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69話 エコーチェンバー〈マティアス視点〉

「やっといらした。お待ちしておりましたよ、マティアス卿」



 談話室に入るなり、先に集まっていた貴族たちが次々に声をかけてきた。



「さあ、マティアス卿。今日は君が主役だ。こちらに座り給え」



 一緒にやって来たジュリアス殿下は肩を組み解くと、座るのを促すように手を動かしながら俺にそう声をかけた。そのため、歓迎ムードに包まれた俺は、促されるまま指定された席に着いた。



――子爵家と伯爵家、侯爵家階級の人間が多いな。

 それに、ほとんどが当主だ。



 集まった顔ぶれに目をやると、頻繁に名を耳にする貴族がほとんどだと気付く。しかも、一部の伯爵家や侯爵家の人間に関しては、貴族社会でそれなりの権力を有する人間だった。



――先ほどまでは最悪だったが……まあ悪くない気分だ。

 今日は面白い話ができるかもしれない。



 そんな期待を感じていると、隣に座ったカリス殿下が声をかけてきた。



「まずは一杯どうですか?」

「ああ、有難く頂戴いたします」



 そう言うと、カリス殿下は近くのボトルを手に取り、ジュリアス殿下が俺に持たせたグラスに酒を注いだ。そして、俺の酒を注いだ後、横から差し出されたジュリアス殿下のグラスにも酒を注いだ。

 しかし、カリス殿下はその二杯を入れると、なぜかボトルをワインクーラーに戻した。



――飲まないのか?



 そんなことを考えていると、ふと斜め前から声をかけられた。



「マティアス卿、今日こうしてお会いできて良かった! 息子が大変世話になったようで……」

「私も聞きました! 息子が怪我を負ったとき、庇いながら止血対応をして下さったのだと! 危険を顧みず部下の救護を為すなんて、なんと優秀な長であり人格者だろうか」

「マティアス卿が考えた策のお陰で怪我人が減り、敵への牽制も最少人数で対応できたと伺いましたよ。まだまだ若いのに立派な方だ!」

「敵の罠を見抜き、返り討ちにした話も聞きました。今日から、あなたを慧眼の士と呼ぼう!」

「マティアス卿のような英雄がいるならば、この国も安泰だな! わっはっは!」



 最初に声をかけてきた人物を皮切りに、次々と賛美の言葉をかけられる。

 褒められるその行為は、全て当然のこととして行ったに過ぎなかった。しかし、ヴァンロージアに帰ってから、褒められるどころか、理不尽に責め立てられ続けた。

 だからこそ、彼らが掛けてくる言葉はどれも聞いていて心地よく、俺はかなりのハイペースで、注がれるがままに酒を飲み続けた。



 それからしばらくし、突然話題が変わった。



「それにしても、マティアス卿は夫人があの方で良かったですね」

「その通りだ! エミリア夫人のような女性は滅多にいない。英雄の妻にぴったりだな!」

「まさに、大当たりですな!」



 そんな声をかけられ、気分の良かった俺の心は少し翳り始めた。



――俺からしたら、ミア以外は全部外れだ。

 まあ、エミリアが人材として当たりと言うのであれば納得だが……。



 何てことを思っていると、途端に彼らはエミリアの称賛を始めた。俺が喜ぶとでも思っているのだろう。気分を害するなんて考えてもいなさそうだ。

 しかもその中で、話の内容をヴァンロージアの事業に持って行き始めた人物も現れ始めた。



――ここでもまた事業の話……。

 これだけ事業の話をしてくるということは、かなり事業に魅力を感じているのだろう。

 それを彼女が一人で……。



 事業の話になった際、皆の顔を見やると、目の輝き方が先程までとは明らかに異なっている。

 そのことに気付き、エミリアがヴァンロージアの改変に一役買っていたのだと、心の隅で痛感した。

 そんな時、カリス殿下が口を開いた。



「この僅か数年で、彼女はヴァンロージアをここまで育て上げたのですね。その聡明さには感服いたします」



 この殿下の言葉を聞くと、その場にいた貴族たちは共感するように、うんうんと頷いた。そんな中、ある一人の貴族が口を開いた。



「とはいえ、これからはマティアス卿が舵取りをするのでしょう? あまり女を出しゃばらせても、付け上がるだけ。気を付けなければ、卿が後々苦しむことになりますよ」



 その貴族を見れば、随分と酒に酔っているようだった。そして、それは他の貴族も同様で、普段なら人前では憚られるような彼の意見に、賛同の言葉が掛けられる。



「その通り! 私もそう思います!」

「夫の役を食ってまで出しゃばるのは、賢妻ではなく愚妻です」

「外でも認められた女は、家の中ではもっと調子に乗ります。早めにきっちり躾けておかないと、後で大変なことになりますよ」



 その言葉を聞き、俺の心臓はドクンと跳ねた。



――確かにその通りだ。

 エミリアがこなしてきた仕事は元々は俺の仕事で、彼女は単なる俺の代理だ。

 にも関わらず、エミリアが今後も目立ち続ければ、俺が無能だと勘違いされる事態も招きかねん。

 それは駄目だ……!



 彼らの不安を煽るような言葉に、徐々に気持ちが急く。そこで、彼らに一応、対処法を訊ねてみることにした。



「そのような意見もあるのですね。では念のためにお聞きしますが……躾とはどういったことを指しているのでしょうか?」



 そう訊ねたところ、横からカリス殿下が口を出してきた。



「才知に富んだあの方を躾ける必要なんてあるのでしょうか? それに、自分の妻を躾けるだなんておかしい」



 自身の妻も居なくて苦労も知らないくせに良く言う。そう思い、思わず怒りが出そうになったところ、反対隣に座ったジュリアス殿下が「まあまあまあ」と俺を宥めつつも、カリス殿下に声をかけた。



「カリスは黙って聞いてろ。俺もその躾とやらが気になる」



 そう言うと、ジュリアス殿下はしてやったりという顔を俺に向けてきた。その顔を見ると、思わず笑えてきて、俺の怒りはあっという間に霧散した。

 そのため、俺はその後のジュリアス殿下の表情を見ることなく、躾だと言い出した貴族に視線を戻した。すると、酒に酔ったその貴族は、意気揚々とした様子で口を開いた。



「マティアス卿、躾は非常に簡単なんです」

「簡単……ですか?」

「ええ。妻を躾け、押さえつけるのに手っ取り早いのは、相手の心を殺すことです。そうすると、相手は自身の意のままに動くようになります」



――心を殺すだと……?



 結果を得るための手法としては、ある意味当然のこと。しかし、倫理的な観点で見た場合には批難されるであろうその言葉を聞き、スリルを感じて脈が速くなる。握りしめる手にも、自然と力が入ってしまう。



 すると、男はそんな状態の俺の方に顔を向けてきた。かと思えば、余裕そうな笑みを浮かべ、男はそのまま言葉を続けた。



「心を殺すという方法は、妻以外にも適用されます。ただ、そうすれば外野から非難されます。そうでしょう?」

「……」

「ですが、妻はいわば夫の私物。家庭内問題には誰も口を出せない。その利点を生かして、妻の心を殺すのに効率的な方法があるんですよ!」

「っ……!」



 その言葉を聞き、俺だけでなく一緒に居た貴族皆が唾を飲み込んだ。すると、緊張した空間の中、少しの間を置きその貴族は愉しそうな笑みを浮かべ、その口を開いた。



「その方法は、相手の弱みを握り辱めを与えることです。さすれば、相手は自ずと自身の立場を理解して、こちらの言うことを簡単に聞くようになります」

「弱みを握って辱める……」



 そう誰かが呟く声が聞こえた。すると、男はその言葉に反応し、さらに情報を付け加えた。



「はい、その通りです。まあ、貞淑な女にしか使えないという欠点はありますがね」



 その発言を聞き、部屋の中では「おぉ~」という感嘆の声が広がった。それと同時に「まさにその通り」「シンプルだが良策だ!」という賛同の声も多く聞こえ始めた。

 中には、当たり前すぎるだろうと言い出す貴族さえいる。俺の妻には使えないと言っている者もいるが……。



――確かに、弱みを握ったうえで辱めを与えて心を殺すという方法自体、有効だろう。

 だが、それはさすがに……。

 それにしても、この反応……意外と賛同派が多数なのか?

 もしかして、この考え方が一般的……?



 貴族たちの顔を見ると、笑みを浮かべている者たちが多い。酒を飲み赤ら顔になっている人物なんて、陽気さ満載にしか見えない人ばかりだ。



 笑っていない人物と言えば、俺の隣に座り無表情のカリス殿下くらい。恐らく、自身の意見よりも、先ほどの貴族の意見の方が賛同を得て良い気分でないのだろう。



『自分の妻を躾けるだなんておかしい』



 言い放たれた言葉が頭を過ぎる。



――どうしてこんなにスッキリしないんだ。



 何とも奇妙な感情が心を占める。それを振り払うべく、俺は目の前のグラスになみなみと注がれた酒を煽った。

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