96話 明かされる真実
視線の先にいる彼は、酷く真剣な眼差しをこちらに向けている。その瞳で見つめられると、彼の想いに間違いはないのだと証明されているような気分だ。
――こんなの……突然過ぎるわ。
突として告白を受け、どのような顔をしたら良いのかも分からない。そんな私に、カリス殿下は自身の想いを吐露し始めた。
「マティアス卿に不倫をしていないと言った手前、エミリアにいつ想いを告げるべきなのかずっと悩んでいた」
「っ……」
「君のことを困らせたくはない。だけど、ディーン卿と君が結婚するかもしれないと思うと、今度こそはただ黙って見ているわけにはいかないと思った」
その言葉と共に、膝上できつく握り直される彼の拳。それを見て、連動するように締め付けられるような感覚が私の胸を襲う。そのときふと、ある思いが脳裏を過ぎった。
――今度こそはって、何でマティアス様との結婚のときは何も言わなかったのかしら?
聞いて良いものだろうかと迷う。だが、今日を逃したら二度と聞けないような気がする。
「あの……カリス殿下。マティアス様と私が結婚するときは、なぜお止めにならなかったのでしょうか?」
聞いてしまった……。
心臓がバクバクと鳴り出す。
私からこんなことを聞くなんて、何だかおかしい気がする。自意識過剰のような気がして、自分で訊ねておきながら思わず目を逸らしてしまう。
こうして直視出来ずに軽く目を伏せていると、先ほどまでの張り詰めたものではなく、低く落ち着いた彼の声が耳に届いた。
「そう、だよな。その疑問が湧くのも当然だ。……言い訳のように聞こえるかもしれない。でも、聞いてくれるだろうか?」
「はい……」
きっと言い訳とは思わないような気がする。そう思いながら、彼の話に耳を傾けることにした。
「エミリアは僕とコーネリアス兄上の関係性に気付いているよな?」
「折り合いが……悪いんですよね」
「ああ、そうだ。その理由を詳細には言えないんだが、とにかく誤解があって僕とジュリアスはコーネリアス兄上と壁があったんだ」
このあいだの舞踏会でコーネリアス殿下から話を聞いていたから、彼が詳細な理由を言えない事情が何となく察せられる。
こうしてコーネリアス殿下が不利になる情報を敢えて黙っているところに、優しい彼の性格や悟性を感じる。
「僕はジュリアスと一緒に、兄上の誤解を解こうと色々試みた。その答えの行き着く先は、いつしか自分がいかに無能かを見せることになった。エミリアも、僕が遊び人だという噂を知らない訳ではないだろう?」
「はい。確かに、耳にしたことはございます。ですが、カリス殿下はそのような方では……」
「エミリアはそう言ってくれるね。だから、やっぱり君のことを好きになったんだと思う」
真っ直ぐにぶつけられたまさかの返しにより、顔に熱が集中するのが分かる。きっと色としても現れているだろう。
私はそれを隠そうと顔を伏せ、やり場もなく視線を彷徨わせる。
するとそんな私に、本気かからかいか分からない口ぶりでカリス殿下が声をかけてきた。
「そんなに顔を赤くされたら、もっと好きになるじゃないか」
こんなことで好きになるだなんて、どうかしている。そう思い、私は反射のように顔を上げ、私の顔をこんな風にした張本人に言い返した。
「カリス殿下が……! っ……そのようなことを言われたら、誰だってこうなって当然ですよ。それに、これは生理的現象です」
「ふふっ、それでもいいよ」
「……?」
「いつもは僕がエミリアに心を乱されてばかりなのに、今日はエミリアが僕の言葉でこんなに顔を赤くしている。生理的現象だろうが、こんなに嬉しいことは無いよ」
見守るように甘い笑顔を向けてくる彼が、今は心底心臓に悪い。
そのため私は最終奥義として物理的に彼を視界から遮断すべく、両手で軽く顔を覆った。こんなの、子ども以来の行動だ。
「もういいですからっ……。お話の続きをお願いいたします……」
そう告げると、指の隙間から見えるカリス殿下の表情が、再び真面目なものへと変わった。そのため顔に残った火照りを感じながらも、彼に合わせて私も眼前の手を下ろした。
「ごめん。続きだけど……まあ簡単に言うと、僕は遊び人と思われるように頑張ることにしたんだ。そして、その認知が確立した後にエミリアと出会った」
王位に固執するコーネリアス殿下のために、脅威ではないと証明するために演じた遊び人。
彼の人生はどれだけ我慢の連続だったのだろうか……。
先程までの軽口などがどうでも良くなるくらい、彼のこれまでの人生を想うと胸が痛む。
彼の作戦は、確かに成功していた。
遊び人として彼が陰口を言われていたことも、面と向かって馬鹿にされている姿を見たこともある。
本来の自分自身でなく演じている姿に関する悪口だから、こういった状況にも耐えられたのかもしれない。
だけど私だったら、これは本当の自分では無いのにっ……という感情でどうにかなってしまうと思う。
だが、カリス殿下はそれでも対立を避けるために、遊び人を演じ切っている。そのことを思うと、胸が張り裂けそうになる。
今だってなんてこと無さそうに言うが、本心はきっとそうでは無いはずだ。そうと気付けば、殊更に心が痛む。
だがそんな私の心とは裏腹に、彼は感情の起伏を見せることはしない。それは、淡々とした様子だ。
「他の貴族から見たエミリアは、陛下から覚えの良い侯爵家の娘だ。かなり良い家門に嫁げることは間違いない。それなのに、長男でもない遊び人と揶揄される三番目の王子から求婚されたエミリアが、仮に嫁ぐことになったらどうなると思う?」
「それはっ……」
きっと、遊び人の妻として軽んじられ侮られやすくなるだろう。侯爵令嬢の時代とは違い、別の種類の苦労がずっと増えるはずだ。
――だけど、それを本人に直接言うなんて……。
「……」
「無理に言わなくていいよ。エミリアも分かるだろう? 僕に嫁いだら、かなり苦労することになるって。いくらでも良い未来の選択肢がある。そんなエミリアの一度きりの人生を、僕のせいで不幸なものにしたくなかったんだ」
悔しそうで、それでいて寂しそうな表情を浮かべる殿下。
彼はそのまま肘を両膝に突き額に組んだ手を当てがうと、独り言ちるように続けた。
「だから、名君と名高いカレン辺境伯の息子に嫁ぐと聞いて、安泰だと安心していた。ああ、エミリアはちゃんと幸せな道を進めるんだって思ってしまった。まさか、こうなるとは思ってもみなかったから……」
悲嘆に暮れるような掠れた声が、私の心を揺さぶる。
その矢先、彼はゆっくりと顔を上げると、先程までとは違ったぎこちない様子でこちらに視線を寄越した。そして、躊躇いがちに口を開いた。
「エミリアっ……僕は君に謝らないといけないことがあるんだ」
「な、何をですか? 身に覚えがないのですが……」
なぜ殿下が謝罪しなければならないと言い出すのか理解できない。脈絡のない唐突な彼の言葉に、頭が付いていかない。
殿下の真意を知ろうと、彼の目をジッと見つめる。そんな私の耳に、衝撃的な単語が飛び込んできた。
「結婚式」
「っ……!」
この殿下の発言に、心臓がドクンと音を立て思わず息が詰まった。膝上にある自身の右手の指先を握る左手に、ギュッと力が籠る。
今から殿下が何を言い出すのかは分からない。ただ、本能が何かを察知したように緊張で心臓が縮み上がりそうになる。
だが、私の目の前にいる殿下は冷静さを崩すことは無かった。
「あのときマティアス卿の代理人をした人物を覚えてるか?」
「代理人……ですか? 見目は覚えてはおりますが、誰なのかについては未だ存じておりません」
「そうか。知らないふりをしている可能性も考えていたが、本当に知らなかったみたいだな……」
「はい。……あのっ、殿下はその方をご存じなのでしょうか?」
完全に知っている人の反応だと思い、その正体を言うよう殿下に促す。
すると、殿下はおもむろに自身の首の後ろに両手を運んだ。そして何やらゴソゴソと手を動かしたかと思えば、シャツの中に隠されていたものを取り出し、私の目の前に掲げた。
「これに見覚えがあるよね?」
「はい。以前殿下が大切な人からもらったものだと……。えっ、まさかっ……」
パンドラの箱を開けるような気持ちで、殿下が手に持つチェーンの先のウォーターオパールと彼の顔を見比べる。
すると、形の良い唇が私の予感を言い当てるようにゆっくりと動いた。
「っ……僕だったんだ」
「えっ……!?」
雷に撃たれたかのような衝撃が心に走る。殿下があの人だったとは、今日の今日まで一切考えたことは無かったのだ。
でもこうして言われてみると、殿下と代理人の共通点や彼が代理人足る証拠がいくつか思い浮かぶ。
顔は見えなかったが、代理人は殿下と同じくらいの身長だった。
ある程度豪華な服装だったからはっきりとは分からないが、どちらかというと痩せ型で肩幅が広く腰が細いところは殿下と合致している要素だ。
それに思い返せば、参列客の中に殿下の顔は無かった。見逃したわけで無いのであればだが……。
そして何よりこのウォーターオパール。これこそが、彼が代理人であったことを裏付ける何よりも強固な証拠なのだと、考えざるを得ない。
――まさか、カリス殿下が代理人だったなんてっ……。
なんてこと……。
一体どうしてそんなことに!?
動揺で何という言葉からかけるべきかと混乱してしまう。すると、殿下の方が先に言葉を続けた。
「疑わしいと思うなら、ロベル卿に訊いてほしい。本当の代理人は彼だったんだ。代理人が僕だと知っているのは、恐らく彼だけだ」
ロベル卿という予想外の名前を出され、私の脳内はますます混乱する。そのような中、私は真っ先に思い浮かんだ疑問を彼にぶつけた。
「ロベル卿が代理人だったのでしたら、どうしてそれがカリス殿下に……?」
事情があって急遽ロベル卿が代理人を出来なくなったとしても、その代わりとしてカリス殿下が抜擢されるなんてことは考えられない。
膝上で握り締めた手に更に力を込めながら、答えを促すように彼を見つめる。
するとカリス殿下は微かに眉尻を下げ、申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめん……。汚い手だとは分かってたんだけど、エミリアへの想いをどうしても諦めきれなくて、ロベル卿を買収して夫役を代わってもらったんだ」
「ばい……しゅう……」
「っこんな手を使うなんて、引いたよな。ごめん」
「いや、引いたというより……」
どうやってあのロベル卿を買収したというのだろうか。
彼はカレン辺境伯の忠実なる側近だ。その彼が、どうやったら買収されるというのか甚だ疑問だ。
そこで、私はその疑問をカリス殿下にぶつけた。
「どうやって、あのロベル卿を買収したというのですか?」
「っ……」
答えることに躊躇する様子を見せる殿下。だが、殿下はしばし間を空けた後、その答えを口にした。




