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71話 あるわけがない証拠

 舞踏会から一夜明け、現在私はジェリーと共に、王城に向かうお義父様とマティアス様の見送りをしていた。



「では、行ってくる。ジェラルド、しっかりとカリス殿下をおもてなしするんだぞ?」

「うん! リアがいるから大丈夫だよ!」

「ははっ! その通りだ。……では、エミリア。よろしく頼む」

「はい。承知いたしました」



 そうお義父様に返事をすれば、お義父様は何か言いたげな顔を一瞬覗かせた。しかし、即座に私とジェリーに対しニカッと笑顔を向けてきた。

 その一方で、お義父様の隣にいる人物は、どこか心ここにあらずな様子を見せていた。



――マティアス様は随分と遅くに帰って来たのよね。

 かなりお酒を飲まれていたと聞いたけれど、大丈夫かしら……?



 まだお酒が抜けきっていない様子のマティアス様。そんな彼を見ると、王城で体調が悪化しないかと心配になる。



 しかし、正装に着替えて真っ直ぐ歩くことは出来るようだから、きっと彼に対する心配は無用なのだろう。そう思っていると、ふとマティアス様と目が合った。



 その瞬間、心臓をギュッと握られたような感覚が襲って来た。しかし、それを表情に出すわけにはいかない。

 そのため、気を落ち着けようと、私は握りしめた自身の左手をそっと胸のあたりに添えた。



 そのときだった。突然右手を握られる感覚がした。



――どうしたのかしら?



 驚いて反射的に自身の右側に顔を向けると、そこにはにっこりと優しい笑顔で私を見上げるジェリーがいた。その行為の真意に気付き、思わず胸が熱くなる。



 どうして、この子は私にこんなにも優しくしてくれるのだろうか。

 そう思いながら、私は大丈夫だと伝えるために、繋いだ手を握り返してジェリーに笑顔を返した。



 そして、お義父様とマティアス様がいる正面に再び視線を戻したところ、無表情のマティアス様がおもむろに口を開いた。



「エミリア」

「っはい……」



 突然名指しされ、動揺してしまう。しかし、マティアス様はそんな私の様子を気にする素振りを見せることなく、ジッと私を見つめてきた。



 それから約十秒が経った頃だろうか。ようやくマティアス様が言葉を発した。



「…………行ってくる」

「は、はい……。行ってらっしゃいませ」



 それだけを言うためにその間だったのかと思ったのは、ここだけの話だ。



 だが、こうして見送りの言葉を告げると、マティアス様はお義父様に「何だその言い草は」と腰に携えた剣のヒルトで背中を刺されながら、そのまま家を出て行った。



 それから四半刻が経った予定通りの時間、カリス殿下がとうとうカレン家へとやって来た。



 ◇◇◇



――これは……どういう状況?



 カリス殿下がやって来てから、私は困惑していた。



 カリス殿下は、マティアス様にいじめられていないと言うのならば、ジェリーの発言が言葉の綾だと証明してくれと言っていた。だから、私はてっきりそういう話をする場になるのだと思っていた。



 しかし、カリス殿下はやって来るなり、まずジェリーに人好きする笑顔で挨拶をしながら、仲良く手を繋いで部屋へと移動した。

 そして、誘導通り上座に位置する机の短い辺側のソファに腰掛けると、ジェリーと楽しそうに会話を始めた。



 昨日は何をして過ごしたんだ? なんてことをカリス殿下がジェリーに尋ね、ジェリーはその質問に楽しそうに答えている。



 そしてカリス殿下がやって来てから数分後、不穏で重い空気が流れると思っていた空間には、想像もしなかったほど非常に和やかな空気が流れていた。



 だが、私は確信していた。どれだけ和やかな状況であろうと、カリス殿下が例の話を切り出さない訳が無いのだ。

 そのため、ジェリーがいる今その話を切り出されるくらいなら……と思い、私はカリス殿下に笑顔を向けながら楽しそうにはしゃいでいるジェリーに声をかけた。



「ジェリー」

「なあに? リア?」


 私の呼びかけに応じ、笑顔のまま私を見るジェリーと目が合い胸が痛む。しかし、私は意を決して言葉を続けた。



「あのね、今から私とカリス殿下で大事なお話をしなければならないの。だから、ジェリーは一度部屋に戻ってくれるかしら?」



 カリス殿下との楽しい時間を奪うのは、私も辛い。だが、ジェリーを巻き込むわけにはいかないという想いの方が大きかった。

 しかし、儚くもその私の言葉はカリス殿下によって制されてしまった。



「エミリア。君の想いは分かるよ。だけど、これはジェリーにも聞かなきゃならない」



 そう言うと、カリス殿下は「ジェリー、隣に座っていいかな?」とジェリーに話しかけた。そして、ジェリーの座って良いという言葉を確認すると、カリス殿下はスクっと立ち上がり、ジェリーの隣に座っていた私へと一歩近づいた。



 そんな彼を見て、私も思わず立ち上がる。すると、カリス殿下は立ち上がった私を真っ直ぐと見つめながら、真剣な様子で口を開いた。



「エミリア、ジェラルドは勇気を出したんだ。だから悪いが、俺はジェラルドの説明も改めて聞いておきたい。絶対に無理はさせないよ」

「それでもっ……」



 反射的に言葉を発したが、カリス殿下は絶対に折れないことを察した。

 それと同時に、子どもだからという理由だけで、私の行動はジェリーの勇気を軽視したものになってしまっているのではないかという考えも、正直胸を過ぎった。



 ……その考えが過ぎった時点で、私はもうカリス殿下に反論することは出来なかった。



 すると、カリス殿下は私が口を噤んだことで、制止することは無いと分かったのだろう。

 先ほどまで自身が座っていた席に、私をそれは丁寧に誘導して座らせた。一方自身は、先程まで私が座っていたジェリーと横並びに座れる長椅子に腰掛けた。



 そして、カリス殿下がジェリーに話しかけ始めた。



「ジェラルド。君は一昨日、僕にマティアス卿がエミリアをいじめていると言っていたよね? どうして、いじめていると思ったんだ?」



 そう問いかけられると、ジェリーの顔から笑顔が消えた。その代わり、ジェリーの周りには【使命感】という言葉がぴったりな雰囲気が纏った。



 ◇◇◇



――ジェリー、お願いだからもう言わないでちょうだい。



 私が心で必死にそう叫ぶなか、ジェリーはカリス殿下の問いかけの答えとして、次々と彼から見たマティアス様の所業を明かしていた。



 彼が私を無視したこと。私を誹謗する発言をしたこと。私に怒鳴ったり、無理やり手を掴んで引っ張ったり、嫌がっているのに抑え込んだりしたこと。

 ジェリーがこれらについて説明するたびに、幼い子どもにそんな光景を見せてしまっていたのだという事実を突き付けられるようで、申し訳なくてどうにかなりそうだ。



 こうして私が罪悪感に苛まれている最中、カリス殿下はジェラルドの話に余計な口出しをすることは無かった。ただ、ジェリーの話を最後まで聞いているのだ。



 そして、確認したいことがあれば「大きな声でエミリアに怒鳴っていて怖かったんだな」なんて相槌を打ちながら、ジェラルドの話し方に合わせた口調で会話をしている。

 またその際、カリス殿下はずっとジェラルドの背中をさすり続けていた。



 そのカリス殿下の言動が、ジェリーの胸の痞えを溶かしたのだろう。

 今まで言えずにいた想いを吐き出すように、ジェリーはカリス殿下に思いの丈を伝え始めた。



――ジェリー、それ以上は……。



 話を聞けば聞くほど、そう声をかけたい気持ちがグッと込み上げてくる。

 しかし、ジェリーの口から零れる言葉は事実でしかない。そのため、そんなこと無いという嘘は吐けない。



 しかも、ジェリーがこうして発言しているのは、すべて私のためだと知っている。だからこそ、言葉の綾だなんて苦し紛れの言い訳を言える訳が無かった。



「僕はね、何回も何回もお兄様に言ったんだよ。それなのに、お兄様はリアを傷付けるの、っやめてくれなかったっ……」

「ジェラルドは何度も注意してくれてたんだな」

「うん……」

「言おうと思ってもなかなか言えないことだよ。よく言ってくれた、ジェラルド」

「うんっ……」



 そう言うと、ジェリーは言いたいことはすべて言い切ったと言うように、カリス殿下から私へと視線を向けた。

 すると、その動きに合わせるようにカリス殿下も私に視線を向け、声をかけてきた。



「それで、エミリア。今ジェラルドが言ったことが本当だとしたら、僕は絶対に見逃すことなんてできない」



 その言葉を聞き、ジェリーが「本当だよ!」とカリス殿下に声をかけた。



「ああ、ジェラルドの想いは全部伝わっているよ。ねえ、エミリア。これでもまだ言葉の綾だと証明できるものはある?」



――ここまで来たら、必死にたくさん考えた言い訳も嘘もつけるわけがない。

 ジェリーがいるのに狡いわ……。



 つい、カリス殿下を恨めしく思ってしまう。だが、それと同時に、殿下が私の頑固な性格を見越して、わざとこんな手法を取ったことも分かっていた。

 だからこそ、もう私の答えは一つしかなかった。



「証拠は……ありません」



 そう答えると、カリス殿下は真剣な表情を変えることなく、言葉を続けた。



「つまり、ジェラルドが言ったことは全て本当と言うことか?」

「っ……」



 認めることが怖い。認めてしまったら、何かが崩れ出してしまいそうな気がして、怖くてたまらないのだ。

 だが、そんな私の耳にか弱い声が届いた。



「リアっ……」



 そう私の名前を呼ぶ声の方を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしながら、ギュッと両手を握りしめているジェリーがいる。

 それに、ジェリーの後ろに立っているティナも「エミリア様っ……」と言いながら、必死に泣くのを堪えた表情をしている。



――ああ、私が二人にこんな顔をさせちゃったんだわ。

 いつまで経っても私に勇気が無かったから……。

 私が傷付いたら、傷付く周りの人もいるって今まで知らなかった……。



 認めることがこんなにも難しいと思う日が来るなんて、思ってもみなかった。

 だけど、二人の顔を見ていると、私が言うべき言葉はもうこれしかないと、そう思えた。



「……はい。っ本当です」



 口にした瞬間、一気に身体から力が抜け落ちるような感覚がした。

 禁忌を犯してしまったような感覚と、やっと言えたという解放感が、波のごとく心にどっと押し寄せてくる。



 そんな何とも言い表せぬ感情が心を支配する中、ツーっと頬から涙を流すジェリーが視界に映った。



 その瞬間、私の身体は弾かれたかのごとく反射的に動き、気付けばソファに座ったジェリーの前に膝を突いていた。

 そして、私はそのまま目の前にいるジェリーの両手を包み込むように握り声をかけた。



「ジェリー、あなたにつらい思いさせてごめんねっ……」

「ううっ……リアが我慢してるのを見る方がつらかったよっ……」



 そう言うと、ジェリーはボロボロと涙を流し始めた。かと思えば、思い切り私に飛びかかり、そのまま力いっぱい私を抱き締め始めた。



「ジェラルド。君がいてくれて本当に良かった。ありがとう。偉かったな」



 私たちの光景を見て、カリス殿下がジェリーに柔らかい表情で声をかけてくる。その声を聞いて、ジェリーを抱き締め返す私の腕には思わず力が加わった。



 ◇◇◇



 それから数分後、ジェリーが落ち着いたのを見計らって、カリス殿下はジェリーに話を始めた。



「ジェラルド、今度はエミリアから話を聞くんだ。それで――」



 カリス殿下が何か言葉を続けようとした。だがどうしたことか、ジェリーがそんなカリス殿下の言葉を遮った。



「分かった。じゃあ、僕は自分の部屋にいるよ。じゃないと、リアは優しすぎて我慢しちゃうもんね!」

「あ、ああ……」



 面食らった様子のカリス殿下だったが、一応殿下はジェリーの言葉に肯定の意を示した。

 すると、ジェリーは殿下の言葉を確認するなりソファから立ち上がり、すたすたと部屋の外に向かって歩き始めた。



「あっ、ジェラルド様。私が部屋までお送りいた――」



 ティナがジェリーを送ると申し出ようとしてくれている。だが、そのティナの言葉を遮り、カリス殿下が口を開いた。



「いや、ティナ嬢はここに居てくれ」

「どうして――」



 ティナが思わずそう声を漏らした。すると、カリス殿下は神妙そうな面持ちでティナに言葉を返した。



「……エミリアと二人きりになるのは得策ではない」

「っ! 失礼しました!」

「謝ることは無いよ。ただ、ジェラルドが出る時に、扉も軽く開けておいてくれるかな?」

「はい! 承知しました!」



 そう言うと、ティナはジェリーを部屋の前まで見送り、指示通り軽く扉を開けて私たちの近くへと戻ってきた。



 こうしてジェリーが出て行ったことで、部屋に残ったのは私とカリス殿下、そしてティナの三人になった。

お読みくださりありがとうございます。

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