も不勉強で……」

「いや、しかし……それじゃまるでリスポーンだな」


 ダイチは口の端を上げて笑う。そうですね、とカイリも笑って答える。


「じゃあ、五十日後だな」


 パン、と手を打つダイチをロコが振り返る。人工皮膚の剥げた、つるりとした顔でも心配しているのがわかるから不思議だ。マシロは振り向かなかったが、神経がこちらに向いているのがわかった。


「アサトの死から五十日後の……えーと」

「……六月九日です」


 ダイチの視線に根負けしたようにロコがつぶやく。


「六月九日に、アサトのクローンを盗みにいく」


 カイリがそっと目を伏せるようにして頷く。ずっと背中を向けたまま話を聞いていたマシロも振り返り、決意したように大きくゆっくりと頷いた。空を見たロコの青い瞳が光を反射してキラリと光った。

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