99話 まさかの肯定
ビオラがやってきた理由。それは半年前のある出来事がきっかけだった。
そう……ディーン卿のことだ。
彼は私が謝罪に赴いた日から、何かと私に手紙や贈り物を渡してくるようになった。
当然ながら、贈り物はすべて受け取らずに送り返した。返送する手紙に関しても、変な勘違いをされぬよう断りの言葉しか書いていない。
しかしそれでもなお、ディーン卿は逸脱とは言い切れない絶妙なラインでアピールを続けてきた。もうこれは、一人で解決出来る問題ではない。
そう判断した半年前の私は、ビオラに許可を得てアイザックお兄様に洗いざらい説明し、ディーン卿からの求婚について相談した。
するとお兄様は、絶望という言葉がぴったりなほどショックを受けながらも、烈火のごとく彼の行いに怒った。そして、怒りのままにディーン卿をブラッドリー家へと呼び出した。
◇◇◇
「ディーン卿、エミリアとの結婚は、当主の私が許しませんので諦めてください」
応接間に場所を変え、開口早々お兄様はばっさりと言い捨てる。だが、ディーン卿はそんなお兄様に動じる様子を見せない。それどころか、良い機会だとばかりにお兄様へのアピールを始めた。
「私は結婚相手に品行方正な方を求めています。エミリア嬢は私の理想を体現されているうえ、多方面での才もあり配偶者として最高の女性です。ですから――」
「口を慎んでいただきたい」
お兄様が怒りを露わにし、ディーン卿をこれでもかと睨めつけた。美丈夫なお兄様の怒り顔には、妹の私でさえ迫力と少しの恐怖を感じる。
そのような中、固唾を飲んで二人をそっと見比べる。すると、お兄様の方が卿よりも先に口を開いた。
「ディーン卿」
「はい」
「あなたの発言には、まったく愛を感じない」
「は……? 愛?」
お兄様の発言により、ディーン卿が今日初めて戸惑いの表情を浮かべた。すると、お兄様はそんなディーン卿へ補足を加えた。
「エミリアは商品じゃない。卿の発言はずっと、エミリアを都合の良い道具だと言っているようにしか聞こえないんです。なおさら、妹を嫁がせるなど出来ません」
私も感じていた気持ちをお兄様が分かってくれたことに、ひっそり感動する。
まあ、これだけ言われたら流石のディーン卿も多少怯むだろう。そう思ったのだが、彼は予想に反し余裕の笑みを浮かべた。
「道具など、そのようなつもりは一切ございません。それに愛が無いと仰いますが……愛なら結婚後に育てられますよ? それに私は結婚生活を送る中で、エミリア嬢を愛せる自信があります」
「っ……その場しのぎの発言はおやめください。愛せる自信があると言っている時点で、そもそも私の愛に勝てるわけがありません」
お兄様、今はそこじゃないでしょう。そう思っていると、言葉を受けたディーン卿は嘲笑を浮かべた。
「ふっ……どの口が言うんですか?」
ディーン卿のこの発言に、応接間に不穏な空気が漂う。一層険しい表情になったお兄様が、ゆっくりと口を開いた。
「……どういうことですか」
「エミリア嬢にあなたは随分と酷い態度だったでしょう? 私はあのように惨めな思い、彼女には決してさせませんよ」
お兄様の隣に座る私に顔を向けると、ディーン卿は優雅に笑いかけてくる。一方お兄様は心当たりがありすぎたのか、思いつめた表情で固まってしまった。
するとそのとき、前触れも無く応接間のドアが勢いよく開かれた。
「ビオラっ……!? あなたどうして……」
扉を開いた人物がビオラだと分かり、私は混乱した。
実はディーン卿が今日来るということは、ビオラには内緒にしていた。今日という日に、ビオラがディーン卿に対して何か粗相をしては困るからだ。
――どうして気付いたの?
それに、ノックもせずに入って来るだなんてっ……。
ディーン卿の顔を見ると、あからさまにげんなりとした表情でビオラを見つめている。彼はこんなにも表情豊かな人なのかと、ちょっと驚いてしまうほどだ。
一方お兄様は、敗北寸前の戦に援軍が来たかのような表情をビオラに向けている。ビオラはそんなお兄様の姿を捉えると、慌ててお兄様の元へと駆け寄った。
「お兄様!」
「ビオラ、どうしてここに――」
「お姉様とディーン卿を結婚させないで……!」
いつもは浮世離れした印象のビオラが、珍しく感情的な一面を見せる。ビオラのこの言動に驚いたのか、お兄様の期待の表情は面食らったものへと変化した。
だが、ビオラはお兄様のその様子に気付かない。それどころかお兄様に追い打ちをかけるように、彼女はディーン卿に焦点を合わせて宣言した。
「ディーン卿と結婚するのは、他の誰でもなく私よ!」
シーンと音が聞こえそうなほどの静寂が部屋を包む。
「違いますし、お断りいたします」
静まり返った部屋の中、真っ先にそう発したのは他でもないディーン卿だった。
あまりにもばっさりと切り捨てる彼の言いようは、私の脳内処理を一拍遅らせる。だがすぐに言葉の意味を理解し、発言を突き付けられた張本人を見れば、瞠若した彼女が視界に映った。
きっと意想外だったのだろう。でも、ビオラはめげなかった。
「私ではどうしてダメなのですか?」
「人としての行いですかね」
「では私がその部分を直したら、私と結婚してくれますか?」
「はい」
「「………………えっ!?」」
嫌ですとばっさり切り捨てると思ったのに、返ってきたのはまさかの肯定。息を揃えたようにぴったりのタイミングで、私とお兄様の口から仰天の声が漏れる。
「失礼ですがディーン卿、本当によろしいのですか!?」
「ええ、もちろん。少し年が離れていますが……まあ、そこはビオラ嬢さえ良ければ」
私の質問に対するディーン卿の言葉を聞くと、ビオラの表情は緩みきり紅潮した。だがディーン卿はそんなビオラを視界にも入れず、私の目を見て話を続けた。
「彼女もブラッドリーのご令嬢です。それに、社会的影響力や地位もある意味確立出来ている方。ですので、人間的なマナー面さえ直してくださったなら問題ございません」
この言葉を受けてから約半年。
私はディーン卿からの求婚の話を無かったことにする為、ビオラはディーン卿と結婚するために、礼儀作法を特訓する講習時間を毎日設けた。
この場において、どのような言葉が適切か。勢いとノリではない、年相応の礼節を踏まえた振る舞い。そんなことを教えている。
ビオラの結婚願望は相当なもので、彼女は渇いた土が潤っていくかのように、それは素直にマナーを吸収している。取り組み方も、真面目そのものだ。
お父様の生前はどれだけ言おうと直らなかったのに……。そう思ってしまうこともある。
しかし、改善しているんだから良しと思うしかない。たらればを言っても、何も始まらない。それなら、未来に焦点を当てた方がずっと建設的だ。
――それにしても、恋の力はすごいわね……。
今日だけに限らず、講習が終わると毎度出てくる感想だ。ビオラの恋心が元手となり湧き出す力には、思わず感心させられる。
この調子だと、本当にビオラはディーン卿と結婚できるかもしれない。そう思うほど成長している彼女に、私はかなり本気で期待をかけている。
「エミリア様」
椅子に座り、講習を終えたビオラが出て行った扉を眺めていると、ふと隣に立つティナが話しかけてきた。
「ごめんなさい。少しボーっとしてたわ。どうしたの?」
「お手紙のお返事、どうされるのですか?」
そう訊ねてくるティナの表情は、にやけが隠し切れていない。
ああ、手紙を書いている途中だった。そう思いながら、書き終えたジェリー宛の手紙を横によけ、カリス殿下用の白紙の便箋を目の前に置く。
そして私は露骨なにやけ顔になったティナを見上げ、彼女に安心の笑みを返した。
「心配しなくても大丈夫よ。いつも通りに返すから」
そう告げ、私はペンを手に取りカリス殿下宛の手紙を書き綴った。
カリス殿下が無事で安心なこと、メベリアの人たちに元気だと伝えて欲しいこと、今度王妃様に招待されたお茶会に行くこと、これからも身体に気を付けて欲しいことをまとめている。
そして最後に『私も最善を尽くして頑張ります』と一文加えた。
その手紙の内容を見たティナは、少し物足りなそうに口を尖らせている。だが私は、今はこれで良いのだと内容は変更せず、カリス殿下に手紙を送る手配をした。




