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97話 もう隠さない恋心

「彼は亡き辺境伯夫人の遠縁だろう? それを口実に、ロベル卿の両親はカレン辺境伯に金銭的援助を要求していたんだ」

「金銭的援助ですか?」



 そんな話、一度も聞いたことが無い。約二年の間ヴァンロージアに居たが、一度たりともそのような手紙が届いたことも無かった。

 ということは、それはヴァンロージアではなく、カレン辺境伯個人宛に届いた援助要請なのだろう。



「ロベル卿の実家は、そんなにも経済的に困窮しているのですか?」

「いいや。そんなことは無い」

「ではなぜ……」

「彼の両親は、贅を尽くすがため金に困っているだけだった。援助を求めるというよりも、金の無心と言った方が正しいだろう」



 何ということだろうか。あのしっかり者の気遣いが出来るロベル卿の両親が、そのような行いをする人だとは思ってもみなかった。

 そして、ここで新たに気になる問題が一つ出てきた。どのような方法で買収をしたのかということだ。



 あのロベル卿が、そう易々と買収されるなんて考えられない。特に金銭による買収なんて、彼が嫌いそうなこと間違いなしといった印象だ。だが、カリス殿下はロベル卿を買収したという。



 私たち貴族や王族の財源は、事業も勿論だけれど税収によって成り立っている。その財源の一部を、もし仮に贅を尽くすための資金として贈与し買収していたとしたら……。



「あの、カリス殿下。もしや、ロベル卿の両親にお金を渡されたりは……?」



 していないですよね。どうか違うと言ってください。

 そう願いながらも、可能性がゼロとは言い切れず緊張してしまう。

 そのせいか、スーッと体温が下がる感覚と共に、私の身体にはほんのりと冷や汗が出てきた。



 その瞬間だった。



「まさか、そんなことするわけっ……!」



 そう言うと、カリス殿下は驚いた表情のまま慌てた様子で説明を始めた。



「エミリア、どうか誤解しないで欲しい。僕は金銭で卿を買収したわけじゃない」

「ではっ――」

「ああ、ごめん。本当に僕の言葉が足りなかった。実は宮廷の財務官を派遣して、定期的に金銭の収支を監視させることにしたんだ」



 話を要約すると、どうやらロベル卿は金銭で買収されたわけではないらしい。

 自身の贅のために浪費する両親を、宮廷の財務官に監視してもらう。その条件を飲み、ロベル卿は自身の代理人役をカリス殿下に譲ったということだった。



 ちなみに、財務官はかつてカリス殿下の財務に関する教育係を担当した人だという。

 王子の教育係というのは忖度という訳にはいかないため、本当に優秀な人しかなれない。

 その人が自身の両親の金遣いを監視してくれるとあらば、ロベル卿も安心だろう。



 ロベル卿の立場では、そんな監視を頼むことは出来ないはず。それを叶えてやると言われれば、私がロベル卿の立場だったとしてもその条件を飲むだろう。

 主人の命に逆らう代わりに、実家からの金の無心が無くなるうえ、公正な用途での財産運用が可能になるのだ。



 買収と言えば聞こえは悪いが、ある意味カリス殿下の行動はロベル卿だけでなく、ロベル卿の実家の領地民を助けることにも繋がっている。



 そう考えると、ロベル卿が買収されたのも納得だ。それに、カリス殿下の行いを批判することなど出来なかった。

 だが、カリス殿下は私に気味悪がられていると思ったのだろう。



「ごめん。こうまでして代理人を代わってもらった僕が、今まで何食わぬ顔でエミリアと話していたって知って……気持ち悪いよな」



 そう告げる正面のカリス殿下は、耳を真っ赤にして申し訳なさそうに軽く目を伏せた。かと思えば、手に握ったままのモノを私寄りの机上に置いた。



「このオパールはエミリアのものだ。ずっと騙していてごめん。……ああいうときのお礼にエミリアが渡すモノが適当だとは思えない。大切なものなんだろう? 返すよ」



 遊色効果により光を受けたオパールは、まるで涙を流しているように揺らめいている。カリス殿下から離れたくない。そう訴えかけてきているかのようなのだ。



「カリス殿下」



 名を呼び、両手で手に取ったオパールを彼の方へと差し出す。



「え……エミリア?」



 私の行動が理解できない。そんな様子で困惑の色を浮かべる瞳は、戸惑った様子で私へと視線を向けた。



「確かに思い出あるモノには変わりありません」

「だったら何でっ……」

「これは私の決意の表れでもあったのです。今回の結婚で私が払う代償の一つのようなものでしたし、受け取れません」



――それに、この結婚でマティアス様が払うことになった代償も考えたら、受け取るなんてとても出来ない……。



 そこまでの私の心情を察したとは思わない。だけど、カリス殿下は私をジッと見つめた後、諦めたようにそのオパールを再び手に取った。



「分かった。ただ、今日からは身に付けないようにする。でも、捨てたり売ったりは絶対にしないから安心してほしい」

「っ……! ありがとうございます」



 捨てたり売ったりする人とは思わないけれど、数少ないお母様との思い出がある品だからこそ、そう言ってもらえると安心する。

 分かってるから言わなくても良い。そんなことでもいちいち言葉にして伝えてくれる殿下に、彼らしい誠実さを感じる。



――でも、これからどうしたら良いの?

 離婚したばかりだし、カリス殿下の気持ちに応えられるわけでもないわ……。



 そう思っていると、オパールのペンダントを胸元にしまい込んだカリス殿下が、突然立ち上がった。

 そして、対面の椅子に座っていた私の足元に片膝を突いて跪いた。



「殿下!? 何をなさるのですか? そんなっ……お立ち上がりください……!」



 一国の王子にこんなことをさせられない。

 慌てて椅子から立ち上がり、失礼を承知でカリス殿下を立ち上がらせようと右前腕を掴んだ。

 しかし、非力な私に鍛えられたカリス殿下を立ち上がらせることは出来ない。



「殿下、このようなこと――」

「エミリア、どうか聞いてくれないか」



 私を見上げる殿下の視線は、真剣そのものだった。彼の廉直の眼差しで射貫かれてしまえば、もう私に彼をどうこうすることは出来ない。

 すると、殿下は私のこの沈黙を肯定と見做し、騎士が忠誠を誓うかのように言葉を続けた。



「僕が結婚したいと思う女性はエミリア、君だけだ。でも、今の僕では君を幸せには出来ない」

「っ……」

「まずは、君と対等になれるように頑張るよ。だから……待っていてくれないか」

「えっ……」

「これからの僕を見ていてほしい。必ず君に相応しい人間になる。どうかそれまで、他の男との結婚を保留にしてくれないだろうか?」



 貴族女性にとっては、結婚は自身の生命線だ。

 いつも誰よりも自身を犠牲にするカリス殿下から、結婚しないで欲しいという言葉が放たれる日が来るとは思ってもみなかった。



 しばらく結婚する気が無いのは確かだ。だが、状況によって私は再婚することになるだろう。



――そもそも、カリス殿下と私が結婚することが可能なのかしら?

 それにカリス殿下がここまでの事をするほどの価値、私には……。



「カリス殿下。殿下が私に相応しくないように仰いますが逆です。私の方が殿下に相応しくないのです。お優しい殿下ですから、もっと良いご令嬢が――」

「エミリアじゃないと意味がないんだ。僕が好きなのは、愛しているのはエミリアただ一人だ」



 そう告げると、カリス殿下はスクっとその場に立ち上がった。



「エミリア」

「っ……」

「今すぐに応えて欲しいわけじゃない。ただ僕が改めて君に求婚した時、どうか僕との結婚について考えてほしい。もちろん、長い間待たせる気はない」



 今まで友人だと思っていた殿下に伝えられた想いに、心も身体も追い付かない。

 彼のこれらの言葉を聞き、私はただ全身の熱を上がらせることしかできなかった。



「エミリア……好きなんだ、ごめん」



 殿下が告げたごめん。それは、彼が初めて見せた欲望の言葉なのだと気付く。

 思わず彼を見上げれば、熱の籠った切ない眼差しが私に降り注ぐ。



――無責任なことは言えない。

 殿下を下手に期待させるようなことを言うわけにもいかない。

 カリス殿下を恋愛的な意味で好きと思えるほどには至っていない。



 だけど……。



「分かりました。では二年」

「えっ……」

「二年は待ちます。殿下はこれまで私を助けてくださいましたから……」



 王子様相手に偉そうだという自覚はある。だが、待つにしても期限は必要だと思った。

 そのため。私はお兄様を一人にしても大丈夫という指標にしている二年を、カリス殿下に提示した。



「僕の都合の良い……幻聴じゃないよな?」

「はい。ですが、殿下が御心変わりした場合は遠慮なくお知らせください」

「そんなことあるわけないっ……!」

「っ……そう、ですか」

「当然だ! エミリア、ありがとうっ……」



 感極まり涙を堪えたような表情をした殿下は、ギュッと唇を噛み締めた。

 両手も堅い拳を作り、必死に溢れ出してしまいそうな感情を抑え込んでいるようだ。



 自分に向けられるこの大きな想いを知り、私は今日からカリス殿下のことをどう見て良いのか分からない。

 私のこの返答が、果たして正解なのかも分からない。



 ただ、カリス殿下のあまりにも真摯な想いが私の心に響いたことだけは、今ここにおける唯一確かなことだった。



 それから四半刻と経たずして、仕事の予定が入っていることを理由にカリス殿下が帰ることになった。

 そのため、私は廊下を歩きながら、話すことが出来なかった近況について殿下に軽く訊ねてみた。



「カリス殿下は今、どのようなお仕事をなさっているのですか? 噂によると、かなりお忙しそうだと……」

「ああ、実は王都に貴族も平民も通う学校を作ることになったんだよ。それで、教授として目星を付けた人たちに打診をしているんだ。とりあえず今のメインの仕事はそれかな」

「まあ、そうだったのですね……!」



 貴族だけの学校ならまだしも、平民も交ざるとなれば教授の人選は相当難しいだろう。また、適任だと思っても、引き受けてくれるかどうかは別だ。

 交渉者の手腕に懸っているとしか言いようがない。それを、遊び人と言われる殿下が担うことになっているとは驚きだ。



「驚いただろ? 僕がこんな仕事をするなんて」

「っ……!  でも、カリス殿下は人心掌握に長けているでしょう? ジェリーもあっという間に懐きましたし……」

「エミリアの心が掴めてないから、長けているとは言えないかもね?」

「殿下っ……」

「ははっ、ごめん。でも、エミリアに振り向いてもらえるように頑張るから。今の仕事もその第一歩だ」



 カリス殿下がそう告げると同時に、馬車の前へと辿り着いた。そして、カリス殿下は意外にもさっぱりとした様子で馬車に乗り込んだ。



「また会いに来るよ。手紙も出すからね」

「っ……はい。カリス殿下も、体調を崩されませんよう――」



 言いかけている途中だったが、素早くカリス殿下が馬車から降りてきた。何か忘れものでもしたのだろうか。



 そう思った矢先、カリス殿下がジーッとどこか一点を見つめた。かと思えば、直ぐにもどかしそうな表情を向けてきた。



「エミリア、右手を出してくれる?」

「右手ですか……?」



 言われた通り、右手をカリス殿下の方へと差し出す。すると、カリス殿下は私の右手をそっと掬い上げた。



「最後にこれだけ、お願いだ」



 どういう意味だろう。そう思った瞬間、殿下は私の右手の甲に軽く口付けを落とした。



「で、殿下っ!? 何をなさって……」



 周りの人にバレてはいけないと、すぐに手を引っ込め小声で叫ぶ。だが、その叫びは殿下の表情を見て途中で止まった。

 目の前に立つ殿下が、顔を赤らめどこか拗ねたような顔をしていたからだ。こんな殿下の表情は初めて見る。



「殿下、あ、あの……」

「上書きだよ。君がディーン卿にキスされたのを見て我慢できなかった」

「上書きって……」



――ディーン卿と間接キスになるけれど、それは良いのかしら……?



 そう思いながらも、自身の顔に急速的に熱が集まるのを感じる。戸惑いながらもチラッと視線を向けると、殿下はますます顔を赤らめ口を開いた。



「ねえ、エミリア。今日は僕の事だけ覚えていて。君にキスをしたのも、君の顔をこうして林檎みたいに赤くしたのも、君に求婚をしたのも僕だけだ」

「っ……!」

「じゃあ、本当に行くよ。今日はありがとう」



 そう言い残すと、殿下は少しぎくしゃくとした動きで再び馬車に乗り込んだ。でも、最後馬車の扉を閉める直前の殿下は、緊張が解けたように甘い笑みを浮かべていた。

 それから間もなく、殿下の乗った馬車は動き出し、あっという間にその姿は見えなくなってしまった。



「はあ……」



 思わずため息が零れる。でも、許してほしい。こんなことは想像もしていなかったのだ。

 先程口づけられた右の手の甲に視線を落とすと、気恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。心なしか、そこからどんどん熱が広がってきているような気さえしてくる。



「嘘でしょう……こんなことって……」



 そう呟いた私の声は、誰の耳にも届くことなく空へ溶け消えていった。



 ◇◇◇



 心ここにあらずの状態でディナーを済ませて少し仕事を済ませた後、私は早々にベッドに入っていた。今日は早く休まなければならないと、全身が訴えかけてきている気がしたからだ。



 だが、ベッドに入ってもなかなか寝付くことは出来ない。その理由はもちろん、今日の殿下との出来事だ。

 ディーン卿の事だけでも大変なことだと思っていたのに、それを上回るカリス殿下との出来事を思い出すだけで、心が全く休まらない。



「こんなにも気付かないなんて、私はどれだけ鈍感なの……!?」



 部屋に誰もいないことを良いことに、自責するように小声で叫ぶ。それでも気持ちが落ち着くはずがない。

 でも落ち着くこそしないが、一つだけ納得できることがあった。



――だからカリス殿下は、あんなにも私のことを助けてくれたのね……。



 普通、目的無しにここまで助けてくれる人なんていないだろう。いや、カリス殿下だったら有り得なくもない……。



 そうは思うが、やはり助けてくれたことにはカリス殿下の気持ちがあったからこそだと痛感し、私は悶々とした気持ちを抱えたまま、その日は長い長い夜を過ごした。

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