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91話 どうして?

「エミリアっ……! 今日はお疲れ様。とりあえず、ここに座って休むと良い。お茶も飲むか?」



 部屋に入るなり、気遣いの化身となった殿下の発言が飛んできた。そのため、私は殿下の言う通り、指示された椅子へと着座した。



「あの……お兄様はどちらに行ったのでしょうか?」

「ああ、アイザック侯爵はジェラルドのところに行ったよ」

「ジェリーのところに?」



 何の目的があって行くのか分からず、思わず頭を捻る。すると、カリス殿下は新たな情報を付け加えた。



「エミリアのことについて、ジェラルドに改めてお礼と挨拶をしたかったそうだ。しばらくしたら、二人でここに来るはずだ」



 そう言うと、殿下は自ら淹れたお茶を「はい、どうぞ」と私の目の前に置いた。



「ありがとうございます。でも、殿下にこんなことをさせるだなんてっ……」

「良いんだ。僕がしたいだけだから。……今日までよく頑張ったね」



 注ぎ終えた自身の分のお茶を手に持った殿下が、私の目の前の椅子に座り、見守るような優しい表情を向けてきた。それにより、先程の陛下との話で気付かされたカリス殿下の立場を思い出し、胸が軋むように痛む。



「殿下はなぜ――」



 ここまでしてくれるのか。そう訊ねようとした瞬間、殿下が私の言葉を遮った。



「エミリア、血が出ているじゃないか。こっちに手を出してくれる?」

「えっ……」



 何故殿下に手を差し出す必要があるのかと疑問に思いながらも、ゆっくりと手を差し出す。すると、私の手を包み込めそうなほど大きな殿下の手が、傷口に触れないように私の手を攫った。



「傷一つなく治してあげる」



 そう告げると、殿下は私の傷口に手を翳した。その瞬間、指先辺りが柔らかい光を放ち温かさに包まれた。

 だが、それは一瞬のことで殿下もすぐに私の手を放した。



「今何が……。っ!」

「よし、ちゃんと治ってるね」

「で、殿下は……魔法使いなのですか?」



 知らなかった殿下の能力を目の当たりにし、驚きのあまり声が裏返りそうになる。すると、殿下はそんな私の驚いた様子が面白かったのか、肩を震わせながら堪えるように笑い始めた。



「ふふっ、違うよ。僕は魔法使いじゃない。魔法使いの正体はこれだ」



 そう告げると、殿下は耳につけたピアスを指差した。今まで気にしたことは無かったが、そう言われてみると殿下はいつも同じピアスをつけていると気付く。



「そのピアスはいったい……」

「これは、魔力の貯蔵装置になってるんだ。王族は皆、何かしらの魔力の貯蔵装置をつけている。いざという時、その魔力で魔法を使うんだ。例えばジュリアスの場合、片耳のイヤリングがそれだ」

「そのようなものがあるのですね……」



 まったく知らなかった情報を知り、改めて彼のことを知らないんだということを実感する。だが、殿下は独り言ちるように言葉を続けた。



「父上は魔力の貯蔵が空だったから、エミリアを手当てしなかったのか? とにかく、エミリアがここに来てくれて良かった。すぐに治せたからね」

「実は、陛下に手当てをするなら殿下のところに行くように勧められたんです」

「えっ……じゃあ、父上は僕に手当てさせるつもりだったのか?」



 カリス殿下の表情から、どことなく余裕感が消えた。そして、少し挙動不審気味に視線を動かした後、何事も無かったように話しかけてきた。



「まあ、いいか……。ところで、父上とは何の話をしていたんだ?」

「女性も条件次第で領主権を持てるようにするというお話を伺っておりました」

「ああ、その話をしていたのか」

「はい。コーネリアス殿下とカリス殿下の御意見があったと伺いました」

「うん……。まあ、僕は大したことは言ってないけどね。ははっ、兄上が全部上手く取りまとめてくれたんだ」



 私から少し目を逸らし、何事も無いようにお茶を飲むカリス殿下の行動に違和感を抱く。陛下のカリス殿下に対する思いの片鱗を知ってしまった今、尚更の感情だった。

 そして、気付けば私はその思いを口にしていた。



「殿下は……どうしてそのように謙遜なさるのでしょうか?」

「謙遜? 別にそんなことしていないよ。本当に兄上が全部――」

「何だか、殿下は本当の御自身を隠しているように感じます……」



 その言葉を告げた途端、部屋は静寂に包まれた。唯一聞こえるのは、互いの呼吸音だけだ。

 衝撃を受けたその瞳は見開かれ、私を射貫くように見つめてくる。



 しかしそれも束の間。カリス殿下はフリーズから解け、誤魔化すような困り顔で質問してきた。



「どうしてそう思ったんだ?」

「これだけ色々助けていただいているのに、私はカリス殿下のことを何も知らないのだと改めて気付いたんです」



 再び訪れる静寂。そんな中、今度こそと私は勢いに任せ核心を突く言葉を続けた。



「そもそも、どうして私にここまでのことをしてくださるんでしょうか?」



 真相を求めようと、カリス殿下の瞳の奥を探るように見つめる。緊張で心臓の鼓動が加速していく。

 優しいから……それだけではないような気がして、妙に納得できなかった。そんな気持ちが、今この場を以てより増幅を始める。



 すると、カリス殿下は緊張の面持ちで唇を軽く食んだ。そして、私の視線から逃げることなく、意を決した様子で口を開いた。



「っ……それは――」



 コンコンコンコンっ!



 なんてタイミングだろう。突然、ドアをノックする音が聞こえてきた。その瞬間、私達の間に漂っていた緊張の空気は一気に弛緩した。

 カリス殿下はフッと一息吐くと立ち上がり、長い足を生かしてあっという間に扉前まで向かった。



「あっ! エミリアは戻って来てますか?」

「ええ、いますよ。ジェラルドも来たんだね」

「うんっ。リアに最後の挨拶をしたくて……」



 扉の方から、三人の会話が聞こえる。ジェラルドもいることに気付き、私はジェラルドの元へと歩みを進めた。



「ジェリー」

「リアっ……」



 駆け寄ってくるジェリーにつられるように膝を突き、飛び込んできた彼を抱き締める。すると、ジェリーは私の肩に顔を埋めた。



「リアっ……絶対に約束守るからね」

「ありがとう。離れていても、私はずっとあなたを想っているわ。そのことは忘れないでね。手紙も送るわね」

「うんっ……忘れない。僕も手紙を送るよ。……っ待っててね」



 そう言うと、ジェリーは私の首から腕を解いた。そして、互いに自然と小指を差し出し絡めた。



――ジェリーの心に平穏が訪れますように……。



 そんな願いを込め、私は何も言葉を発することなくその指を解いた。

 そして、別れるのは悲しいけれど、最後の最後に涙で終わりたくはない。そんな気持ちで、ジェリーに笑いかけた。

 するとジェリーも同じ考えだったのか、ニコッと可愛らしい笑顔を返してくれた。



「ちゃんと挨拶出来たようだな。エミリア、そろそろ帰ろうか。御者が待っている」

「ええ、分かったわ。ちょっと先に向かっていてくれる?」



 そう告げながら、さり気なくカリス殿下に視線を送る。



「ん? ……ああ、分かった」



 流石に鈍感なお兄様も、自分たちが突然やって来たことで話が途絶えたのだと察したのだろう。私の視線に気付き、ジェリーにも声をかけた。



「ジェラルド、エミリアを見送るんだろう? ティナを迎えに行ってから馬車に行こうか」

「そうだね! ティナもそろそろ支度が終わるはずだよ! リア、僕たちティナのところに寄ってから、馬車に行くね!」

「ええ、ありがとう。よろしく頼むわね」



 頼もし気な笑顔で微笑むジェリーに笑みを返すと、ジェリーはお兄様と共に張り切った様子で部屋を後にした。

 そして、再びこの部屋には私とカリス殿下の二人だけが残された。

 すると、先にカリス殿下から話しかけてきた。



「エミリア。先程の続きだが……すぐに答えられそうにない。っ簡単じゃないんだ。ごめん……」

「なぜ謝られるのですか? 無理に聞き出すつもりはございません。皆、心に言いたくない秘密を抱えているものです。それよりも、私の聞き方が乱暴でした。申し訳ございません」



 私も人の心にズカズカと踏み入りすぎたのだと反省し、謝ってきた殿下に被せて謝罪をした。だが、申し訳なさから頭を垂れた私に、殿下は慌てた様子で「待って!」と告げた。



「えっ……」

「エミリア、言えない訳じゃない。ただ、ちゃんとその場を設けて話がしたいんだ」

「場を設けてですか?」

「ああ。だが、エミリアはしばらく忙しいだろうから……一カ月後くらいが良いだろうか? とにかく落ち着いた頃に、ブラッドリーに訪問するよ。そのとき、きちんと説明する」



 真面目で優しい殿下だから、無理をしているんじゃないかと思ってしまう。そのため、私は気を遣わなくて良いという意味を込めて、殿下に言葉を返した。



「殿下もお忙しいでしょうから、無理に私に合わせなくても良いんですよ? 私のただの疑問で殿下を振り回すわけには――」

「合わせたり振り回したりしているわけじゃない。僕はエミリアに、質問の答えを知っておいてほしい。僕からのお願いだ」



 真剣な眼差しを向けられ、そんな風に言われてしまえば、私は殿下にもう何も返せない。

 こうして私は流されるまま「今度また会おう」という殿下の言葉に頷きを返し、無言のまま殿下と共に馬車へと向かった。



 馬車に着くと、ティナを含めた三人が既に待っていた。ちょうど先程来たばかりだという。



「参りましょうか、お嬢様」



 その言葉に従い、私はお兄様とティナと三人で馬車の中に乗り込んだ。そして、ジェリーとカリス殿下に見送られながら王城を後にし、ブラッドリーへと向かった。

 通る道が悪かったのか、ブラッドリーに近付くにつれ馬車の揺れが強くなった。その揺れは、まるで私の心の騒めきを表しているかのようだった。

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