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テセウスのゆりかご  作者: タカノケイ
二章 メメント・モリ
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メメント・モリ 8

 寒い夜が終わると木立も輝くような朝が来た。世界は清浄な希望で満ちていると感じられる早春独特の朝だ。それなのに、ツリーハウスの中は昨夜を引きずったままどんよりとした空気に包まれていた。


「サボってないで、食料集めにいーけーよー」


 アサトは呆れたように三人の顔を順番に見回して、やがて諦めてボリボリと頭を掻く。ポケットからタバコの箱を取り出すと、マシロが目にも留まらぬ勢いでそれを奪い取った。


「マシロちゃん。今更変わんないから、いい子だから返し……うっわー」


 最後まで聞かずにマシロはタバコを握りつぶす。あーあ、とアサトは情けない声を出す。タバコは高確率で手に入るが、アサトが気に入った銘柄のものはあまり出ないのだ。


「とりあえず、これからお前らは末期がん患者の終末ケアという未知の体験をするわけ。必要物資を集めて来いって言ってんの。おじちゃん、いつまでも木に登れないよ? お世話になるのに大変心苦しくはございますが?」


 アサトは呆れたように言って冷たくなったお茶に手を伸ばす。カイリがそっとカップを下げて、新しいお茶を手渡した。ありがとうカイリ、と嬉しそうに笑ってアサトはお茶を啜った。


「……行くぞ」


 ダイチはようやく立ち上がって、ザックを背負い、床下の扉を開けた。マシロもカイリも黙ったまま空のザックを背負う。


「よしよし。いってらっしゃーい」


 ひらひらと手を振るアサトに、誰も返事をすることが出来なかった。


「……なあ、いつもと同じにしてくれよ」


 ふざけた調子ではあったが、アサトの声色が本当に寂しそうで三人は弾かれたように顔を上げる。


「いってくる」

「いってきます」

「待っていろ、アサト。ここにいろ」


 三人が口々に言うと、アサトは満足げに目を細めた。ダイチは思いを振り切るようにツリーハウスを降りる。アサトは随分痩せた、とダイチは思う。何故気がつかなかったのか。気がついたからといって何が出来たわけでもないだろうが、一人不安や痛みに怯える夜はなかったのだろうか……アサトはこんなに強かっただろうか。地面に足が付いてもまだ空中にいるような不安定さに襲われてダイチは軽くよろめいた。

 ツリーハウスの外は春の空気で満ちている。木漏れ日が薄暗い森の中でも健気に生え始めた若草にステンドグラスのような模様をつけていた。


「よし、いくか」


 ダイチは自分に気合を入れる。走り出すマシロの後姿を追いかけながらダイチの思考は止まらなかった。自分が年老いてマシロやカイリを置いて行くことになったら、どうしたいのか。何をして欲しいのか。


――死にたくない


 痛切な思いに打たれた。いや、死にたくないのではない。あとに……遺したくないのだ。アサトもきっと同じ気持ちだろう。それでも死を受け入れようとしている……そうするしかないから……出口の見えない思いに捉われたまま、気がつくと最初のポイントに到着していた。


 そこには数十体の遺体が転がっていた。これは当たりだ。チームが全滅すれば物資が丸々手に入る。いつもなら申し訳ないと思いつつ喜びを隠し切れないのだが、三人は無言のまま手を合わせ、黙々と使えそうなものを集めてまわった。


「戻る」


 ザックをぱんぱんにしたマシロが言った。え、もう? と声をあげるカイリをちらりと横目で見たが、待つつもりはさらさらないらしい。


「待て、マシロ。ちょっと話がある」


 ダイチはザックを置いて、地べたに座り込んだ。マシロは返事もせずにザックを背負う。


「カイリも、座って聞いて」


 カイリが不思議そうな顔をしながらもダイチのそばに座った。それでもマシロは座らなかった。黙って駆け出したりしなくなったことは評価できるが、顔すらこちらに向けていない。


「アサトのところに戻る」

「アサトのクローンを盗もうと思う」


 ダイチとマシロは同時に声を出した。


「えっ」


 カイリが声を上げて、マシロもようやく振り返ってダイチの顔を凝視した。なだらかな丘になっている草原に朝よりずっと緩んだ春の風が吹き渡り、菜の花が揺れた。蝶や蜂が振り落とされまいと花にしがみつく。そして、その咲き誇る命が溢れるのと同じ空間に物言わぬ遺体がごろごろと転がっている。ブウン、という虫の羽音がダイチの耳を掠めた。


「翌日にリスポーンできるんだから、テセウスの中にクローン施設があるはずだろう?」


 ダイチは黙り込む二人の気持ちに構わずに続ける。


「ダイチ……それは、アサトではない」


 マシロが唸るような声で呟いた。ダイチはそれも無視して続ける。


「空のメモリーも必要だが、恐らく同じ場所にあると……」

「ダイチ、アサトを静かに送ってやれ。それがアサトの望みで、お前が友として出来る一番のことだ」


 滅多に出さない大声でダイチの言葉を遮って話すマシロを、ダイチは静かに見上げた。自分なら、マシロを置いて逝きたくはない……リスポーンしたい、と口に出せないだけでアサトも同じ気持ちに違いない、それがダイチの出した答えだった。


「俺は三百年以上、あいつといる。たった一年だけ一緒にいたお前に何がわかる?」

「話にならない」


 マシロはふい、と横を向いて走り出そうとして、思い直したようにダイチに詰め寄り、ナイフを咽元に押しつけた。


「殺してやろうか、ダイチ。そしてお前のクローンを盗んでお前にする。構わないだろう? 私たちが他の誰かをダイチと呼んでも、お前は気にしないのだろう?」


 マシロは冷たい目でダイチを見下ろす。ダイチはその目を正面から睨み返した。


「ああ、いいよ。お前たちを置いていくことになったらそうしてくれ。アサトだって絶対に同じ気持ちなんだ」


 抑えてはいるが、爆発しそうな気配を込めてダイチは立ち上がる。ダイチとマシロは互いに譲らずにらみ合う。


「落ち着きましょう、ダイチさん。それでも、いつかは誰かが取り残されます。簡単に答えを出す事じゃないです」

「時間がないんだよ! アサトは間もなく死ぬんだよ、わかってるのか? 本当に死ぬんだ! 完全にこの世から居なくなる! 理解してるのか!?」


 なだめるカイリに向かってダイチは怒鳴った。怒鳴られたカイリよりもマシロがびくん、と大きく反応した。カイリはふう、と息をついてダイチを見つめる。


「……僕のチップがあります。捨てずに隠しておきました。初期化できるはずです」


 カイリはゆっくりと含ませるように言った。


「今夜アサトさんが眠ってから、そのメモリチップに記憶データのバックアップを取りましょう。それに成功すればクローンを手に入れるのはいつでもいい」


 カイリの声がゆっくりとダイチの中に落ちていく。ダイチは、はーっと息を吐き出してぱん、と自分の頬を叩いた。


「悪い。ちょっと、どうかしてた。ごめんな、マシロ」


 ぼうっとしているマシロにダイチは声をかける。マシロははっとして顔を上げた。


「……かまわない。アサトが心配だから先に戻る」

「ああ、何も言うなよ」

「わかっている」


 頷いて、マシロは駆け出した。ダイチはどんどん小さくなっていく背中から視線を切る。資源集めを続けるため、ザックを持ち上げた。

 結局は同じだったのだ。死とそれによる別離から逃れるために先人たちが作り上げたシステム。そこにはまっている間、死と別離の恐怖が遠いうちは「自然死が望ましい」などと思っていても、いざ死や別れが目の前にあり、逃れる方法があればそれを選択しないではいられないのだ。


――俺たちは死に損ないなんだから


 テセウスに入らずに死を選択できなかった死に損ない。憐れで業の深い醜い生きモノ――ダイチは強く頭を振って転がる死体に手を伸ばした。

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