80話 俺ばかり〈マティアス視点〉
79話を加筆いたしました。
加筆箇所は◆◆◆以下ですので、加筆前にご覧くださった方は、再度79話をご確認いただければ幸いです。
エミリアたちが去りし後、俺は父上の書斎へと移動していた。いつもは静かで落ち着きある書斎は、怒りと絶望が充満した空間へと化している。
「……と、以上が今回の件に関する事の顛末でございます」
エミリアがブラッドリーの屋敷から唯一連れて来た侍女ティナ・パイムが、父上へ報告の締めの言葉を述べながら、ギロリと蔑むように睨みつけてくる。
そんな侍女の視線を受け、俺は後ろ手に縄で縛られ跪いたまま、目の前で煮え滾る怒りを今にも爆発させそうな父上に目を向けた。
「マティアス」
完全に突き放したような、冷酷に満ちた声が俺の名を呼ぶ。直後、気付けば俺の頬には火の付いたような痛みが走っていた。
「くっ……」
自身を殴った人物は肩で息をしながら、仇でも見つけたかのごとき表情でこちらに鋭い眼光を飛ばす。
そして、こちらにずかずかと歩み寄ったかと思えば、床に倒れた俺の胸倉を右手で掴み起き上がらせ、こめかみに青筋を立てた鬼の形相で怒鳴りつけてきた。
「反省したという言葉は何だったんだ!? 全部嘘だったのかっ……!!!!!!!!」
そう言うと、父上は俺をそのまま勢いよく床に投げ飛ばした。そして、追い打ちのように、床に寝転がる俺に怒声を浴びせた。
「エミリアが不倫だと? マーロン夫人のような愚か者と一緒にするな! これはエミリアや亡きバージルに対する冒涜だっ……。どうやって落とし前をつける!?」
怒りだけでなく憔悴の色も見せる父上は、顔を歪ませ頭を抱えるかのように、片手で自身の頭を押さえた。そんな父上を見ながら、俺は先程の父上が口にした内容について考えていた。
――マーロン夫人は不倫をしていたのかっ……。
そのことが伯爵にバレたことを機に、経緯は分からないが王宮で働き始めた。
そして、実年齢より優に二十は上に見えるほど老け込み、みすぼらしい姿になっていた……というわけか?
そんなことを考えていると、俺の脳内を知るはずもない父上は、嘆かわし気に怒りをぶつけてきた。
「ジェラルドには優しく出来るのに、なぜ、エミリアにその一部の優しさも向けられない!? 自分がどれだけ下劣な行いをしたのか分かっているのか!?」
その言葉を聞いて、俺は胸が痛むとともにカチンときた。痛いところを突かれたと思うと同時に、父上は俺の気持ちを考えてくれていないのだと露呈したからだ。
――他所の家の娘とジェラルドのことは慮るくせに、自分の長男の気持ちは無視かっ……。
反省したり謝ったりしていた自分が馬鹿みたいだ。
やさぐれた気持ちが込み上げ、自分を責めてばかりの父上に苛立ちが募る。そこで俺は、父上にありのままの事実を告げることにした。
「俺がジェラルドに対して優しいのは、ミアの存在があったからですっ……」
「……今なんと言った? あの女とジェラルドに何の関係がある……!?」
茫然とした様子を見せたかと思えば、父上は眉間に皺を寄せると俺に詰め寄り顎を掴んできた。そんな父上に、俺は睨みと共に返答した。
「ミアのことを忘れるためですよ」
「どういうことだっ……」
そう言うと、父上は説明しろと言わんばかりに、顎を掴んだ手を力任せに振り払った。
その衝撃で床に倒れ込みそうになる。しかし、決して倒れまいと踏ん張り、膝立ちのまま父上を睨めつけ言葉を紡いだ。
「ミアが死んだ年に、ジェラルドが生まれました。……都合が良かったんです。ミアの死を考える時間を減らす手段として、ジェラルドの面倒を見たんですよ」
「っ……!」
目を見開いた父上の背後で、息を呑むエミリアの侍女の声が耳に届く。その声に自棄な嘲笑を重ねながら、俺は言葉を続けた。
「ジェラルドの面倒を見ていると、日々成長するジェラルドに愛おしさを覚えました。その想いに相違はありません。ただ、きっかけはミアです。あの女の存在が、私の生きる轍です。一方エミリア・ブラッドリーの存在は、その轍を遮る障害物でしか……」
障害物でしかない。そう続けようとしたが、俺はその先の言葉を言い切る前に止めた。
父上が身を翻し俺に背を向けると、唐突に机の引き出しから紙を取り出し、何かを勢い良く綴り始めたからだ。
「父上、話の途中なのに何を――」
「お前の次期領主権剥奪に関する証書作成のための書類を作っている。邪魔をするな」
「はっ……どういう――」
不服のあまり言い返そうとしたが、父上が右手にペンを握ったまま、ガンっと拳を机に叩き付け俺に怒鳴りつけてきた。
「エミリアとならば夫婦関係を続けたいと言ったのはどの口だ……! その関係に破滅を招いたのはお前だ。自分の言葉に責任を取れ!」
父上がペンを叩きつけた衝撃でインクが倒れ、流れ出たインクがポトポトと一線を描きながら床に伝う。そして、インクの染みが広がる床は、まるで俺の心に広がる不満と怒りを表しているかのようだ。
俺だって、エミリアに申し訳ないという気持ちを本気で持ち合わせていた。だから、痛み分け、そんな気持ちでヴァンロージアを支えてくれたエミリアを受け入れ、彼女と夫婦としてやっていこうと決めた。
それなのに、俺が歩み寄った途端、エミリアは俺から一線を引いたような態度をとってきた。
そのうえ、俺には冷たい態度なのに、エミリアは遊人として名高いカリス殿下には心を開いた態度を見せていた。
ミアという最愛を貫く意志を曲げてまでエミリアとの結婚を受け入れた矢先に、このエミリアの態度は裏切りでしかない。
だから、俺は二人が部屋で白い結婚と言いながら話をしていたのを引き金に、不倫をしていると追求した。
この背景について確認もせずに、皆、揃いも揃ってエミリアの味方ばかりする。俺は責められてばかり。
――そんなの、おかしいだろっ……。
俺のために尽くしてくれていたと認めて折れたのに、エミリアは喜びもせずに鰾膠も無い態度だった。
そんな状況で、あんなカリス殿下との姿を見せられたら普通怒るだろう。
「横暴すぎる! こうなったのはエミリアのせいでもあるんですよ!? カリス殿下とあいつは白い結婚の話までしていたんです! 不倫だと思っても仕方ないでしょう!? 俺は受け入れて歩み寄る努力をしたのにっ……」
溢れた想いのまま父上に言い返す。
すると、父上の怒号が飛ぶ前にカツンカツンという靴音が部屋中に響いた。そして、その足音の主は俺の目の前に来ると、怒りに顔を染め上げ、軽蔑の眼差しと共に言葉を放った。
「貴方の歩み寄りは、アリの一歩にも及びませんが? エミリア様があなたにどれだけ歩み寄っていたのか、貴方には想像も出来ないんでしょうね」
そう言うと、侍女は歯を食いしばりツーっと一筋の涙を零した。その瞬間、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
――……誰だ?
こんな事態を知らない訳が無いのに、ノックをするとは余程の事情だろう。
そう思ったのは父上も同様だったのか、ノック音に対し入室するよう指示を出した。すると、扉の向こうから父上の最側近であるロベル卿が入ってきた。
「どうした、ロベル」
「王城からの使者が手紙を届けにいらしたのですが、エルバート様が内容を把握したことを確認してからでないと、帰城出来ないと……」
その言葉を聞き、父上は「確認しよう」と言って卿から手紙を受け取った。そして、その中身を見ると難しい顔をし、その手紙に何かを書き込んで、そのまま卿に渡した。
「これを使者に託してくれ」
「承知いたしました」
そう返事をすると、ロベル卿は速やかに部屋から出て行った。すると、父上は俺に向き直り声をかけてきた。
「明日、城に来いと王命が下った。陛下直々に、お前からも事情を聴き取るとのことだ」
聴き取るという言葉に、俺は一筋の希望を見出した。他の人間は俺を責めるが、王さえ味方に付ければ俺の意見が通ると確信を持ったからだ。
すると、そんな俺に父上は険しい顔のまま、だが声は荒らげずに言葉を続けた。
「期待はしないことだ」
そう言うと、先程までの怒りとは裏腹、虚無とも言える表情になった父上は怒鳴ることもなく、使用人に俺を軟禁しろという指示を出した。
そのため、自室に閉じ込められた俺は、父上からの言葉は振り払うように、陛下への説明について一晩中必死に考えを巡らせ続けた。
◇◇◇
翌日になり、陛下が公務を終える指定の時間に合わせ、俺は父上と共に王城に向かった。すると、到着して謁見の間に通されたかと思えば、陛下は俺と共に入った父上に退室を命じた。
そのため、俺は陛下に質問されるがまま、父上の邪魔なく陛下にことの説明を終えた。するとちょうどそのタイミングで、謁見の間の扉が開く音が鳴り響いた。
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